備忘の都

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海外ミステリ

いろいろな疑問を解消できる映画「オペラの怪人」(1943年)

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「オペラ座の怪人」はフランスの作家ガストン・ルルーが1910年に発表した小説ですが、映画やミュージカルでもよく知られています。
しかし、それらを見ていると原作をかなりアレンジしており、全く忠実な映像化というものはありません。
なかでも、筆者はブライアン・デ・パルマ監督の「ファントム・オブ・パラダイス」のアレンジが不思議でした。

「ファントム・オブ・パラダイス(原題:Phantom of the Paradise)」は、20年ほど前、雑誌「映画秘宝」がはじめてのオールタイム・ベストを発表した時、堂々の1位に輝いたカルト映画と言ってよい作品です。
これはタイトルからもわかる通り「オペラ座の怪人(英題:Phantom of the Opera)」をロック業界に置き換えたもの、とされています。
DVDのジャケット裏に印刷されたあらすじはこんな感じです。

気は弱いが天才的なロック作曲家だったウィンスロー・リーチ。しかし、腹黒いレコード会社の社長スワンにより、自分の曲を盗作された上に無実の罪まで着せられてしまう。刑務所を脱走した彼は、レコードのプレス工場に忍び込んだ時、機械で顔半分を押しつぶされてしまった。仮面をかぶった怪人と化したウィンスロー。スワンの裏切り行為に激怒した彼は今や復讐の鬼となった――。

これだけ読むと、原作小説「オペラ座の怪人」との共通点は「仮面をかぶった怪人が暴れまわる」ということ以外、ありません。
もちろん、あらすじで言及されていないだけで、本編ではクリスティーヌに該当する歌姫フェニックスが登場し、ウィンスローは復讐だけではなく、フェニックスへの恋心にも衝き動かされています。
また、原作小説「オペラ座の怪人」では作中で「ファウスト」の舞台が演じられますが、この「ファウスト」というモチーフが「ファントム・オブ・パラダイス」では非常に重要で、後半のストーリーに大きな影響を与えています。

とはいえ、
盗作?
顔を押しつぶされた?
復讐?
というテーマが自然な流れで出てきて「あれ? 原作ってそんな話だったっけ?」と、ちょっと混乱してしまいます。

ところが、1943年の映画「オペラの怪人」を見ると「なるほど」と、このあたりの疑問を解消することできます。
この映画は第二次大戦中に製作されたものですが、かなり豪華なカラー映画です。
ここに登場するエリックは、オペラ座に所属する音楽家ですが、作曲した自信作を盗作され(というか、盗作された思い込み)、楽譜出版社の社長を絞め殺し、そのときに酸性の液体を浴びせられてひどい面相になってしまい、オペラ座の地下に隠れているという設定になっています。
ありゃ、「ファントム・オブ・パラダイス」の元ネタはここにあったのか、と初めて観たときには驚きました。

実はミュージカル版「オペラ座の怪人」にも、この映画「オペラの怪人」からの影響が見られます。
この映画では、エリックはクリスティーヌの父親であるという裏設定があります。つまり、父として娘に英才教育を施していたわけです。「裏設定」というのは本編中ではそれが仄めかされているだけで明確な言及はないのです。しかし、シナリオ段階ではこの設定が明記されていたそうです(WikipediaやDVD収録のメイキングより)。
ミュージカル版では、クリスティーヌはエリックその人に直接顔を合わせるまでは「音楽の天使の正体は死んだ父の魂だ」と思い込んでいますが、これは「オペラの怪人」の設定からの影響かな、と思います。(とはいえ、原作でも父が少女クリスティーヌに「音楽の天使を送ってやる」と話すくだりがあるので、いずれも原作からのアレンジとも解釈できますが)

ミュージカル版への影響はもう一つ、ミュージカルを映画化した2004年の映画「オペラ座の怪人」にも現れているように思いました。
以下は、いずれもエリックがクリスティーヌを地下の棲家へ連れ去るシーンです。(2004年版は有名な主題曲を歌いながら、前半で最も盛り上がるところ)

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いずれも、左が1943年版、右が2004年版です。
ただし、特に2004年版のこのシーンは、原作をかなり細かいところまで忠実に再現しており(違いはカンテラが松明になっているところくらい)、他の映画(例えば1925年のサイレント映画)でもだいたい同じような絵になっているので、ここも単に原作通りに映像化した、というだけかも知れません。
とはいえ、1943年版と2004年版とではセットの雰囲気がよく似ており、何かしら参考にしているではないかと感じました。

というわけで、原作小説だけでなく、1943年版の映画も見ておくと、いろいろなバージョンの「オペラ座の怪人」をより深く楽しめるのではないかと思います。









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ミュージカルや映画で有名な「オペラ座の怪人」。
もとはフランスの作家ガストン・ルルーが1910年に発表した小説です(Le Fantome de l'Opera)。
ルルーは本格ミステリの古典的名作として名高い「黄色い部屋の秘密」の作者でもあります。
原作を読んでみると、映画やミュージカルとはかなり内容が異なります。
怪奇的な味付けをほどこしてはいるものの、ストーリー展開は謎解きがメインとなっており、「黄色い部屋の秘密」と同じ作者であることが納得できる作品です。オペラ座で発生する数々の怪事件それぞれにトリックを用意しているあたりはミステリ好きとしてはにやりとさせられます。
ミュージカルで焦点が当てられている恋愛要素についても、詳しくは書きませんが登場人物の関係がかなり異なっています。

というわけで、ミュージカルから入った方が読むと幻滅するのか、逆に新鮮で面白いと思うのか? その辺はよくわかりませんが、ともかくこれから原作を読んでみようという方のため、原作小説の紹介をしたいと思います。

「オペラ座の怪人」は、現時点で入手可能な文庫は以下の3種類です。

オペラ座の怪人 (創元推理文庫 (530‐2))
三輪秀彦・訳
東京創元社
1987-01-18


オペラ座の怪人 (角川文庫)
長島良三・訳
角川書店
2000-02-25


オペラ座の怪人 (光文社古典新訳文庫)
平岡敦・訳
光文社
2013-07-10


少し前まで、ハヤカワ・ミステリ文庫にも日影丈吉訳が収録されていましたが、最近は見かけなくなりました。まだ在庫が残っている書店もあるかもしれませんが、出版社ではすでに品切れしているようです。日影丈吉は同じくハヤカワで「黄色い部屋の秘密」も出していましたが、こちらも以前から品切れで、少し前に新訳版に取って代わられてしまいました。「オペラ座の怪人」も品切れのままになっているのは、もしかすると、こちらも新訳を出す予定なのかもしれません(単なる推測です)。

さて、現在入手可能な上記3種類ですが、それぞれの特色をご紹介していきましょう。

創元推理文庫 三輪秀彦・訳

オペラ座の怪人 (創元推理文庫 (530‐2))
三輪秀彦・訳
東京創元社
1987-01-18


創元推理文庫版は文庫では早くに出たものであり、定番となっているバージョンです。1987年なので、「古い」というほど昔の訳ではないのですが、しかし、訳文を見るとかなり硬い表現が目立つ印象があります。
ただし1点、他にはない特長があり、それは原作の「Fantome」を「幽霊」と訳しているのです。
筆者はフランス語は全く知らないので、「Fantome」という語の意味や語感についてはなんとも評価できないのですが、小説を読んでいると「Fantome」は実在を感じさせる「怪人」ではなく、得体の知れない「幽霊」のつもり書いていたのでは、という印象を受けます。
日本では最初の映画が「オペラの怪人」という邦題で公開されたことから、この小説については「Fantome」=「怪人」という訳が定着していますが、本来は「オペラ座の幽霊」と訳すべき小説だったようです。(というか、そもそも「怪人」ってなに?という話ですが。筆者の知っている怪人は「怪人二十面相」と「オペラ座の怪人」、それに仮面ライダーの悪役のみです)
ちなみに「Project Gutenberg」で英語版を読んでみると、タイトルこそ「The Phantom of the Opera」ですが、本文中の「Fantome」は全て「ghost」と訳されています。
そんなわけで、原文の正確なニュアンスを体験するには「幽霊」という訳はおすすめできると思います。
ただ、エリックが姿を現してからは、やはり「幽霊」ではなく「怪人」と訳したほうがしっくりするかな、という気もします。
また、ミュージカルや映画は、ストーリーがかなりアレンジされており、「怪人」という訳語で全く問題ないようにも思います。ミュージカルのイメージを崩したくない方は「Fantome」を本文中でも「怪人」と訳している他のバージョンを選んだほうがよいかもしれません。
解説は紀田順一郎が書いており、映画化の歴史が概説されています。
価格は今のところ他社よりも安くなっています。

角川文庫 長島良三・訳

オペラ座の怪人 (角川文庫)
長島良三・訳
角川書店
2000-02-25


角川文庫版は2000年に刊行されており、シムノンやルブランなど、数々のフランスミステリの翻訳で知られる長島良三氏が訳しています。「Fantome」については場面ごとに「怪人」「幽霊」を使い分けていますが、原文では同じ単語あることはわかりません。
特に大きな特長があるバージョンではありませんが、あまり細かいことを気にせず、ミュージカル版の原作として楽しみたい方には、手軽に読めておすすめです。

光文社古典新訳文庫 平岡敦・訳

オペラ座の怪人 (光文社古典新訳文庫)
平岡敦・訳
光文社
2013-07-10


光文社版は最も新しい訳です。
古典新訳文庫なので訳文は読みやすく工夫されており、さらに巻頭にオペラ座の平面図・立面図が掲載されているのが親切です。解説も充実しています。
「Fantome」の訳については、角川文庫版と同じく、「怪人」「幽霊」を使い分けていますが、冒頭部のみ、「怪人」「幽霊」の訳語にそれぞれ「ファントム」とルビをふることで、原文では同じ単語であることを示しています。角川版よりも原文の語感を正確に伝えようとする意図が見えます(といっても「ファントム」は英語ですが)。
訳者の平岡敦氏はルブランの「ルパン」シリーズやポール・アルテなど、古典から新作まで、フランスミステリの翻訳でも知られています。

というわけで、読みやすさと正確さという観点では光文社古典新訳文庫版のポイントが最も高いのですが、価格がかなり高めです。本記事執筆時点で税込1426円。創元と角川はいずれも800円台です。
ミュージカルファンが手軽に読むなら、読みやすくて価格も安い角川文庫がおすすめかと思います。

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「Yの悲劇」が横溝正史へ与えた影響とは?

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※ご注意※今回の記事は「Yの悲劇」「獄門島」のネタに触れています。未読の方はただちに画面を閉じてください。

海外ミステリの人気投票で長らく1位が指定席となっていたエラリー・クイーンの「Yの悲劇」。
筆者は実は読む前に、故人のシナリオに基づいて犯人が事件を起こす、というネタを知っていました。
中学生の頃のことで、どういった経緯でこれを知ったのか忘れてしまったのですが、その時に「それって獄門島と同じでは?」と思ったことはよく覚えています。
今回はその辺の話を書いてみます。

筆者は本編を読まずにネタを知ったので、トリックの骨格が共通していることにすぐ気づいたのですが、逆にネタを知らずにふつうに読んで、「こいつが犯人だったとは!」ときちんと驚いた経験を持つまともな読者だと、この点に気づいている方が少ないように感じています。
筆者は周囲のミステリ好きに「獄門島」と「Yの悲劇」との共通点について語って、怪訝な顔をされたことが何度かあります。(なお、筆者は横溝正史の有名作品をほとんど読み終えた頃に「Y」のネタを知り、さらに数年経ってから本編を読みました)

しかし、実はこの犯人像については、横溝正史本人も発想の原点が「Yの悲劇」であることを認めているのです。
小林信彦による、横溝正史へのインタビューを構成した「横溝正史読本」はネタバレを忌避せずにガンガンと話を突っ込んでいる好著ですが(以前にこちらの記事でも紹介)、その中に、「獄門島」の「気違いじゃが仕方がない」というネタは「Yの悲劇」の「マンドリン」を自己流でやってみたもの、という発言があります。
マンドリンというのは、故人の書いたシナリオにある「鈍器」という記述を実行犯が「楽器」と勘違いする、というものですが、「気違いじゃが仕方がない」は、やはり故人の書いたシナリオの指示に実行犯が納得していないという話です。
横溝正史はこの構図を面白がって、自作へ取り入れていたわけなのです。
「気違いじゃが仕方がない」というセリフは国内ミステリ史上、最高のセリフではないかとまで評価されているものですが、このように発想の元ネタがあるものでした。

この点以外にも、横溝正史ファンが「Yの悲劇」を読むと、いたるところに横溝正史作品を彷彿させる部分が見られ、興味深いものです。
まず、ヨーク・ハッターが簡潔な遺書をのこして自殺し、しかし、その後連続する事件にヨークの影が感じられる、という展開はモロに「悪魔が来りて笛を吹く」の椿子爵とかぶると言ってよいでしょう。
また、中盤にあるエミリー・ハッターの遺書発表シーン、それに続く一族の反応は「犬神家の一族」そのままです。(「Yの悲劇」の遺書発表シーンが物語にとって必要だったのかどうか、筆者はいまいちよくわからないのですが……)

ところで筆者は、このような点を指摘して「獄門島」をはじめとする横溝正史作品の価値を貶めたいわけではありません。
逆に、元ネタあるとわかってもなおかつ、これは偉大な業績なのです。
ミステリとは、先立つ作品からの引用、オマージュによって連綿と紡がれてきたジャンルです。「Yの悲劇」の各ポイントに注目して、それを上回るインパクトを持つ描写へ転換したことは、横溝正史の功績というべきです。

さらにいえば、当時のミステリ作家はネタの流用をあまり問題視していません。
前述の「横溝正史読本」では、「マンドリン」のくだりに続いて、実行犯のトリックはカーの諸作から発想した、という話をしています。
悪びれることなく語っていますので、横溝本人もネタの流用をまるで気にしていないことが伺われるどころか、「わたし流に訳しているんです」という発言までしています。
また、別のエッセイ集「真説金田一耕助」では、クリスティが「そして誰もいなくなった」においてマザーグースの見立てをしているのを読み、「クリスティがヴァン・ダインの真似をして許されるなら、自分もやろう」と考え、「獄門島」の俳句への見立てを考えたという話も回顧しています。(「真説金田一耕助」については、以前にこちらの記事

海外ミステリの有名作からネタをいただくのは、戦前から活躍している探偵作家にとっては「当たり前」のことだったようです。乱歩も同じようなことを多くの作品でやっています。
当時の読者は現代ほど海外ミステリに親しんでおらず、海外ミステリからのネタの流用は、当時の作家にとってはいわば「翻訳・紹介」の延長上にあったと思われます。

横溝正史はカーのファンであることは公言しており、作風にも濃厚に現れています。
一方、クイーンについてはあまり言及していないにもかかわらず、注意深く観察すると、作品の根幹にかかわる部分にはクイーンの影響が強く現れていることがわかります。
ほかにも例をあげられると面白いと思いますが、詳細に語り始めると筆者の手に余る仕事になるので、とりあえず「Yの悲劇」からの影響を指摘できたところでオシマイにします。

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Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)
Yの悲劇 (角川文庫) ←越前敏弥の新訳はおすすめです。
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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