備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

エラリー・クイーン

「Yの悲劇」が横溝正史へ与えた影響とは?

201706獄門島094

※ご注意※今回の記事は「Yの悲劇」「獄門島」のネタに触れています。未読の方はただちに画面を閉じてください。

海外ミステリの人気投票で長らく1位が指定席となっていたエラリー・クイーンの「Yの悲劇」。
筆者は実は読む前に、故人のシナリオに基づいて犯人が事件を起こす、というネタを知っていました。
中学生の頃のことで、どういった経緯でこれを知ったのか忘れてしまったのですが、その時に「それって獄門島と同じでは?」と思ったことはよく覚えています。
今回はその辺の話を書いてみます。

筆者は本編を読まずにネタを知ったので、トリックの骨格が共通していることにすぐ気づいたのですが、逆にネタを知らずにふつうに読んで、「こいつが犯人だったとは!」ときちんと驚いた経験を持つまともな読者だと、この点に気づいている方が少ないように感じています。
筆者は周囲のミステリ好きに「獄門島」と「Yの悲劇」との共通点について語って、怪訝な顔をされたことが何度かあります。(なお、筆者は横溝正史の有名作品をほとんど読み終えた頃に「Y」のネタを知り、さらに数年経ってから本編を読みました)

しかし、実はこの犯人像については、横溝正史本人も発想の原点が「Yの悲劇」であることを認めているのです。
小林信彦による、横溝正史へのインタビューを構成した「横溝正史読本」はネタバレを忌避せずにガンガンと話を突っ込んでいる好著ですが(以前にこちらの記事でも紹介)、その中に、「獄門島」の「気違いじゃが仕方がない」というネタは「Yの悲劇」の「マンドリン」を自己流でやってみたもの、という発言があります。
マンドリンというのは、故人の書いたシナリオにある「鈍器」という記述を実行犯が「楽器」と勘違いする、というものですが、「気違いじゃが仕方がない」は、やはり故人の書いたシナリオの指示に実行犯が納得していないという話です。
横溝正史はこの構図を面白がって、自作へ取り入れていたわけなのです。
「気違いじゃが仕方がない」というセリフは国内ミステリ史上、最高のセリフではないかとまで評価されているものですが、このように発想の元ネタがあるものでした。

この点以外にも、横溝正史ファンが「Yの悲劇」を読むと、いたるところに横溝正史作品を彷彿させる部分が見られ、興味深いものです。
まず、ヨーク・ハッターが簡潔な遺書をのこして自殺し、しかし、その後連続する事件にヨークの影が感じられる、という展開はモロに「悪魔が来りて笛を吹く」の椿子爵とかぶると言ってよいでしょう。
また、中盤にあるエミリー・ハッターの遺書発表シーン、それに続く一族の反応は「犬神家の一族」そのままです。(「Yの悲劇」の遺書発表シーンが物語にとって必要だったのかどうか、筆者はいまいちよくわからないのですが……)

ところで筆者は、このような点を指摘して「獄門島」をはじめとする横溝正史作品の価値を貶めたいわけではありません。
逆に、元ネタあるとわかってもなおかつ、これは偉大な業績なのです。
ミステリとは、先立つ作品からの引用、オマージュによって連綿と紡がれてきたジャンルです。「Yの悲劇」の各ポイントに注目して、それを上回るインパクトを持つ描写へ転換したことは、横溝正史の功績というべきです。

さらにいえば、当時のミステリ作家はネタの流用をあまり問題視していません。
前述の「横溝正史読本」では、「マンドリン」のくだりに続いて、実行犯のトリックはカーの諸作から発想した、という話をしています。
悪びれることなく語っていますので、横溝本人もネタの流用をまるで気にしていないことが伺われるどころか、「わたし流に訳しているんです」という発言までしています。
また、別のエッセイ集「真説金田一耕助」では、クリスティが「そして誰もいなくなった」においてマザーグースの見立てをしているのを読み、「クリスティがヴァン・ダインの真似をして許されるなら、自分もやろう」と考え、「獄門島」の俳句への見立てを考えたという話も回顧しています。(「真説金田一耕助」については、以前にこちらの記事

海外ミステリの有名作からネタをいただくのは、戦前から活躍している探偵作家にとっては「当たり前」のことだったようです。乱歩も同じようなことを多くの作品でやっています。
当時の読者は現代ほど海外ミステリに親しんでおらず、海外ミステリからのネタの流用は、当時の作家にとってはいわば「翻訳・紹介」の延長上にあったと思われます。

横溝正史はカーのファンであることは公言しており、作風にも濃厚に現れています。
一方、クイーンについてはあまり言及していないにもかかわらず、注意深く観察すると、作品の根幹にかかわる部分にはクイーンの影響が強く現れていることがわかります。
ほかにも例をあげられると面白いと思いますが、詳細に語り始めると筆者の手に余る仕事になるので、とりあえず「Yの悲劇」からの影響を指摘できたところでオシマイにします。

関連記事:
横溝正史エッセイ集 番外編『横溝正史読本』
横溝正史エッセイ集 その4『真説 金田一耕助』
「犬神家の一族」は本格か?
横溝正史「悪魔が来りて笛を吹く」の舞台をGoogleストリートビューで巡る

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エラリー・クイーンのジュブナイルミステリ

かなり昔、ハヤカワ文庫には「Jr」という分類があり、エラリー・クイーンのジュブナイルが収録されていました。
Wikipediaによれば、クイーンのジュブナイルは以下のようなラインナップとのことです。

エラリー・クイーン・ジュニア名義の作品
  • 1941年 黒い犬の秘密 The Black Dog Mystery
  • 1942年 金色の鷲の秘密 The Golden Eagle Mystery
  • 1943年 緑色の亀の秘密 The Green Turtle Mystery
  • 1946年 赤いリスの秘密 The Red Chipmunk Mystery
  • 1948年 茶色い狐の秘密 The Brown Fox Mystery
  • 1950年 白い象の秘密 The White Elephant Mystery
  • 1952年 黄色い猫の秘密 The Yellow Cat Mystery
  • 1954年 青いにしんの秘密 The Blue Herring Mystery
  • 1966年 紫の鳥の秘密 The Purple Bird Mystery (邦訳は早川書房 HMMに連載のみ。単行本・文庫なし。)
    (上記ジュナの冒険シリーズの他に、エラリー・クイーン・ジュニア名義の児童向けミステリ小説が2作あるが日本語未訳である)

  • 現在は、いずれもかなり入手困難な状況で、筆者も古本屋では時々見かけますが、一冊も読んだことはありません。
    よくよく見ると「クイーン・ジュニア」とあることからわかる通り、クイーン作、と謳っているはいえ、実際にはこれは別の作家による代作だということで、今後再刊されることはなかろうと思っていました。

    ところが、今年の夏に角川つばさ文庫という、児童向け文庫から「見習い探偵ジュナの冒険」という本が出ました。
    ハヤカワ文庫版とは全くタイトルが異なりますが、「緑色の亀の秘密(The Green Turtle Mystery)」の新訳です。



    さて、何の説明もなく、しかもシリーズの3作目から刊行されたため、「果たしてシリーズを続けるのか?これ一冊で終わりなのか?」と全国のクイーンファンが注目していたところ、年明けに2冊めが出ました。
    見習い探偵ジュナの冒険 黒い犬と逃げた銀行強盗 (角川つばさ文庫)
    エラリー・クイーン 作
    中村佐千江 訳
    (リンク先はAmazon)


    タイトルからわかる通り、一作目の「黒い犬の秘密(The Black Dog Mystery)」です。

    こんな表紙で出されるとコレクションしづらい、という意見もあろうかと思いますが、このまま順調にいって全てが訳されると本邦初の単行本がこんな表紙で出てしまう可能性もあり、目が離せない状況です。
    ちなみに、少なくとも一冊目をパラパラと見た限りでは、解説はついていないため、代作というような作品に関する情報は全くありません。また、完全訳なのかどうかもよくわかりません。さらに、今後もシリーズが続くのかどうかもわかりません。
    まあしかし、こういうちょっとしたうさん臭さが、かつての偕成社ミステリがそうであったように、児童向けミステリの魅力でもあるでしょう。

    原作は洋書で入手可能です。


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    筆者:squibbon
    幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
    好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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