備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

江戸川乱歩

江戸川乱歩名義訳『ポー傑作集』(中公文庫)

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今月刊行された中公文庫の一冊。
江戸川乱歩「名義訳」とは、いったいナニゴトかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、要するに名義貸しです。
乱歩が活躍した時代は著者の名義に関してはずいぶんおおらかだったのか、あるいは当時にあっても厳に秘匿すべきことだったのか、その辺の感覚はよくわからないのですが、ともかく乱歩名義の小説・翻訳で本人が関与していないものは多くあります。
特に翻訳については実際に乱歩が訳した著書は一つもありません。
名張市立図書館が平成15年に刊行した「江戸川乱歩著書目録」の索引を見ると、数多くの翻訳書タイトルが並んでいますが、前書きでは「いずれも代訳」とされています。
以前に本ブログの記事(江戸川乱歩「鉄仮面」とは?)でも触れましたが、乱歩の「名義訳」はたくさんあるのです。
半年ほど前にも河出書房新社から黒岩涙香著、江戸川乱歩訳「死美人」というものが刊行されましたが、このときは乱歩本人の著作ではない旨がどこにも記載されておらず、物議を醸しました。今回の「名義訳」という謳い文句は、異様な雰囲気は受けるものの、まあ律儀な対応ではあると言えます。(なお、この「江戸川乱歩名義訳」というのは、著作者名ではなく書名の一部という扱いになっています)

では、実際に翻訳したのは誰だったか。
それは渡辺啓助・渡辺温兄弟です。
江戸川乱歩はペンネームをエドガー・アラン・ポーからとっていることもあって、どうかするとポーの後継者と思われしまったりもしますが、実際のところ、日本の小説界でポーの後継者と呼びうる作家は渡辺温です。若くして事故死しましたが、その作品は創元推理文庫『アンドロギュノスのちすじ』に一巻本の全集としてまとめられています。
ポーに心酔していただけに、乱歩も「私のポーとホフマンの翻訳のうち、ポーの部分は全く渡辺君の力に負うところのものである。当時、二、三人から名訳の評を耳にしたが、その讃辞は悉く渡辺君に与えられるべきものであった」と回顧しています(『探偵小説四十年』昭和5年の項)。
というわけで、本書は乱歩ファンよりも渡辺温ファンにとって待望のものといえるでしょう。

さて、そこで気になるのが本書の帯にある「乱歩全集から削除された」という一文。
実際のところ、本書に収録された作品のうち一部は、乱歩全集としては最初に刊行された平凡社版(昭和6年)に収録されているのです。しかし、以後の全集では収録されることはなかったことから、「削除された」という言い方もできなくはありません。
しかし、乱歩の「名義訳」作品が全集へ収録されたのは、あとに先にもこのときだけです。
果たして「削除された」と言えるのかどうか。

ただし、ポーの「黄金虫」については、実際に「削除された」といえる一件があります。
以前にも書いた(講談社「江戸川乱歩推理文庫」のこと)のですが、昭和62年から平成元年にかけて講談社から刊行された「江戸川乱歩推理文庫」では、当初発表のラインナップに翻訳ものとして「鉄仮面」「名探偵ルコック」「黄金虫」があがっていました。ところが、途中で続刊予定が変更となり、この3作は「削除」されてしまいました。
もしかすると、「削除」というのはこのときのことを言っているのかな、とも思いましたが、この3作は巻の並びから児童物という位置づけだったと思われます。そうなると「黄金虫」については、昭和28年に講談社から刊行された「世界名作全集59巻 黄金虫」を収録予定だったと可能性が高く、今回復刊された渡辺兄弟訳のものとは別になります。

ポー傑作集-江戸川乱歩名義訳 (中公文庫)
エドガー・アラン・ポー
中央公論新社
2019-09-19




余談:
ポーの「翻訳」といえば、10年ほど前の一時期、Google翻訳が「Purloined letter」を「盗まレター」と訳していたことがありました。現在も日毎に珍妙な訳を更新していますが、その後これほど冴えた訳には遭遇できておらず、スクリーンショットを撮っておかなかったことを未だに悔やんでいます。

講談社「江戸川乱歩推理文庫」のこと

201905江戸川乱歩316
帰省する機会があったため、実家にいまだ温存されている、私が高校生の頃まで使っていた机の引き出しを漁ってきました。
何が目的だったかというと、本に挟まれているチラシです。
子どもの頃は、本の帯や、ページのあいだに挟まれたチラシなどを邪魔なものと考え、とはいえ捨てるには忍びなく、本を買ってくると外して勉強机の引き出しへしまいこんでいたのでした。
大学へ入ったくらいから「本は購入時の完全な状態で保管するべし」と価値観が変わり、帯だけは取ってあったものを全部巻き直したのですが、チラシはどれがどの本のものなのか、対応がわからなくなってしまい、さらには内容が同じ種類のチラシは捨てていたため、収拾がつかなくて放置していました。

ところで、今回気になって探していたのは講談社が昭和62年から平成元年にかけて刊行した「江戸川乱歩推理文庫」のチラシです。
これは、小学校の6年生から中学2年にかけての時期ですが、よくぞ思い切って小遣いを投入する気になったものだと、当時の自分を褒めてやりたい気分でいっぱいのシリーズです(といっても一般向け小説である青帯は、並行して春陽堂文庫の乱歩シリーズを買っていたため、見送ったのですが)。
さて、以前にこちらの記事でも触れましたが、この「江戸川乱歩推理文庫」は、配本がスタートした当初は、児童向け小説の中に「名探偵ルコック」「鉄仮面」「黄金虫」という翻訳物のタイトルが並んでいました。
ところが、配本が第4回へ進んだ時点でラインナップが変更となり、翻訳は消え失せました。
小学生だった当時は事情など知るよしもなく、ただ「書簡 対談 座談」なんかよりは小説を出してほしいなあ、と軽くがっかりした記憶はあります。
今にして思えば、このあたりの翻訳は名義貸しで、乱歩自身の筆によるものではないとされているためと思われます。(むしろ、最初に発表されたラインナップに含まれていたことが謎)
とはいえ、乱歩名義の「鉄仮面」は筒井康隆もエッセイで回顧していたりなど、人気が高いもので、やはりこのときに「出す」という英断をしてほしかったなあ、という気もしています。

というわけで、今回あさってきたチラシは、そのあたりのラインナップ変更の経緯がわかるものです。
リアルタイムで購入されていた方以外はよく知らない話だろうと思いますので、ブログにあげておく価値もあるかな、と考えて、チラシの画像を貼っておきます。

まずは刊行当初チラシ。ちょうど写真のL判に該当するサイズに四つ折りされたものでした。
まず開くと表はこんなもの。価格は消費税導入前です。
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裏側はこんな感じ。当時の人気作家が安部譲二と山崎洋子というあたりの昭和末期の雰囲気が出ています。
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さて、これを開くと、見開きで問題のラインナップが。
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その後、第4回配本時にこのようなチラシが挟まれました。
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裏側のラインナップ。「海外探偵作家作家と作品」が当初予定の2分冊から3分冊へ水増しされ、「未刊日記」「書簡 対談 座談」が追加されました。
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そして、実際には「未刊日記」は更に未刊となり、最終巻は年譜となりました。これはずいぶんがっかりして実際は購入を見送りたかったところですが、ここまで買って最後の巻だけを買わないのはいかがなものか、という常識的な判断によって購入することとなりました。

関連記事:
江戸川乱歩「鉄仮面」とは?
江戸川乱歩入門 最終回 講談社「江戸川乱歩推理文庫」

満島ひかり主演「シリーズ・江戸川乱歩短編集」(NHK)

わが家では妻が「受信料がもったいない」「今でも見きれないくらい録画をためてるくせに、これ以上増やしてどないすんねん」と強硬に主張するため、BSを見られない生活を続けております。
金田一シリーズなど、どうして見なければならない番組は実家に依頼して録画してもらっているのですが、この「シリーズ・江戸川乱歩短編集」はチェックしておりませんでした。
スタートはもう3年以上も前なのですが、評判が良いことは知っていたため、やっぱり録画を頼むべきだったなあ、とずっと後悔していたところ、ようやく地上波で再放送されたため、見てみました。
今のところ再放送されているのは1作目「D坂の殺人事件」、2作目「心理試験」のみですが、これはびっくりしました。とんでもなくすばらしい映像化ですね。
いずれも、実験的な映像で、これだけ冒険をしているにもかかわらず、乱歩の世界をしっかりと描いています。

そもそも、乱歩の映像化は難しいのです。
以前に、乱歩作品を映像化したものをまとめた記事を書いたことがありますが(江戸川乱歩原作映画のDVD)、それでは、この中のいったいどれだけが「乱歩」を描くことに成功しているか?
正直なところ、皆無です。
ある程度の出来ばえであれば、それらしく仕上がってしまう金田一耕助映画に比べて、乱歩映画は極めてストライクゾーンが狭い。
筆者がこれまでに見た映像化作品の中で「これはよくできた映像化だ」と思ったのは、実は1つしかありません。奥山和由プロデュースでいろいろ揉めていた「RAMPO」という映画がありますが(未だにDVD化されず)、本編ではなく、この映画の劇中に挿入されていたのアニメーション「お勢登場」。これは非常によくできていました。
これ以外の乱歩映像化は全部、落第点!
どうも作り手の乱歩に対する思い入れが溢れすぎている作品が多く、何を見ても「これは俺の好きな乱歩じゃないな」と思ってしまうのです。

ところが、今回のNHKのドラマは違いました。
「D坂の殺人事件」「心理試験」とも、まさに「完全映像化」。「完全」というのは、ナレーションとセリフを織り交ぜながら、乱歩の小説をほぼ忠実に「朗読」しているのです。
この脚色法にまず驚きましたが、映像も斬新です。
「D坂」では、事件が起こった長屋をミニチュアで再現して状況を解説。これはむちゃくちゃわかりやすい。正直、原作を読んだときよりも面白く感じました。
「心理試験」は、乱歩の全作品を通して最高峰にあると言っても良い本格探偵小説の傑作ですが、これも原作を極めて忠実になぞりながらも、その中に菅田将暉、嶋田久作、そして満島ひかりのぶっ飛んだ演技を違和感なくはめ込んできていて、目が離せない作りです。

これは本当に堪能しました。永久保存版でディスクに落としておかなくっちゃ、ですね。
乱歩の映像化も、横溝の映像化も、巨匠の名声を単に消費するものと、乱歩映画、横溝映画の歴史に名を刻むものとがあります。
前者は、昨年末のフジテレビ「犬神家の一族」や、つい先日のテレビ朝日「スペシャルドラマ 名探偵・明智小五郎」。
そして後者が、NHKが製作した「獄門島」や、今回の「シリーズ・江戸川乱歩短編集」。
傑作ドラマを作っているのは、NHKばっかりやんか!

というわけで、改めてBS加入を妻に交渉したいところですが、これまで頑として受け入れてもらえずにいるため、はなから諦めております。
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

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