備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

俊藤浩滋

なぜか文庫化されない俊藤浩滋インタビュー本「任侠映画伝」(1999年・講談社)

201805任侠映画伝216

1999年に講談社から刊行された「任侠映画伝」という本があります。
60年代の東映任侠路線をほぼ一人で取り仕切ったプロデューサー俊藤浩滋に山根貞男がインタビューしたものです。本書が刊行された2年後に俊藤は亡くなっていますが、劇場公開作として最後の作品となった「残侠」の公開にあわせて刊行されました。

俊藤浩滋は東映やくざ映画史を語る上では最もページ数を費やされるべき存在です。
映画界に入るまではヤクザだった……ということがよく冗談めかして言われますが、冗談ではなくて本当にヤクザだったんじゃないかというような迫力のある親分肌の人物で、鶴田浩二も高倉健も俊藤浩滋がいなければあれほどの大スターにはなり得ませんでした。

東映任侠路線が下火になると「仁義なき戦い」を皮切りに実録路線がスタートします。
「仁義なき戦い」一作目こそはプロデューサーに名を連ねた俊藤ですが、実録路線には否定的でした。あくまで任侠の美学を追求しており、「仁義なき」なんてのはとんでもない、という一貫した姿勢でした。このため、東映では立場がなくなり、同時に任侠映画も滅びます。まさに「残侠」というわけです。本書の終盤は俊藤の思いが溢れており、読んでいて胸が熱くなってきます。

というわけで、任侠映画好きには非常に興味深い内容の本なのですが、不満がないでもありません。
2段組で約300ページというそこそこのボリュームはあるのですが、それにしては非常に内容を薄く感じる。
東映に関するインタビュー本というと、本書の数年後に次々と刊行された「昭和の劇」「映画監督 深作欣二」「遊撃の美学」などがありますが、この辺の大作感が本書にも欲しかったところです。映画一編ずつに対する突っ込みが足りません。
とはいえ、俊藤浩滋をまともに扱った本というのは今のところ本書くらいしかなく、すでに亡くなっているので改めてインタビューすることもできない。つまり、東映任侠映画に関する証言としては唯一無二の本なのです。

そんな貴重な本なのに、単行本が出たきり、一度も文庫化されていないのはどういうわけなのか。
いくら時間が経っても本書の重要性は変わりません。どこか(できれば、ちくま文庫)が拾ってくるくれることを祈っています。

任侠映画伝
俊藤浩滋・山根貞男
講談社




俊藤浩滋の愛人としても知られた銀座マダムの伝記。こっちは文庫にもなって版を重ねています。


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「東映」の歴史を知るための5冊

東映という映画会社は、他社に比べると非常にカラーがハッキリしており、「東宝ファン」や「松竹ファン」にはあまり会いませんが(いないことはないと思いますが……)、「東映ファン」は周りに大勢いて、もちろん筆者もその一人です。
小学生の息子と一緒に仮面ライダーを見に行くと、当然、はじめに波ザッパーンが来て、東映のロゴが大きく現れるわけですが、それだけで「来た来た来た!」と、息子よりも興奮してしまいます。家族で太秦映画村へ行ったときも、一番喜んでいたのは子どもたちよりもパパでした。「トッキュウジャー」で関根勤が「新幹線大爆破」のモノマネをしたと聞いて、子どものために録画していたものを、慌てて保存したりもしています。
世の中にはそんなお父さんが多いのではないかと思いますが、そんな東映ファンのために東映の歴史を知るための本をご紹介します。(リンク先は全てAmazon)

『あかんやつら』春日太一



東映には東京と京都との二つの撮影所がありますが、そのうち京都撮影所の歴史を綴った本です。
時代劇、任侠、実録路線など、東映を代表する映画はほとんどがここで撮影されており、所属する役者・監督・脚本家たちによって強烈な作風が生まれています。
「仁義なき戦い」「日本侠客伝」など、筆者の大好きな映画はほとんどが京都撮影所の作品で(といいますか、笠原和夫が主に京都で仕事をしていたので)、熱い筆致で詳細に描かれたエピソードの数々は感涙のものでした。

『任侠映画伝』俊藤浩滋・山根貞男

任侠映画伝
俊藤浩滋・山根貞男
講談社



筆者が初めて見た東映やくざ映画は「仁義なき戦い」で、『昭和の劇』を読んで笠原和夫に興味を持つようになってからも、しばらくは実録路線や戦争映画ばかり見ていました。
それが突然、任侠映画にハマったのはある日たまたまCSで「緋牡丹博徒」を見てからです。これ一本を見ただけで、一発でファンになり、次から次へと任侠映画のDVDを借りまくる毎日が始まりました。
「緋牡丹博徒」は言わずと知れた藤純子の代表作ですが、この『任侠映画伝』は、藤純子の実父であり、東映仁侠映画のほとんどをプロデュースして一時代を築いた俊藤浩滋のインタビューです。
俊藤浩滋はもともとは映画人ではなく、まあ早い話が元やくざと言ってもよい人物なのですが、抜群の才覚と人望とで撮影所の権力を掌握していました。
笠原和夫などは、この一大帝国への反発から「博奕打ち総長賭博」などの「反任侠映画」を執筆したりしているわけですが、そうは言ってもやはり俊藤浩滋の話は抜群に面白く、興味深いものです。
任侠映画史を語る上で欠かせない本だと思いますが、初版が出たきりでそのまま文庫になっていません。ちくま文庫あたりが収録してくれないものかとずっと待ってはいるのですが、さて。

『波瀾万丈の映画人生』岡田茂



俊藤浩滋は外部から侵入して京都撮影所を牛耳った人物ですが、東映内でエリート街道を歩み続け、最後は社長にまで上り詰めたのが、岡田茂です。俊藤浩滋が活躍した頃は、京都撮影所長でした。
エリートとはいえ、かなり強烈な人物だったようで、笠原和夫や深作欣二の本を読んでいても、岡田茂のエピソードは随所に出てきます。とはいえ、その自伝では、やはり「経営」という視点が重要なものとなり、馬鹿げた映画を面白がって撮っている話だけでは終わりません。監督や俳優たちの書いた本からはわからない東映の歴史を知ることができます。

『シネマの極道』日下部吾朗



日下部吾朗は岡田茂よりも一回りほど若いプロデューサーで、「仁義なき戦い」を製作したことで知られています。「仁義なき戦い」は俊藤浩滋もプロデューサーとして名を連ねていますが、俊藤は「任侠映画の美学」に強いこだわりがあり、実録路線は嫌っていました。「仁義なき戦い」に俊藤の名があるのも名義だけであり、2作目の「広島死闘篇」からは名前が消えています。
「仁義なき戦い」が成功すると、日下部は実録路線を次々放ち、これが下火になると、「極道の妻たち」や宮尾登美子原作映画などをつくります。従来の東映らしい映画作りを全うできた、最後のプロデューサーなのではないかと思います。

『惹句術』関根忠郎・山田宏一・山根貞男

関根 忠郎
ワイズ出版
1995-05

昔は「惹句」という言葉を知らなかったので、鈴木一誌装丁の無茶苦茶かっこいいこの本が出たときには「山田宏一が絡んでいて、こんなオシャレな装丁ならフランス映画の本だろう」と思い込み、手に取ろうとすらしませんでした。
ところが、実はこの本、東映の宣伝部で映画のキャッチコピーを考えていた「惹句師」関根忠郎のインタビューだったのです。そんな本だったのか、と知ると慌てて買ってきて、隅から隅まで堪能しました。任侠映画、ポルノ映画、実録路線、文芸映画と、東映のあらゆる作品に惹句をつけています。
「仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」(昭和残侠伝 破れ傘)
「我につくも、敵にまわるも、心して決めい!」(柳生一族の陰謀)
「盃は騙し合いの道具ではなかった筈だ……!」(仁義なき戦い 代理戦争)
「優作、お前と会うのが楽しみだ! ガッデム、今度は何をやらかすか!?」(ヨコハマBJブルース)
暗記して口ずさみたくなるような名文句が満載の本です。
これも名著なのですが、長らく品切れ状態で残念です。しかしこれは、文庫化よりも、このかっこいい装丁を含めて復刊してほしいな、と思います。

その他、東映関係の名著。


映画監督 深作欣二
深作 欣二
ワイズ出版



遊撃の美学―映画監督中島貞夫
中島 貞夫
ワイズ出版
2004-07


東映ゲリラ戦記 (単行本)
鈴木 則文
筑摩書房









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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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