備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

能條純一

能條純一『昭和天皇物語 3』解説

201812昭和天皇物語296

能條純一の「昭和天皇物語」、3巻が刊行されました。
気づいた点をちょこちょこと書いてみます。

前半はいわゆる「宮中某重大事件」について。
久邇宮良子女王(のちの香淳皇后)が皇太子妃に内定したものの、家系に色覚異常が見つかり、皇統へ遺伝するのを恐れた山縣有朋らが婚約を破棄しようと動いた、という一件です。
このようなゴタゴタが国民に知れては皇室の尊厳が損なわれるため、報道は全くされなかったのですが、「宮中で何か重大な事件が進行している」という情報が漏れ伝わってしまい、「宮中某重大事件」と称されるようになりました。
結局、「良子女王殿下御婚約の儀に就き種々の世評ありしも御変更等の儀は全然無之趣き確聞す」と報じられて決着することになります。
これには皇太子(昭和天皇)が「良子でよい」と意向を示したと言われており、Wikipediaにもそのような記述がありますが、筆者の手元にある本では、この発言の出典はよくわかりませんでした。「昭和天皇実録」には(当たり前かもしれませんが)見当たらず。
この漫画では、この発言を非常に劇的に描いています。
もう一点、この事件には山縣有朋が「薩摩対長州」という観点から、母が島津家の出身である良子女王の婚約を阻止すべく言いがかりをつけた、という見方があります。この漫画でもその説を採用し、腹黒い策謀家として山縣を描いています。
山縣が腹黒い策謀家だったという点は筆者も否定するものではありませんが、しかしこの一件については対応はまずかったものの皇統に対する至誠の気持ちから出た行動であったという見解が、現在では一般的になっています。漫画に描かれた山縣有朋の姿は「宮中某重大事件」として取り沙汰された際の、世間での評価であった、と解釈するのがよいかと思います。

後半はヨーロッパ外遊について。
本巻の表紙になっている、答礼する皇太子時代の昭和天皇は、イギリス訪問の際、ジョージ五世とともに馬車でバッキンガム宮殿へ向かう途中に撮影された有名な写真をモデルにしています。(Webで検索すれば、この写真はいくらでも出てきます。)
御召艦の中でマナー教育が行われたというのは実際にあったと言われています。
このあと、それぞれの寄港地では若き日の昭和天皇にとって冒険が続きます。晩年までこのときの外遊を懐かしく語っていますが、楽しいエピソードが多く、続巻が楽しみです。



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能條純一『昭和天皇物語 2』解説

201804昭和天皇物語199

能條純一の「昭和天皇物語」、待望の2巻が刊行されたました。
今回はのちに皇后となる久邇宮良子との出会いを中心に描かれています。引き続き原作は半藤さんということになっていますが、前巻以上に福田和也「昭和天皇」からの影響が濃厚に感じられます。
1巻目に続いて、気づいたことを書いてみます。

貞明皇后

大正天皇の后であった貞明皇后は、昭和天皇を語る上で非常に重要な人物です。
本作では昭和天皇の后である香淳皇后(久邇宮良子)を見初めたのが、貞明皇后であるとされていますが、福田和也の「昭和天皇」にも全く同じエピソードが紹介されています。
出典がよくわからないのですが、まあ福田和也が書いているんなら、ちゃんとした根拠があるんだろうと思います!
もちろん、このエピソード一発で内定したわけではなく、数多くの候補の中から選ぶ際、一つのきっかけになった、ということでしょう。福田和也の本には、選ばれた過程は公開されていない、とも書かれています。
貞明皇后は強気な性格で皇室内において絶大な権力を握っていたと言われていますが、本作でもその雰囲気はよく描かれています。昭和天皇のお后選び、戦前戦中を通しての昭和天皇の振る舞い、弟宮である秩父宮との関係など、あらゆる場面で貞明皇后の影響は現れてくることになります。

宮中某重大事件

恐らく次巻で最大の山場となるのがこの「宮中某重大事件」です。
これは久邇宮良子女王の兄・朝融王が色弱であると判明したことから、久邇宮家には色盲の遺伝子があり、この血統が皇室へ入り込むのは由々しき事態であると婚約反対運動が繰り広げられたことを指します。
良子の母は島津家の出身であり、反対運動の中心となった山縣有朋が長州の出身であることから、世間では薩長の勢力争いであると捉えられ、本作でもこの説を採用しています。
一方で、山縣有朋は単純に色盲に対する懸念を示しただけであるという説もあり、福田和也「昭和天皇」はその観点で綴られています。
とはいえ、当事者の思惑がどうであったかは歴史的には重要なことではなく、世間が「勢力争い」と認識したことが、大正から昭和にかけての時代に大きな影響を与えることになります。
本作での山縣有朋は、宮中某重大事件の黒幕らしく、大変な悪人面で描かれていますが、実際に昭和天皇との関係がどうだったかといえば、昭和天皇が終戦直後、皇太子(現在の天皇陛下)へ宛てた有名な手紙があります。その中に「明治天皇の時には、山県、大山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時には、あたかも第一次世界大戦の独国の如く、軍人が跋扈して大局を考えず、進むを知って、退くことを知らなかった」という一文があり、明治期の名将の一人として数え上げられており、高く評価されていたことが伺われます。

昭和天皇物語 2 (ビッグコミックス)
能條 純一
小学館
2018-03-30







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能條純一『昭和天皇物語』解説

201711昭和天皇物語146

「哭きの竜」で有名な能條純一の新作は、なんと昭和天皇が主人公!
大作となる予感がビンビンするシリーズの1巻目が出ていますが、昭和天皇ファンの筆者としても見逃すわけにはいきません。

(追記:2巻の予約がAmazonで始まっていました。3月末発売予定です)
昭和天皇物語(2): ビッグ コミックス
能條純一 半藤一利 永福一成
小学館
2018-03-30



半藤一利「昭和史」(平凡社)が原作ということになっていますが、「昭和史」には出てこないエピソードも描かれています。
どちらかといえば、福田和也「昭和天皇」(全7冊・文藝春秋)の方が近い内容です。





とはいえ、この漫画はわりと有名なエピソードをつないでいる印象がありますので、どれが原作ということにはあまりこだわらなくて良いようにも思います。半藤さんが監修、という程度のものでしょう。
昭和天皇ファンが読んでいると、にやりとさせられるシーンが散りばめられていますので、気がついたことをいくつか解説していきたいと思います。

マッカーサー・昭和天皇会見

マッカーサーと昭和天皇との会見シーンから物語は始まります。
マッカーサーがポケットに手を突っ込み、リラックスした態度で立っている横で、モーニングを着た昭和天皇が直立不動している姿は、「敗戦」という事実を国民に見せつけ、衝撃を与えました。
この会見で昭和天皇が「全責任は私にある」という発言をした、というのはマッカーサーが後に回想録で明かした有名なエピソードで、本作でも採用されています。
ところが、この「伝説」は眉唾ものだという説もあります。
昭和天皇は没後に公刊された「昭和天皇独白録」のなかで自身の戦争責任を否定する内容の発言をしており、マッカーサーに対する発言と矛盾しています。このエピソードは、昭和天皇の人柄に惚れたマッカーサーの、リップサービスだったのでは、とも考えられています。また、そもそも天皇の免責は戦後政策をスムーズに進めるための連合国側の方針でもあり、マッカーサーの一存ではありません。
昭和天皇自身は、後にこの会見の内容を質問された際には「マッカーサーとの男の約束で、内容は明かせない」と答えています。





足立タカ

足立タカは幼稚園教諭から迪宮(のちの昭和天皇)の養育係に抜擢され、お役目を退いたのちに鈴木貫太郎の後添えとなります。
鈴木貫太郎は海軍大将にまで上り詰めた軍人で、退役後は侍従長として昭和天皇に仕え、2・26事件で銃撃を受けましたが、一命をとりとめます。この時はタカの機転が夫の命を救っています。
鈴木貫太郎はやがて太平洋戦争末期に首相となり、国を終戦へと導く大仕事を任されます。
このように、何度も危機を共にした鈴木貫太郎・タカ夫妻のことを、昭和天皇は晩年のインタビューで実の親のように思っていたと答えています。人間としての昭和天皇を語る上で、足立タカの登場は不可欠です。
なお、本作ではタカとの会話の中で「雑草という草はありません」というやりとりが出てきます。
この会話は実際には、侍従武官長だった阿南惟幾(終戦内閣の陸軍大臣)が昭和天皇からいわれた言葉だとされています。本作では、幼少期にあったタカとのやりとりを、阿南に対して再現したものだ、ということにしているのでしょう。

秩父宮

昭和天皇が相撲好きだったというのも有名なエピソードです。戦後も天覧相撲で目を細めている姿がテレビでよく見られたものですが、幼少期も相撲を取ることが好きだったと言われています。
笠原和夫が書いた未映画化シナリオ「昭和の天皇」は淳宮(のちの秩父宮=昭和天皇の弟)と迪宮とが相撲をとっているシーンから始まります。
これは「相撲好き」を示唆する以外にもいろいろと象徴的なシーンなのですが、昭和天皇と秩父宮の「不和」ということは、真偽はともかくとしてずっと語られていることです。
笠原和夫などは「2・26事件は昭和に起こった壬申の乱だ」とまで言っていますが、2・26事件や三国同盟、終戦などあらゆる歴史的なシーンにおいて、背後にこの問題があるのではないかと言われます。
本作でも、活発な弟を溺愛する母(貞明皇后)が描かれており、不穏な空気を醸しています。

乃木希典

乃木希典が殉死の直前に、迪宮へ山鹿素行「中朝事実」を奉呈したエピソードもよく知られています。
この件について、昭和42年に当時の運輸大臣・中曽根康弘が昭和天皇へ直接、質問したことがあります。
「司馬遼太郎の『殉死』という小説の中に乃木大将が『中朝事実』の話をしたということが書いてありますが、そういうことはあったのでございましょうか」
と尋ねたところ
「記憶は定かではないけれども、もしそういうことが書いてあるならば、あったかもしれない」
ということだったそうです。
中曽根はのちに、宮内庁長官に尋ねて、この本が宮中の書陵部で保管されていることを発見したそうです。文春文庫から出ていた「陛下の御質問」という本に書いてあります。


大正天皇

東郷平八郎が謁見した際、大正天皇が手で遠眼鏡を作るシーンが描かれていますが、これは大正天皇の「遠眼鏡事件」を念頭に置いたものと思われます。
大正天皇は「病弱で暗愚であった」というイメージが流布していますが、そのときによく挙げられるエピソードです。とは言え、この事件自体、風説であるという説が現在では有力です。



この記事は、続刊が出たらまた次を書きたいと思います。

昭和天皇物語 1 (ビッグコミックス)
能條 純一
小学館
2017-10-30


昭和天皇物語 2 (ビッグコミックス)
能條 純一
小学館
2018-03-30


能條純一『昭和天皇物語 2』解説
昭和天皇の驚きエピソード――「あっそう」に込められた意味
二・二六事件をめぐる怪談
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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