備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

悪魔が来りて笛を吹く

月見山と「悪魔が来りて笛を吹く」

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当ブログで何度もしつこく話題にしている「悪魔が来りて笛を吹く」の話をまた。
以前の記事:
横溝正史「悪魔が来りて笛を吹く」の舞台をGoogleストリートビューで巡る
映画「悪魔が来りて笛を吹く」(1979年・東映)のこと

先日、天気の良い休日に須磨・月見山近辺をぶらぶらする機会があり、「悪魔ここに誕生す」の場所を探してきました。

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以前の記事を書く際にストリービューで見当はつけていたため、すんなりとたどり着きました。
風光明媚な住宅街ですが、フェンスに囲まれた広大な市有地が広がっています。このあたりが玉虫伯爵邸跡地に該当すると思われます。
それにしても、かなり高級住宅街と思われる雰囲気ですが、なぜこんなにも広い更地があるのでしょう。やはり、あれだけ凄惨な事件の発端、悪魔の誕生地ということで、事故物件扱いなんでしょうか(?)。

さて、以前の記事でもご紹介した映画「悪魔が来たり笛を吹く」(1979年・東映)での、月見山のシーン。

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夜間のシーンなので分かりづらいのですが、高台にある伯爵邸跡地の遠景に海が広がっています。
実際に月見山に立ってみると、このショットの構図がどれだけ正しいか、よくわかります。
現地の写真の遠景にも海が見えます。また、本記事の冒頭に掲げた写真は月見山の交差点から撮影したものですが、街全体が斜面にあることがおわかりいただけると思います。
映画の該当シーンは、この位置関係が正確に再現されています。

ちなみに、先日のNHK版の該当シーンはこちら。
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また、1977年毎日放送製作の「横溝正史シリーズ」版はこちら。
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いずれも原作を読んだだけであれば、特に違和感はないのですが、実際の月見山の景色とは合致しません。
映画版を撮影したがロケなのかセットなのかよく知りませんが、須磨・月見山をよく知っているスタッフによって作られたシーンと思われます。

ついでに須磨寺も参拝してきました。
金田一耕助が宿泊した「三春園」のモデルとなった旅館・寿楼臨水亭。

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映画「悪魔が来りて笛を吹く」(1979年・東映)のこと

映画「悪魔が来りて笛を吹く」(1979年・東映)のこと

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DVDジャケット

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劇場公開時のパンフレット

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キネマ旬報1979年1月下旬号(特集記事・シナリオを掲載)

さて、今晩はいよいよNHK BSでドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」が放映されます。
前回のドラマ「獄門島」のラストシーンで次作は「悪魔が来りて笛を吹く」か?ということがほのめかされ、横溝ファンは騒然となりましたが、あれから約2年。待ちに待ちました。

というわけで当ブログとしてもドラマの詳細なレポを載せたいところですが、まだ放映前。
それにまあ、そんな記事は山ほど投稿されるでしょうから、今回は1979年、西田敏行が金田一を演じた東映版について書いてみます。

1975年生まれの筆者は当然リアルタイムでは見ておらず、平成元年頃、テレビ放映されたときに初めてみました。
確か土曜日のお昼ごろ。当時はこんな映画を昼間に流していたのです。
新聞で放映予定を知って録画しながら見ることに。
学校から帰ると(当時は土曜日は休日ではなく半ドン)、ビデオをデッキへセットし、兄と二人で昼飯を食べながら見始めました。
原作はすでに読んでいたのですが、冒頭はいったい何のシーンなのかよくわかりませんでした。よくわからないままに見ていると、大量の血がドバーッと流れて画面が真っ赤に。ミステリを全く読まない兄からは「こんな映画、ホントに録画するの?」と白い目で見られたことをよく覚えています。

というのはさておき、他の金田一映画に比べて際立った名作、というわけではないのですが、印象に残るのは豪華なセットとヒロイン・斉藤とも子の可憐さです。
というか、この映画の最大の見所は斉藤とも子、と言ってもよいくらいですね。
中学2年だった筆者は、あまりの可愛さにクラクラして、兄がギョッとしたこの映画のビデオを何度も何度も繰り返し見る羽目に陥りました。
そんなわけで、本記事冒頭に掲載のとおり、この映画についてはいろいろコレクションをしているわけです。
ところが、一つだけまるで納得出来ないことがこの映画には一つあります。

原作で言う「金田一耕助西へ行く」のあたり。
「須磨」と大きくテロップが出ますが、これは全く須磨ではありません。
参考までに、映画の画面とGoogleアースで「須磨」と言える場所を出してみたものとを比較してみましょう。

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須磨海岸

映画で「須磨」とされている場所はかなり入り組んだ地形に見えます。しかし、須磨の海岸は実際には真っ直ぐです。いったいこれはどこの空撮? たぶん、なにか別に撮影した素材を使いまわしたのでしょう。
以前の記事でも書いたとおり、須磨は「悪魔ここに誕生す」の舞台ですが、このシーンは、驚いたことに須磨の特徴がよく出ています。

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暗くてよくわからないかもしれませんが、高台になった住宅地のすぐ向こうに海が見えます。
これはまさに須磨の地形です。
「悪魔ここに誕生す」の現地(月見山)もこのような地形で、今は住宅が立ち並んでいますが、敗戦直後の焼け野原だった時期にはこのような光景が広がっていたことでしょう。

本作は東映東京作品で、関西や神戸に縁のあるスタッフは多くはなかったと思われますが、ロケハンがいい加減なんだか丁寧なんだか、この辺がよくわかりません。

というわけで、ミステリ的な部分とは全然関係ない、個人的な思い出ばなしに終始しましたが、ともかく明日の放映が楽しみでなりません!

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「Yの悲劇」が横溝正史へ与えた影響とは?

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※ご注意※今回の記事は「Yの悲劇」「獄門島」のネタに触れています。未読の方はただちに画面を閉じてください。

海外ミステリの人気投票で長らく1位が指定席となっていたエラリー・クイーンの「Yの悲劇」。
筆者は実は読む前に、故人のシナリオに基づいて犯人が事件を起こす、というネタを知っていました。
中学生の頃のことで、どういった経緯でこれを知ったのか忘れてしまったのですが、その時に「それって獄門島と同じでは?」と思ったことはよく覚えています。
今回はその辺の話を書いてみます。

筆者は本編を読まずにネタを知ったので、トリックの骨格が共通していることにすぐ気づいたのですが、逆にネタを知らずにふつうに読んで、「こいつが犯人だったとは!」ときちんと驚いた経験を持つまともな読者だと、この点に気づいている方が少ないように感じています。
筆者は周囲のミステリ好きに「獄門島」と「Yの悲劇」との共通点について語って、怪訝な顔をされたことが何度かあります。(なお、筆者は横溝正史の有名作品をほとんど読み終えた頃に「Y」のネタを知り、さらに数年経ってから本編を読みました)

しかし、実はこの犯人像については、横溝正史本人も発想の原点が「Yの悲劇」であることを認めているのです。
小林信彦による、横溝正史へのインタビューを構成した「横溝正史読本」はネタバレを忌避せずにガンガンと話を突っ込んでいる好著ですが(以前にこちらの記事でも紹介)、その中に、「獄門島」の「気違いじゃが仕方がない」というネタは「Yの悲劇」の「マンドリン」を自己流でやってみたもの、という発言があります。
マンドリンというのは、故人の書いたシナリオにある「鈍器」という記述を実行犯が「楽器」と勘違いする、というものですが、「気違いじゃが仕方がない」は、やはり故人の書いたシナリオの指示に実行犯が納得していないという話です。
横溝正史はこの構図を面白がって、自作へ取り入れていたわけなのです。
「気違いじゃが仕方がない」というセリフは国内ミステリ史上、最高のセリフではないかとまで評価されているものですが、このように発想の元ネタがあるものでした。

この点以外にも、横溝正史ファンが「Yの悲劇」を読むと、いたるところに横溝正史作品を彷彿させる部分が見られ、興味深いものです。
まず、ヨーク・ハッターが簡潔な遺書をのこして自殺し、しかし、その後連続する事件にヨークの影が感じられる、という展開はモロに「悪魔が来りて笛を吹く」の椿子爵とかぶると言ってよいでしょう。
また、中盤にあるエミリー・ハッターの遺書発表シーン、それに続く一族の反応は「犬神家の一族」そのままです。(「Yの悲劇」の遺書発表シーンが物語にとって必要だったのかどうか、筆者はいまいちよくわからないのですが……)

ところで筆者は、このような点を指摘して「獄門島」をはじめとする横溝正史作品の価値を貶めたいわけではありません。
逆に、元ネタあるとわかってもなおかつ、これは偉大な業績なのです。
ミステリとは、先立つ作品からの引用、オマージュによって連綿と紡がれてきたジャンルです。「Yの悲劇」の各ポイントに注目して、それを上回るインパクトを持つ描写へ転換したことは、横溝正史の功績というべきです。

さらにいえば、当時のミステリ作家はネタの流用をあまり問題視していません。
前述の「横溝正史読本」では、「マンドリン」のくだりに続いて、実行犯のトリックはカーの諸作から発想した、という話をしています。
悪びれることなく語っていますので、横溝本人もネタの流用をまるで気にしていないことが伺われるどころか、「わたし流に訳しているんです」という発言までしています。
また、別のエッセイ集「真説金田一耕助」では、クリスティが「そして誰もいなくなった」においてマザーグースの見立てをしているのを読み、「クリスティがヴァン・ダインの真似をして許されるなら、自分もやろう」と考え、「獄門島」の俳句への見立てを考えたという話も回顧しています。(「真説金田一耕助」については、以前にこちらの記事

海外ミステリの有名作からネタをいただくのは、戦前から活躍している探偵作家にとっては「当たり前」のことだったようです。乱歩も同じようなことを多くの作品でやっています。
当時の読者は現代ほど海外ミステリに親しんでおらず、海外ミステリからのネタの流用は、当時の作家にとってはいわば「翻訳・紹介」の延長上にあったと思われます。

横溝正史はカーのファンであることは公言しており、作風にも濃厚に現れています。
一方、クイーンについてはあまり言及していないにもかかわらず、注意深く観察すると、作品の根幹にかかわる部分にはクイーンの影響が強く現れていることがわかります。
ほかにも例をあげられると面白いと思いますが、詳細に語り始めると筆者の手に余る仕事になるので、とりあえず「Yの悲劇」からの影響を指摘できたところでオシマイにします。

関連記事:
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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