さて、前回の記事に引き続き、竹本健治「ウロボロスの基礎論」について。
先月、「偽書」の新装版文庫が出たときには特に何もコメントしていないにも関わらず、なぜ「基礎論」だけ騒いでいるのかというと、理由があります。文庫化を待望していたのです。
筆者が初めて読んだ竹本健治作品は、実は「ウロボロスの偽書」でした。
1991年に単行本が出てすぐに読んだので、高校1年のときです。
国内現代ミステリを本格的に読み始めたのが中学2年(1989年頃)で、高校受験を挟み、ミステリ界の状況がようやくわかってきた段階でした。
それ以前から、文春文庫「東西ミステリーベスト100」で紹介されていた「匣の中の失楽」の作者として竹本健治さんの名は知っていましたが、ちょうどこの頃は「匣」もゲーム三部作も、全てが入手困難で読めない時期だったのです。(平成元年の消費税導入の影響と言われていますが、あらゆる文庫の旧作が絶版となり、角川文庫の横溝正史、鮎川哲也、仁木悦子などの名作が一気に棚から消え、加えて現役作家である竹本健治、泡坂妻夫あたりも、初期作はほとんど入手不可。この状況は数年で解消しますが、たまたまそんな時期にミステリを読み始めてしまったわけです)
そんなわけで、「匣」を古本屋で探し回ってはいたものの見つからず(実は未だに旧講談社文庫版は見たことがなかったりします)、竹本作品に触れることなく過ごしていました。
そんなところへ、「偽書」が刊行されたわけですが、なんと島田荘司大先生が登場しているというではありませんか。
当時の筆者にとっては「島田荘司=神」。
寝ても覚めても島田荘司のことしか頭にないというくらい熱中し、エッセイまで含めて全著作をことごとく読み尽くしていたため、「偽書」の広告を見て「これは買わなくっちゃ!」と走って買いに行きました。
そんなわけで、「ウロボロスの偽書」は非常に楽しみながら読んだため、93年に「臨時増刊小説現代」で続編「ウロボロスの基礎論」の連載が始まると、これまたミーハー魂全開で読み始めました。
しかし、これはやはりちょっとふざけすぎ……と思ってしまったんですよね。
連載中に掲載誌のタイトルが「メフィスト」と変わりましたが、そのまま連載は最後まで追いかけていました。しかし、単行本が出たときには「偽書ほどではないし、連載で全部読んだから、見送ってもいいや」と考え、そのまま買わずに済ませてしまいました。
当初は「ウロボロス」シリーズはこの2冊で終わりだろうと思っていたため、それで良かったのですが、しばらくするとまた「メフィスト」で「ウロボロスの純正音律」の連載が始まりました。
しかも、この連載の長いこと長いこと。足掛け8年ほど「まだやってるの?」というくらい長期間連載され、この間にいつしか「メフィスト」を買う習慣もなくなってしまったため、これは完結後に単行本を買って読みました。
これがものすごい大傑作! シリーズで一番だと思いました。
そうなると悔やまれるのが「基礎論」の単行本を買っていなかったこと。久しぶりに読み直そうか、と思ったときには読む術が無くなっていたのでした。
そんなわけで、個人的には約25年ぶり、懐かしさに満ちた再読となったわけです。
改めて読んでみると、連載で読んでいたよりはるかに「ちゃんとした小説」という印象を持ちました。
こんなめちゃくちゃな雰囲気なのに、通して読むと冒頭から結末まで筋が通った展開で、意外にも、というと失礼かも知れませんが、作者がきちんとした構想を持って書いていたことがよくわかりました。
いや、連載で読んでいたときは、本当にエッセイのようにしか読めなかったんです。
割り込み原稿も、小野不由美のマンガや法月綸太郎の田中氏への反撃など、ライブ感がありすぎて小説作品の一部という雰囲気は全くありません。
しかし、年数が経ち、パッケージされたものを読むと、これはこれで実験的な小説の一部と納得できるようになってきました。
また中井英夫の死について綴った部分も、日記のつもりで読んでいましたが、改めて読み返すと、タイミング的には、むしろ中井英夫の死によってこの物語が起動したのでは、という印象すら持ち、物語の重要なピースと感じました。
年数が経ってから再読できたおかげで印象がかわり、とても楽しめました。
今回の文庫化で嬉しかったもう一点。単行本の帯に掲載された登場人物からの寄せ書きがオマケで収録されているところ。山口雅也さんの「人間が描けていない」という一言に、初刊当時はかなりウケました。作中にもありますが、当時は「人間が描けていない」というのが流行り文句だったんです。
考えてみると、最近はあんまり聞かないですね、この言葉。
あまり聞かなくなったという言葉と言えば、「やおい」という言葉も。20年くらい前は「やおい」とか「耽美」とか言われていたのです。その手の漫画や小説は。
いつの間にか「BL(ボーイズラブ)」と言葉に取って代わられました。全然興味のない分野なのでどう呼ばれていても全く構わないのですが、個人的には「BL」の方が意味がわかりやすく、ニュートラルな語感なので、初めて聞いたときにはちょっとホッとした(?)記憶があります。特に「耽美」という単語が文芸の世界において、このジャンルに乗っ取られているのは違和感ありまくりだったので。
どうでもよいことをいろいろ思い出しました。
ついでに……
たまたま文庫版巻末の目録に誤植を見つけたのでつぶやいたところ、ご本人からコメントをいただけたので、貼っておきます。
そんなことあるかいな…あ、ほんまや。 https://t.co/90kZxGBvJV
? 竹本健治 (@takemootoo) 2018年5月20日
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