備忘の都

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モンテ・クリスト伯

「モンテ・クリスト伯」原作とドラマあらすじ比較

4月から始まったドラマ「モンテ・クリスト伯」の放映が終わりました。
筆者は放映が始まった頃に「原作ファンとしてドラマ「モンテ・クリスト伯」を擁護する」という記事を投稿していますが、ドラマが完結したところで、改めて感想を綴ってみたいと思います。
ちなみに、この記事は「ドラマは見たけど、原作は読む予定がない」方を対象にしていますので、平気でネタバレしていきます。

脱獄を描く第2話まではかなり原作に忠実に進んでいたストーリーですが、復讐が始まる第3話から改変が目立つようになってきました。
なかでも、大きなポイントは
・モルセール伯爵(南条)とメルセデス(すみれ)の子が娘になっている(原作は青年)。
・エデ(江田愛梨)のキャラが原作と全く違う。
・アンドレア・カヴァルカンティ(安堂完治)とダングラール夫人(神楽留美)がくっつく。
というあたりです。

順に説明していきましょう。
原作では、ダンテスとの投獄から復讐開始まで20年以上の月日が流れているのですが、ドラマではこの期間が10年ほど短縮されていました。その時点で、モルセール伯とメルセデスの息子・アルベールの存在をどうするつもりだろうと不安になりましたが、結局、ドラマではほぼ完全にアルベール抜きの話になっていました。
原作では、モンテ・クリスト伯はアルベールに近づいて友人となるところから復讐を開始します。これはドラマでも、南条明日花を事故から救うエピソードとして再現されていますが、原作のアルベールは二十歳に近い青年であるため、モンテ・クリスト伯との付き合いはもっと深いものとなり、中盤では準主役と言ってよいほど出ずっぱりになります。
モルセール伯は、主君を裏切って伸し上がったという秘密を持っておりそれをモンテ・クリスト伯によって暴かれます。アルベールは父の過去を知らなかったため、それを暴き立てたモンテ・クリスト伯を恨み、決闘を申し込みます。しかし、その決闘を知った母メルセデスから、父がエドモン・ダンテスをも無実の罪に陥れていたこと、そしてそのダンテスこそがモンテ・クリスト伯であることを知らされ、決闘を放棄。父との縁を切ります。地位を失い、妻と息子からも見捨てられたモルセール伯は自決する、という流れになっています。
アルベールの存在がなくなったことから、南条に対する復讐はドラマオリジナルの要素が目立つようになります。最終的に自殺しようとはするものの、明日花ちゃんのために、という名目で救助され、すみれと本当に別れたのかどうかもハッキリしない描き方です。
演じた大倉忠義は、フェルナン(=モルセール伯)役としてはかなりイメージに近い嫌な野郎ぶりを発揮していましたが、エピソードとしては原作から最も遠いものになっていました。

エデは原作では元王女という扱いです。フェルナンの裏切りによって父を失い、奴隷の身分になっていたところをモンテ・クリスト伯に買われました。
このため、モンテ・クリスト伯はエデを常に「奴隷」と呼びますが、エデは伯爵を慕い続け、最終的には伯爵もエデに対する自分の想いに気がつき、最後に二人は結ばれるというハッピーエンドを迎えます。
ドラマの江田愛梨は、立場は原作と同じですが、復讐計画実行のために奔走する活動的な女性として描かれています。王女様的な優雅さや儚さは微塵もありません。この辺は原作ファンとしてはちょっと残念なところでした。
最終回では、暖がすみれに結婚を申し込むため「ええ!愛梨さんはどうすんの!?」とかなり驚きましたが、ラストでは愛梨さんと結ばれていることが(遠景ではありますが)描かれていましたね。
とはいえ、原作のエデは「ここまで慕ってくれる女性を捨てたらバチが当たるだろ」というくらいモンテ・クリスト伯に尽くし続けるのですが、ドラマでは復讐のための同志として一時的に手を組んでいるだけ、といった雰囲気もあり、本当の愛情があるのかどうか、あまり深く描いていませんでした。原作を知らない方にはラストシーンがちょっと唐突に映ったのでは、という気もします。

アンドレア・カヴァルカンティ(安堂完治)を巡るエピソードは最も改変が大きかった部分ですね。
ヴィルフォール(入間公平)とダングラール夫人(留美)とのあいだに生まれた私生児で生まれてすぐに捨てられたところをベルトゥッチオ(土屋)に拾われる、という出自は原作を全くそのまま再現していますが、留美とくっつくというところは原作からかけ離れています。
原作では、ベルトゥッチオの姉に育てられますが、不良少年として育ち悪事を重ねています。モンテ・クリスト伯によって貴族の嫡男に仕立て上げられ、ダングラールの娘と婚約するものの、正体に気づいてゆすってきたかつての悪友・カドルッスを殺害したことがバレて逮捕されます。そして、この裁判の席でヴィルフォールの悪事を暴露することになるのです。
ダングラール夫人とは婿と姑という関係であり、原作ではほとんど絡みません。(ついでに言えば、ダングラール嬢も高慢な女性でアンドレアを軽蔑しています)
この辺は原作通りの展開でも面白かったはずなのになあ、と思います。親子での近親相姦という気味の悪いエピソードに作り変えた意図がよくわかりませんでした。

さて、以上は改変部分でしたが、原作に忠実に進行したのがヴィルフォール(入間公平)に対する復讐です。
マクシミリアン・モレル(守尾信一朗)とヴァランティーヌ(入間未蘭)との恋愛も原作通り。ヴィルフォール夫人が毒殺魔として暗躍するのも同じ(殺される相手が微妙に違いますが)。また、ノワルティエ(入間貞吉)が全身不随でありながらも、ヴァランティーヌを救うために活躍するあたりのやり取りも、だいたいすべてが原作通りです。
南条、神楽が原作よりもヌルい対応で終わるのに対し、入間だけは唯一、原作通りの末路をたどることになります。
発狂して庭に穴を掘り始めるところも同じですが、原作では子どもの死体を探すために掘っているのに対し、ドラマでは奥さんを埋めるために掘っていました。違う点はそのくらいです。

原作はこのドタバタ騒動を生き延び、愛する者同士で結ばれたマクシミリアンとヴァランティーヌが、モンテ・クリスト伯の手紙の一文「待て、しかして希望せよ」という言葉を胸に、未来へと希望を抱くシーンで幕を閉じます。
ドラマもラストはこのイメージ通りに締めくくられ、原作ファンとしても「まあなんだかんだあったけど、良い終わり方だった」とスッキリした気分で見終えることができました。






ドラマのDVD、Blue-rayが11月に発売されるようです。



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ドラマ「モンテ・クリスト伯」登場人物名は原作をどう生かしているか。

ドラマ「モンテ・クリスト伯」について、前回の記事(原作ファンとしてドラマ「モンテ・クリスト伯」を擁護する)は第2回までの感想でしたが、第3回も原作ファンもニヤリとさせるシーン満載で、とても楽しめました。

その話の前に、登場人物名について気づいたことを書いてみます。
19世紀フランスを舞台にした原作を現代日本へ置き換えるに当たり、役名はもちろん全員、日本名になっていますが、なかなかうまく原作の人物名を活かしています。(原作の名前の表記は翻訳によって違うため、ここではWikipediaに準じています)

エドモン・ダンテス  → 柴門暖(さいもんだん
ファリア神父  → ファリア真海(ふぁりあしんかい)
フェルナン → 南条幸男(なんじょう)
ダングラール → 神楽清(かぐら
ィルフォール → 入間公平(いるま)
ノワルティエ → 入間貞吉(いるまていきち)
モレル → 守尾(もりお)
カドルッス → 寺角類(てらかどるい)
ベルトゥッチオ → 土屋(つちや
エデ → 江田愛梨(えだ

ということで、原作の名前から何文字か引用しつつ、現代的な名前をつけています。この辺、原作ファンとしてはニヤニヤしっぱなしです。
で、肝心のメルセデスはというと「すみれ」。
ぜんぜんかぶってないやんか、と言いたくなりますが、名字が「目黒」

ルセデス → 目黒すみれ(ぐろ)

一文字だけですが、なんとかクリアしています。

このように、登場人物表を作って見るだけで、いかに原作をきちんと追いながら話を進めているかがわかります。
第3回も原作のエピソードを細かく組み直して、よく気を配っていました。ディーン・フジオカ好きの妻は「急に話が怖くなった」と言っていましたが、怖いポイントはほぼ原作通りなのです。

まず、冒頭のボートでの遭難は、原作ではフェルナンの息子・アルベール(青年)が山賊のヴァンパにさらわれるエピソードが該当します。モンテ・クリスト伯によって救出され、アルベールがお礼に自宅へ招き、そこで伯爵はフェルナン、メルセデスと再会します。
ドラマには、すみれの登場を待つ間、壁に貼られている似顔絵を眺めるシーンがありますが、これは原作でも壁にかけられた肖像画を見て、現在の姿を想像するシーンがあり、これを再現したものです。
入間の妻がアレルギーの発作を起こすシーンは、原作ではヴィルフォールの妻が乗った馬車が暴走するエピソードに該当します。
入間が神楽の妻とのあいだにできた子を庭へ埋め、それを土屋が目撃していたというエピソードは原作そのままです。

さて、原作と異なる点は晩餐会のメンバー。原作では南条(フェルナン)は参加しておらず、その他の人物が何人が招待されています。
また、江田の役柄は、原作で伯爵の手足となって動き回っている何人かの手下の役を一人にまとめているようです。原作でも復讐のために重要な役目を務めますが、それよりも伯爵に寵愛される愛人という印象の方が強いです。
この辺、どのような意図があっての改変なのか、今後の展開に期待です。

なお、晩餐会では魚料理が出ていましたが、原作でもここで出された料理は魚です。こんな細かいところまで原作へのリスペクトが感じられて、原作ファンとしては嬉しいところです。

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原作ファンとしてドラマ「モンテ・クリスト伯」を擁護する

4月19日から放映の始まったドラマ「モンテ・クリスト伯」。
以前にこちらの記事で書いたように大好きな小説なので、ドラマもどんな出来なのか見てみました。
これはなんと、ビックリするくらい原作に忠実ですね。
いや、舞台を現代の日本へ置き換えている時点で「忠実」とは言えないかも知れませんが、舞台や人物の設定以外は、原作へのリスペクトが感じられ、とても好感を持ちました。

ところが、ネットで感想を見ているとあまり評判は良くないようです。
Googleで「モンテ・クリスト伯」と検索すると、小説ではなくドラマの情報ばかりヒットする状況ですが、並んでいるのは
「『モンテ・クリスト伯』支離滅裂すぎでもはやギャグ」
「ディーン『モンテ・クリスト伯』初回5.1%! 「想像を絶するダメ演技」と酷評相次ぐ」
なんていう記事が目立ちます。
これはまずい!
せっかく見始めたドラマが打ち切りになってはたまりません。
というわけで、緊急で擁護する記事を投稿することにします。(ちなみに第2話まで見た時点での感想です)

まず、視聴者の多くが突っ込んでいる最大のポイント。
投獄前と脱獄後とで、全然顔が変わっていないのに、誰も暖に気づかないのはおかしい、というもの。
はい、これは、確かにそのとおりです。弁護の余地なし。
……と言ってしまうと話が終わってしまうのですが、しかし考えてみてください。
第2話以降、ディーン・フジオカがずっと老けメイクをしていたとしたら、そんなドラマ見たいですか?
ドラマに求められるのはリアルな描写ではありません。主演スターのファンを満足させることも重要です。となると、それぞれの場面に適したディーン・フジオカの「かっこよさ」を引き出すことが優先されます。
暖が守尾社長のもとを訪れ、なんとか自分に気づいてもらおうと話を振るのに全く気づいてもらえない……というシーンをもって、「親しい人にもわからないくらい変貌している」というエクスキューズは済ませています。したがって、視聴者にはその事実を前提として受け入れ、余計な突っ込みをしないことが求められるわけです。
皆さん、ぜひ次回以降は「暖の容貌は変わってしまった」という事実を受け入れた上でドラマをご覧ください。

次に、やはり現代日本を舞台にしていることへの違和感。
これもしかし、筆者としてはむしろ、かなり頑張って変換していることに感心しました。
「ナポレオンの手紙」が「テロリストの手紙」に。
実際、19世紀フランスの王党派にとって、ボナパルト党はテロリストだったんでしょう。
ナポレオンの手紙は、受取人であるノワルティエ氏の息子・検事代理のヴィルフォールによって燃やされますが、ドラマでもヴィルフォールに該当する入間公平がライターの火で燃やしてしまうので、「おお、ここまで再現!」とちょっと感動しました。
現代日本においては、土牢に十年以上も放り込まれたあげく、さらにそこから脱出するなんていう展開は全く不可能ですが、テロ事件に関係したとして他国へ送致されたとなると、まああり得なくもないでしょう。いや、あり得ないか。

獄中で出会うのはファリア神父ですが、やっぱり神父が出てくるんだろうか、と思っていたら名前が「ファリア真海」! これも原作へのリスペクトと言えます。
脱獄方法も原作と全く同じ。
ただ、細部では少し異なる部分があります。
原作では、神父の死体を自分のベッドへ寝かせて身代わりにしますが、ドラマでは穴の中のまま。これでは、看守に見つかってしまうのでは、と少し心配になりました。
原作では海へ投げ込まれる際、重りは縄で足に結ばれていますが、ドラマでは鉄の鎖。よくぞ息が切れる前に外せたもんです。
……と、いろいろ書いていると擁護記事でなくなってきそうですが、そういう細かいところ以外は、現代的な形に変換しつつも正確に原作をなぞっていて、感心しています。

原作では財宝はモンテ・クリスト島の洞窟に隠されており、これを探し出すだけで100ページくらい費やしていますが、ドラマではシンガポールの銀行へ行って、暗証番号を伝えるだけであっさり受け取ってしまいます。まあ、この辺は長い原作を適度に端折るためには許容範囲内かと思います。
守尾社長への恩返しも、原作では非常に劇的な展開をしますが、ドラマではあっさり。とは言え、これはエピソードとしてちゃんと挿入しているだけでもエライもんです。
事件の真相も、獄中で神父が推測した話を、脱獄後にカドルッスに会って確認しますが、ドラマでも同じく、寺角が真相を語ります。なかなか細かいところまで気を配っています。

第2話の終わりではクルーザーに乗って姿を現し、正体不明の財力を見せつけます。
この「クルーザー」、単に金持ちの象徴として出てきているわけではありません。
原作でも、帆船を買い取り、それを乗り回しているのです。そこを再現しているものと思われます。

さて、次は第3話。いよいよ復讐の幕開けです。
原作の面白さは、緻密に計算された復讐の段取りと、それを叶えるために湯水のように金を使っていくゴージャスさです。無尽の財力で敵を追い詰めていく姿が、読者には「痛快」と映ります。
この辺はドラマでも期待できそうです。
ただ気になるのは、原作では投獄から復讐の開始まで23年も経っているのですが、ドラマでは14年です。
フェルナンとメルセデスのあいだに出来た息子・アルベールは青年に成長していますが、ドラマで南条とすみれとのあいだに生まれた娘(息子じゃない!)は、まだ子供と思われます。
アルベールほどガッツリと伯爵にからむわけにいかないので、その辺、どうするつもりなんだろう?

もしかすると第3話以降で急に原作から離れていってしまうかも……という不安を抱きつつも、今のところはかなり楽しんで鑑賞しております。





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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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