備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

ストリートビュー

乱歩ストーカー Googleストリートビューで江戸川乱歩の足跡をつけまわす

20170513貼雑年譜078

生誕の地から、多磨霊園の墓所まで、乱歩の足跡をストリートビューで辿ってみたいと思います。
乱歩は生涯で46回も転居したと言われていますが、それぞれの居住地を探すのは非常に容易です。というのは乱歩のスクラップブックとして有名な「貼雑年譜」に住所と地図上の位置、さらにはそれぞれの家の間取りまで詳細に書き込んであるからです。
「貼雑年譜」やエッセイなどを手がかりに、ストーカーのように乱歩のあとを追ってみます。

まず、生誕地は三重県名張市にあり、記念碑が建っています。もともと名張の家系だったわけではなく、仕事のため父が赴任していた地で生まれたものです。
生誕記念碑が建てられたのは乱歩の生前のことで、20年以上前に筆者が訪れた時(没後30年頃)は民家脇にひっそりと存在したように記憶していますが、現在は広場として整備されているようです。
路地の中にあるため、ストリートビューで見ることはできません。

生誕地
乱歩生誕の地

父の転居に伴い、乱歩は少年期を名古屋で過ごします。
通っていた白川尋常小学校は、その後、周辺の学校と統合され、現在は名古屋市立栄小学校となっています。
白川尋常小学校と現在の栄小学校との立地は少し離れており、白川尋常学校があったのは現在の白川公園内、名古屋市立美術館の裏手あたりということです。尋常小学校の卒業生によって「白川小学校ありき」という記念碑があるようですが、ストリートビューでは見つけられませんでした。


白川尋常小学校が立地したあたり(現在、白川公園内の名古屋市立美術館周辺)


名古屋市立栄小学校(旧白川尋常小学校)

小学校を出ると、愛知県第五中学校へ進学します。現在の愛知県立瑞陵高等学校です。
五中時代に支那密航を企てて停学を食らったという話が、「貼雑年譜」にありますが、五中の生徒で停学処分を受けた第一号が乱歩なのだそうです。


愛知県立瑞陵高校(旧制第五中学)

早稲田大学に入学のため、上京し、卒業後は職業を転々とします。現在でいうフリーターのような状態です。
やがて鳥羽造船所の社員となり、三重県の鳥羽へ赴きます。鳥羽時代は乱歩の生涯でも重要な時期であり、エッセイなどでもたびたび鳥羽の思い出に触れています。
奥さんと知り合ったのもこの頃で、また造船所の寮で日中から押入れの中に籠もり夢想したことが、後年の「屋根裏の散歩者」の原点となりました。「パノラマ島奇談」の舞台は志摩とされ、鳥羽からもう少し先へ行った志摩半島のリアス式海岸の風景が作品に活かされています。
鳥羽でも何度も転居していますが、押し入れに籠もっていたという造船所の寮は、鳥羽城址にあったようです。城山の真下に造船所がありましたが、現在その場所は鳥羽水族館となっています。


鳥羽城址より鳥羽水族館を望む(旧鳥羽造船所)

乱歩の兄弟が古本屋を始めるということで鳥羽から東京へ呼び戻され、団子坂上で「三人書房」という古本屋を始めます。その跡地も特定されています。
なお、「D坂の殺人事件」の舞台、D坂は団子坂がモデルです。


古本屋「三人書房」跡地(現在はコインパーキング)

作家デビューの前後は、大阪府守口市近辺を転々としていました。デビュー時は失業していましたが、その後、大阪毎日新聞に営業部員(広告取り)として入社し、守口から京阪電車で通勤していました。デビューしてからしばらくの初期短編は守口で執筆されています。
そのうちの一軒、「心理試験」「D坂の殺人事件」などを執筆した当時の住居は「江戸川乱歩寓居の跡 明智小五郎誕生の地」として碑文があります。執筆に使っていたのは住居の隣家の二階で、近年までその部屋は残っていました。
乱歩が通勤に使っていた京阪守口市駅周辺は、現在は高架となっていますが、当時は枕木を使用した柵で線路が囲われていました。その光景から「D坂の殺人事件」の視覚トリックを着想したのは有名な話です。


守口市の江戸川乱歩寓居の跡(カレー屋さんの裏あたり)


京阪守口市駅


堂島アバンザ(作家デビュー後に勤めていた大阪毎日新聞の跡地。大阪毎日新聞社屋の正面玄関がモニュメントとして残っています)

作家専業となり上京した後、乱歩はたびたび断筆・放浪を繰り返します。
最初の断筆の際、奥さんに早稲田で旅館下宿を始めさせました。その跡地は、現在は介護老人保健施設となっています。


旅館下宿「緑館」跡地(現在は介護老人保健施設)

最後に「乱歩邸」として有名な池袋・立教大学隣の邸宅には昭和9年に引っ越しました。ここが乱歩の永住の地となります。


旧江戸川乱歩邸

乱歩は昭和40年に亡くなり、多磨霊園へ葬られました。広大な霊園ですが、区画さえ知っていれば、地図を頼りに誰でも墓参できます。
霊園の中へもストリートビューで入り込めますが、乱歩の墓にはたどり着けませんでした。


多磨霊園(この奥に平井家の墓所)

以上、その気になれば46回の転居すべてを追跡することも可能なのですが、キリがないのとあまり面白くもないため、乱歩の生涯において重要であった地点をピックアップして紹介してみました。
乱歩作品に登場する地名や風景には、実体験の影響が少なからずあったことがおわかりいただけるかと思います。



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映画「悪霊島」のロケ地をGoogleストリートビューで巡る

20170512悪霊島077

今回は横溝正史原作の角川映画「悪霊島」(1981年:篠田正浩監督)のロケ地を探してみたいと思います。
70年代後半から大量に作られた横溝映画の中で、個人的には最も気に入っているのがこれです。
鹿賀丈史の金田一耕助が抜群に好きなのですが、とはいえ、この映画の感動の半分以上はラストに流れるビートルズ「Let it be」に負っているようにも思います。その点で、現在販売されているDVDでは、他アーティスト歌唱バージョンへ差し替えられているのが残念でなりません。
ビートルズの著作権がいつ切れるのかよく知りませんが、そのときには真っ先にこの映画の劇場公開版をソフト化すべし、と考えています。それまで頑張って生きるぞ!

それはさておき、ストーリーの説明抜きで、どんどん行きます。

冒頭、新宿の高層ビル群。写っているのは新宿三井ビルディングと、その奥に新宿野村ビルです。
screenshot000001新宿

メインタイトル。男性が落下している崖は瀬戸内海の島ではなく、日本海に浮かぶ隠岐島の摩天崖です。
screenshot001002摩天崖

隠岐の摩天崖で撮影したシーンは劇中に多々あります。例えばこの辺です。
screenshot000screenshot006

また冒頭付近へ戻って、金田一耕助と磯川警部が再開するシーン。岡山県笠岡港のフェリー乗り場です。金田一がもたれている石柱は今も健在で、その横に観光案内板もあります。
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モグリの産婆が殺された現場。広島県竹原市の町並み保存地区です。さすが、今も撮影当時のまま保存されています。
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刑部島の港。瀬戸内海の大崎下島です。これも、撮影当時から全く変わっていません。
screenshot021


さて、一気に終盤へ飛んでしまいますが、鍾乳洞。これは岡山県新見市の満奇洞です。ストリートビューでは見られませんが、ネットで検索すると洞内の写真はいくらでも見られます。他サイトから引用するわけには行かないので、実際の景色は省略します。
screenshot004
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というわけで、あっという間に、ラストシークエンスですが、まずは主人公の乗る警察車両の前を横切る金田一耕助。笠岡港フェリー乗り場のすぐ近くです。
screenshot008


最後の、遠ざかる金田一耕助の後ろ姿。これは確実にこの場所だという根拠はないのですが、周りのお店の名前などから調べて、恐らくこの位置だろうと思います。やはり笠岡港フェリー乗り場すぐ近くの路地です。ストリートビューでくるっと振り向いていただくと、冒頭で金田一耕助もたれていた石柱が見えます。
劇中での金田一耕助の動きとも一致している場所です。
今回ご紹介した中で、最も景色が変わっているのはこのショットですね。
screenshot007


何の説明なく非常に駆け足で進めてしまいましたが、このページを見ているのは方は当然、映画「悪霊島」をご覧になっているはず、という前提で画像やストリートビューのリンクだけ掲載しました。
西日本中心とはいえ、かなり広い範囲でシーンごとに異なる場所でロケをしており、複雑な撮影をこなしていたことが伺えます。
例によって、撮影場所を特定できないものもたくさんあり、それらは省略しています。劇場公開時のパンフレットには、ロケ地がいくつか明記されており、その一つとして金田一耕助が野犬に襲われるシーンの撮影は滋賀県の余呉で行われたとあります。しかし、山中ということもあり、場所は見当もつきません。

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金田一耕助映画のサウンドトラック

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悪霊島(下) (角川文庫)
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横溝正史「悪魔が来りて笛を吹く」の舞台をGoogleストリートビューで巡る

20170510悪魔が来りて笛を吹く075

金田一耕助シリーズは岡山物と東京物とに分かれています。
「獄門島」「八つ墓村」など、知名度抜群の作品は磯川警部が登場する岡山物に多いのですが、「悪魔が来りて笛を吹く」は、等々力警部が登場する東京物の代表作です。
というわけで、主な舞台は東京ということになるのですが、この小説では金田一耕助が事件の手がかりを求めて神戸の須磨まで出張し、さらに淡路島へ渡ります。
横溝正史は神戸の出身であり、いろんな作品の中でちょこちょこと神戸の地名は登場しているのですが、金田一耕助がガッツリと神戸を歩き回るのは本作くらいで、そういう意味でなかなか貴重です。
というわけで、大好評のストリートビューシリーズ、今回は「悪魔が来りて笛を吹く」です。

まず冒頭。銀座の宝石店を襲う「天銀堂事件」が描かれます。
舞台は銀座となっていますが、これは昭和23年に発生した「帝銀事件」をモデルにしています。「八つ墓村」で津山事件をモデルにしたように、実際の事件を取り入れているわけです。
帝銀事件は有名なできごとなので今さら説明不要かと思いますが、事件の舞台となったのは豊島区長崎の帝国銀行椎名町支店です。



この支店は西武池袋線椎名町駅を降りてすぐの、このあたりにあったのですが、今は全くの住宅街に埋もれ、痕跡は何もありません。筆者は10年以上前に、物好きにもこの辺を散歩してみたことがありますが、特に感慨を抱くようなものは見当たりませんでした。

さて次に、椿子爵の邸宅は次のように記述されています。

 六本木の交叉点から霞町のほうへくだる坂の右側に、千二百坪ばかりの地所をしめている。

六本木

「霞町」という地名は現在ありませんが、横溝正史の記述通り、六本木から坂を下ったあたりがかつては霞町と呼ばれており、今も周辺のビル名や店舗名に「霞町」という表現が残ります。
したがって、椿子爵の邸宅は、今では六本木ヒルズと東京ミッドタウンとに囲まれている地域、おおむね六本木7丁目から西麻布1丁目の一角にあったということになります。
この周辺は六本木ヒルズを含む再開発で、地形まで変わってしまっていますが、元は大名屋敷が立ち並び、明治に入ってからはそれらの土地がそのまま華族の邸宅となっていたようです。

さて、次は一気に「金田一耕助西へ行く」。「須磨明石」の章です。

 東海道線が二時間以上もおくれて神戸へ着いたので、それから省線で兵庫までのし、そこからさらに山陽電鉄で須磨までいって、須磨寺の池の近所にある三春園という旅館へ、金田一耕助と出川刑事が落ち着いたのは、十月三日の午後一時過ぎのことだった。

この記述も若干の解説が必要です。
「神戸へ着いた」という「神戸」は、神戸市を指すのではなく、現在のJR神戸駅のことです。
神戸市の現在の中心駅は三ノ宮駅(阪急や阪神は「三宮」と表記)ですが、神戸駅はそこからさらに西へ2キロほど行ったところです。
湊川神社の目の前に位置して、かつて「西の浅草」と呼ばれた繁華街である新開地にも近く、以前は三宮よりも神戸の方が市の中心でした。そして何よりも横溝正史の出生地がこの神戸駅のすぐ南にある東川崎なのです。

神戸駅周辺

「省線で兵庫までのし」というのは、JR兵庫駅のことです。兵庫駅は神戸駅の一つ西隣の駅で、平清盛が港を開いたことで有名な大輪田の泊があったあたりです。神戸駅近辺が栄えるよりさらに昔の神戸の中心地です。
次に「そこからさらに山陽電鉄で須磨までいって」ということですが、現在、山陽電車には兵庫駅はありません。実は、かつては兵庫駅は山陽電車のターミナル駅だったのですが、地下を走る神戸高速鉄道が開通したことにより、兵庫駅は廃止されているのです。
現在、同じルートを辿ろうと思うと、兵庫駅から200メートルほど北にある神戸高速大開駅まで歩かねばなりません。JRから山陽電車へ乗り換えるのは、兵庫ではなく、三宮で阪神に乗り換えるか、神戸で高速神戸に乗り換えるかの、どちらかになります。

兵庫駅周辺

山陽電車では「須磨までいって」ということですが、この「須磨」は駅名ではなく地名としての須磨と思われます。山陽「須磨駅」は存在しますが、金田一耕助が宿泊した地域からは少し外れるので、おそらくは「須磨寺駅」で降りたのでは、と推測されます。
「須磨寺の池の近所にある三春園という旅館」にはモデルがあり、今も「寿楼臨水亭」として同じ場所で営業しています。

寿楼臨水亭

池の対岸にある。

ここから須磨寺周辺地域の空襲被害がいかにひどかったかが綴られています。実際、須磨寺のすぐ北に須磨離宮公園という公園があり、かつて武庫離宮という離宮があった場所なのですが、ここの建物も戦災で焼け落ちています。
次に、玉虫伯爵の別荘跡です。
手がかりとなるキーワードがいくつか作中に見られます。

・このさきに月見山というところがおますやろ
・村雨堂のちょっと手前に
・三春園から少しはなれると、道は坂の途中へさしかかったが、


坂道


三春園前の池から伸びる坂道はいくつかありますが、村雨堂方向となると、このルート思われます(当時と区画が変わっていなければ)。
村雨堂の少し手前に、大きな区画があります。図の赤く囲った辺りが、おおむね玉虫伯爵別荘についての記述と合致した場所になります。


悪魔ここに誕生す。

「月見山」からは、やや外れた位置ですが、村雨堂より手前となると正確な地名では月見山とはなりません。このあたり一帯の住宅街をまとめて「月見山」と表現した可能性もあります。


村雨堂。能の「松風」で知られる名所です。

次に金田一は椿子爵の足跡を追って、淡路島の妙海尼を訪ねます。
妙海尼は淡路島の小井から朝霧山という丘を登る中腹にあると書かれています。
実際、淡路島には小井という地名はありますが、朝霧山という山はないようです。神戸と明石とのあいだに朝霧という地名がありますので、そこからの連想でつけた名前でしょう。

https://www.google.co.jp/maps/@34.4832555,134.9586695,178a,35y,328.41h,75.09t/data=!3m1!1e3
小井

というところで、さすがに終戦直後の小説と比較すると面影は全くありませんが、地形の説明は実際のものとおおむね相違ないことを確認することができました。

悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫)
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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