『涙香迷宮』が、「このミステリーがすごい」をはじめとするミステリの各種年間ベストで上位にランキングされた竹本健治ですが、一冊も読んだことがない、という方も多いのでは。実際のところ、けっこうなミステリ好きでないとなかなか読まない、マニアックな存在と言えるでしょう。一方で、熱狂的なファンが多いことでも知られる作家です。
これから初めて竹本健治を読んでみようという方におすすめの本、これまでの代表作などをまとめてみます。
破格のデビュー
昭和50年代前半に刊行されていた「幻影城」という探偵小説専門雑誌があります。この雑誌が運営していた「幻影城新人賞」を受賞してデビューした作家には、泡坂妻夫、栗本薫、連城三紀彦など、それ以降のミステリブームを支えた錚々たる顔ぶれが並びます。竹本健治もこの雑誌から昭和52年にデビューしました。それも新人賞ではなく、当時23歳の全く無名の新人でありながらデビュー長編をいきなり連載するという破格の扱いでの登場です。この時連載され、その後単行本にまとめられたのが、日本ミステリ第四の奇書と言われる『匣の中の失楽』です。最近、講談社文庫で新装版が刊行されました。
この後、ゲーム三部作と呼ばれる『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』を発表し、ファンを広げていきます。このゲーム三部作に登場した少年・牧場智久が、その後の竹本健治作品でメインの名探偵となります。(講談社文庫から復刊されています)
(リンク先はいずれもAmazon)
講談社文庫『囲碁殺人事件』には、幻の短編「チェス殺人事件」も収録されます。続刊の『将棋殺人事件』、『トランプ殺人事件』には、書き下ろしの「オセロ殺人事件」「麻雀殺人事件」も収録するとのことです。
三部作の中では、個人的には特に『トランプ殺人事件』の偏執的な暗号が印象に残ります。『涙香迷宮』にも通じる、暗号ミステリの傑作です。
SF・ホラーの代表作
その後、しばらくミステリを離れ、80年代は主にSFやホラーを書いていました。(余談ですがこの頃は、笠井潔もSFを書き、連城三紀彦や泡坂妻夫は恋愛小説を書いて、本格ミステリ作家が浮気をしていた時代でした)『狂い壁 狂い窓』は、幻想文学というべきかホラーというべきか、なんとも異形の作品ですが、竹本健治の持ち味があふれる作品として、当時、人気がありました。(2018年2月に講談社文庫より復刊予定)
(リンク先はKindle版。もともとは徳間ノベルスですが、全て絶版。古本で入手可)
SFホラー「腐蝕の惑星」は初め新潮文庫から刊行されましたが、角川ホラー文庫収録時に「腐蝕」と改題されました。2018年1月に当初のタイトルへ戻して角川文庫より復刊されています。
ミステリへの復帰と超大作
やがて90年代に入ると、久しぶりの大作ミステリ『ウロボロスの偽書』を発表します。これが『匣の中の失楽』に続く代表作とされており、『ウロボロスの基礎論』『ウロボロスの純正音律』の三部作が2000年代までかけて発表されました。このシリーズは、いずれも竹本健治本人はもちろん、綾辻行人ら、友人の作家や編集者たちが実名で登場します。もちろんフィクションなのですが、現実と非現実との境界を曖昧にしていくという竹本健治の幻術が発揮されるシリーズです。
筆者は個人的に、『ウロボロスの純正音律』を偏愛しています。シリーズの中では最もストレートな本格ミステリなのですが、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」を真正面からパロディにする試みで、極めて衒学的な議論が延々続きます。シリーズ前2作とは別の意味で、マニアックな趣向を持つミステリ作家たちを大勢登場させる意義がある作品で、それぞれの作家のファンにとっても楽しめると思います。全2作からはほぼ独立しているので、これから読み始めても差し支えはありません。(それぞれ2巻組で、講談社文庫より順次復刊されています。「基礎論」「純正音律」は初の文庫化!)
また、この間に『闇に用いる力学 赤気篇』を発表します。不穏な空気に満ち満ちた幻想的な物語で、超大作の誕生を予感させる一冊です。しかし、そろそろ発表から20年近く経つのに、続編の刊行はされていません。
「黄禍篇」「青嵐篇」も雑誌連載完了後に改めて「赤気篇」から刊行予定とされていますが、今のところは時期もよくわかりません。いずれ完結する日が来たならば、「ウロボロス」シリーズ以上に竹本健治の代表作となることは間違いないと思います。
また、1999年には『入神』という囲碁マンガも発表しました。世間では「ヒカルの碁」が流行っていた時期です。
2000年代以降は、短編集や牧場智久シリーズがポツポツと出ていましたが、昨年(2016年)発表されたのが『涙香迷宮』です。これも牧場智久シリーズの一冊となりますが、これまでのシリーズを全く読んでいなくても大した支障はありません。(類子ちゃんって誰?というのがあまり説明されていないことぐらいで、本筋に影響なし)
というわけで、竹本健治を読んだことがない方が、いきなり『涙香迷宮』を読んでも、大して問題はありません。むしろ、過去の作品を知らない方が、「ここまでとんでもないことをするとは……」という衝撃が大きいかもしれません。あえて事前に何か読んでおきたい、あるいは、この著者に興味を持ったのでほかも読みたい、ということであれば、やはり『匣の中の失楽』でしょう。
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