備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

昭和史

迫水久常『機関銃下の首相官邸』(ちくま学芸文庫)

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昭和史、特に終戦前後について書かれた本が好きでよく読んでいますが、その中で最も気に入っているのが本書『機関銃下の首相官邸』です。
タイトルの「機関銃下」というのは、二・二六事件と終戦直前の首相官邸襲撃事件とを指します。

著者の迫水久常は映画「日本のいちばん長い日」で加藤武が演じていた内閣書記官長(現在の官房長官)といえば、「ああ」とわかる方も多いでしょう。
もともと大蔵省の官僚でしたが、岳父である岡田啓介の首相秘書官として二・二六事件に遭遇します。前半はこのときの体験記。
太平洋戦争末期、日本を終戦へと導くべく鈴木貫太郎内閣が成立しますが、このときは岡田元首相の推薦で内閣書記官長として政権の舵取りを任されます。このときの奮闘を綴ったのが後半です。

本書は1964年に恒文社(ベースボールマガジン社の関連出版社)から発行されたもので、戦後20年近く経ってからの回想録であり、また出版元も歴史書専門というわけではないため、史料的価値については全面的に信用してよいものかどうかよくわかりませんが、とはいえ「昭和天皇実録」にも参考文献としてタイトルが現れており、昭和の重大事件を目撃した人物による貴重な証言であると評価して良いでしょう。
ただ、本書の価値はそこだけではありません。
読み物としてめっぽう面白いのです。

前半の二・二六事件。
迫水の活躍のメインは、岡田首相救出劇にあります。
首相官邸を襲った蹶起軍は、岡田首相と誤って、岡田の義理の弟である松尾大佐を射殺します。当時はテレビなどないため、兵士たちは首相の顔を正確には知らなかったのです。
松尾大佐はそもそも岡田首相の影武者を自任して官邸に潜り込んでいました。岡田によれば「いつも一緒に暮らしているわたしから見れば、似ているもなにもあったものではない。まるで別人だ。しいて言えば、二人とも年寄りであるということが似ているくらいのものだった。」ということだったのですが、首相官邸に老人が二人も生活しているとは兵士たちの知るところではなく、松尾大佐はまさに本望を遂げたわけです。
さて、当初は死亡したと伝えられた岡田首相でしたが、迫水のもとには実は生きているという情報が入り、蹶起軍に占拠された官邸から首相を救出する作戦が決行されることになります。
「岡田啓介回顧録」(中公文庫)にも同じ話が出てきますが、これがもう「ホンマかいな」と突っ込みたくなるような、ドタバタの頭脳プレー。
本書前半の最大の読みどころはこの一幕にあります。

後半は終戦へ至る政権内部での駆け引きが細かく描かれています。
このあたりは半藤一利「日本のいちばん長い日」(文春文庫)にも詳しく書かれている話ですが、出版された順番から考えると、半藤さんの著書もおそらくは本書の内容を参照しているものと思われます。
ここで最も興味深いエピソードは終戦の詔勅、つまり玉音放送で読み上げられた一文についてのエピソードです。
これは迫水が起草したものを安岡正篤が添削して原案としたということなのですが、「日本のいちばん長い日」でも描かれているとおり、閣議を通していくつかの訂正がなされます。
安岡正篤が特に力を込めた部分についてまで、「言葉が難しい」という理由で改変されてしまい、迫水は戦後になってから安岡に嫌味を言われたという話を書いています。

また、両事件ともに共通するのは著者の能吏ぶりです。
戦争中とはいえ、法治国家。行政は全て法律に基づく手続きを踏んで行われます。
しかし、バカ正直に手続きにこだわっていては非常事態に対応できない。
この「本来の手続き」と「非常事態」とを、トリックプレーといってよい奇抜な手法で切り抜けていくさまは読み物として抜群の面白さです。

政権がドタバタしている表側では、「無辜を殺傷」「非命に斃れたる」という状況が続いていたわけで、その方面への思いやりが欠けている批判も本書に対して見かけることもあります。
とはいえ、日本存亡の危機にあたって、著者はその職域で力の限り奮闘を続けていたわけであり、他の戦記では見られないエピソードは昭和史ファンにはやはり興味深いものです。













真珠湾攻撃を読む

先日、終戦について書きましたので、今回は日米開戦、真珠湾攻撃について書かれた本から、おすすめをご紹介しましょう。

黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて (文春文庫)
1970年のハリウッド映画「トラ・トラ・トラ!」は、日米双方からの視点で真珠湾攻撃を描くという試みで、米側の監督にはリチャード・フライシャー、そして日本側の監督には当初、黒澤明が起用されました。
しかし、さまざまなトラブルの結果、黒澤明は降板します。
本書は、その過程を詳細に追ったノンフィクションです。
のっけから、真珠湾攻撃を扱った本の紹介としては、変化球ではないかと思われるかもしれませんが、実はこの本、真珠湾のことを知るためにも非常によくできています。
筆者自身、実を言えば、真珠湾攻撃ということに興味を持ったのは本書を読んでからなのです。

なお、真珠湾攻撃について書いている本記事の主旨からそれますが、映画「トラ・トラ・トラ!」は、黒澤監督降板後は、舛田利雄・深作欣二の二人体制で日本側シーンの撮影に臨み、完成にこぎつけます。
黒澤明が執筆したシナリオはいったん白紙になったと言われていますが、本書によれば、随所にアイデアは残されているということで、映画とシナリオを比較してみるのも一興です。
映画を観るならば、やはりBlu-rayがおすすめです。非常に高画質に仕上がっています。
シナリオは「黒澤明―天才の苦悩と創造」というムックに収録されています。このムックは黒澤明が描いた全絵コンテも収録しており、幻の黒澤バージョンの全貌を伺うことができます。

黒沢明―天才の苦悩と創造 (キネ旬ムック)
トラ・トラ・トラ!(ニュー・デジタル・リマスター版) [Blu-ray]


真珠湾攻撃を立案したとされる、当時の聯合艦隊司令長官・山本五十六の伝記小説。
阿川弘之の代表作です。
山本五十六の魅力的な人間像が描かれています。もちろん、真珠湾攻撃も詳細に記述されます。



映画「トラ・トラ・トラ!」で田村高廣が演じていた攻撃隊長が淵田美津雄です。阿川弘之「山本五十六」にも印象的に登場します。
本書は、その現場指揮官の生の証言を記録した貴重な一冊です。
この淵田美津雄は戦後、キリスト教徒となり、アメリカで戦争の愚かさを訴える伝道の旅を続けました。この話は、昨年夏に放映されたNHKスペシャル「ふたりの贖罪」で取り上げられています。


次は、フィクションです。
真珠湾奇襲を目指す艦隊は11月末に択捉島単冠湾に集結します。この情報をアメリカへ打電しようとする日系アメリカ人スパイを主人公にした冒険小説です。
佐々木譲お得意の北海道を舞台にした小説で、激しく、そして緊迫した物語を堪能できます。
真珠湾攻撃そのものは描かれませんが、その前哨戦です。


太平洋戦争が始まった日、そして終わったときに人びとは何を考えていたのか?
残された日記や記録から、時系列で事実を積み重ねていきます。
戦後になってから当時を振り返った証言は山のように存在しますが、リアルタイムの記録からは、戦後の回想とは全く違った、人間の息遣いが伝わってきます。
山田風太郎の傑作の一つとされています。

以上、真珠湾攻撃と直接関係ない本をやたらと上げてしまいました。
最後に太平洋戦争の通史として定評があるものをご紹介しておくと、やはり、半藤一利「昭和史」、ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡」ということになるでしょう。

大日本帝国の興亡〔新版〕1:暁のZ作戦 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)大日本帝国の興亡〔新版〕4:神風吹かず (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)大日本帝国の興亡〔新版〕5:平和への道 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
大日本帝国の興亡〔新版〕 全5冊 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

山田風太郎の最高傑作5選!?(エッセイ・ノンフィクション編)


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ミステリ作家・時代小説作家として評価の高い山田風太郎ですが、エッセイ・ノンフィクションでも傑作を残しています。今回は、小説以外の代表作をご紹介します。

『戦中派不戦日記』(講談社文庫など)/『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫など)

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)
戦中派虫けら日記―滅失への青春 (ちくま文庫)
(リンク先はいずれもAmazon)
「戦中派不戦日記」は山田風太郎が医学生だった昭和20年の日記を一年分全文収録したもので、昭和46年に発表されました。また、それに続いて昭和48年に発表された「戦中派虫けら日記」は昭和17年から昭和19年にかけて、二十歳前後の時期の日記を収録しています。
さまざまな切り口で読むことができる書であり、戦中の庶民の生活史、精神史として実に貴重な記録です。

筆者が興味を持って読んでいる「戦中派」の人物として、ほかに吉村昭と笠原和夫がいます(いずれも山田風太郎の5歳年下で、敗戦時に18歳)。この人たちの作品やエッセイなどを読んでいると、戦後日本に対して強烈な違和感を抱きながら生きていて、それを作品にも反映しているということが共通しています。
徹底した軍国主義教育を受け、神州不滅を信じていたものが、一夜にして価値観が逆転し、昨日まで徹底抗戦を訴えていた人びとが、今度は平和主義を謳いはじめる。
山田風太郎は「戦中派不戦日記」のあとがきで「いまの自分を『世をしのぶ仮の姿』のように思うことがしばしばある」と書いています。
昭和史に興味を持つ者としては、必読の2冊といえます。
この2冊の日記が高い評価を得ていたことから、晩年になってから、過去の日記が次々と単行本化されました。さすがに全部は読んでいられないので、筆者は途中で買うのをやめてしまいましたが、このあたりも、ミステリ文壇史的には貴重な史料かもしれません。

『同日同刻』(ちくま文庫)

同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日 (ちくま文庫)
(リンク先はいずれもAmazon)
戦前・戦後とでそのような価値観の大逆転を生むに至った太平洋戦争に対して、これをリアルタイムで体験した人びとはどのように認識していたのか。昭和16年12月8日の日米開戦、昭和20年8月15日の敗戦とに焦点をあて、「当時の敵味方の指導者、将軍、兵、民衆の姿を、真実ないし、真実と思われる記録だけをもって再現して見たい」ということで書かれたノンフィクションです。
戦後になって、作られた言葉、飾られた言葉は要らない。戦争中に何が起きていたのか、その真実だけを見たい、という作家の執念を感じます。
昭和54年に発表されました。

『人間臨終図巻』(徳間文庫・角川文庫)

人間臨終図巻1<新装版> (徳間文庫)
人間臨終図巻2<新装版> (徳間文庫)人間臨終図巻3<新装版> (徳間文庫)
人間臨終図巻4<新装版> (徳間文庫)
(リンク先はいずれもAmazon)
実は筆者が初めて読んだ山田風太郎作品は本書です。
もちろん、ミステリ好きとして、山田風太郎はいずれ何か読んでみようと思っていたのですが、本書をパラパラ眺めると乱歩の臨終についても記述があり、なんとなく買ってきた記憶があります。
一読、あまりの面白さに仰天しました。内容は、古今東西の偉人・著名人を死亡年齢順に並べ、どのような臨終であったかをひたすら列挙しただけのもの。
人の死に様を読んで「面白い」とは甚だ不謹慎ですが、しかし、山田風太郎は不謹慎にも、あまりにも面白すぎる書き方をしています。著者の筆にかかれば、どんな偉人であっても、生物学的な死は容赦なく訪れ、あっけなく世を去っていきます。死ぬのが怖くなくなる、ということはありませんが、死に対して奇妙な親しみを感じてしまうようになります。
山田風太郎の代表作として、現在も絶大な人気を誇る作品です。

『風眼抄』(角川文庫・中公文庫)

風眼抄 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
(リンク先はいずれもAmazon)
さて、ここまで割りと重めの作品を紹介してきましたが、「風眼抄」はうって変わって、山田風太郎の小説家としてのイメージそのままのエッセイ集です。どうでもよいバカ話もあれば、インテリの側面も垣間見せる、魅力あふれる内容で、ファンにはたまらないでしょう。
個人的に最も気に入っているのは大下宇陀児の追悼記事として書かれた「大下先生」。文壇でも愛されている様子がわかります。
また、「漱石と放心家組合」の章は、誰も気づいていなかった(と言われる)「吾輩は猫である」の謎に触れた文章として、割りと有名です。

『あと千回の晩飯』(朝日文庫・角川文庫)


晩年に連載されたエッセイです。この頃の山田風太郎は、もう死ぬ、もう死ぬ、と言いながらも、まだまだ執筆を続け、実際にはそれから5年ほど生き延びましたが、老いをテーマにした内容は「人間臨終図巻」と同じく、不謹慎な面白さに満ちています。
タイトルは比喩的なものかと思いきや、実際に食べ物の話ばかり書いてあり、そのあたりも興味深い内容です。

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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

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