備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

映画本

春日太一『黙示録――映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』(文藝春秋)

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春日太一氏の新刊「黙示録――映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」を読みました。
これは本当に読んで良かった本ですね。好きな映画の裏話が聞ける、というレベルではなく、80~90年代の邦画に対する認識がガラリと改まりました。

そもそも、奥山和由というプロデューサーに対してはあまりよい印象を持っていませんでした。
親のコネで松竹へ入社すると「ハチ公物語」の大ヒットで調子に乗り、「RAMPO」では監督をないがしろにする横暴ぶり。「226」で笠原和夫の顰蹙を買い、ついには親子で松竹を追放される。
もちろん北野武監督を誕生させたり、「丑三つの村」「GONIN」など、筆者の大好きな映画をたくさんプロデュースしているということは知っていました。
しかし、それらの成果はすべて監督のおかげ、と思っており、プロデューサーの存在はほとんど意識していなかったわけです。
「いつかギラギラする日」なんかは、深作欣二と笠原和夫の秘蔵の企画からタイトルだけ持っていきやがって、とほとんど言い掛かりに近いことまで思っていました。

しかし、本書を読むと、これらはすべて全くの誤解。勘違い。
奥山和由が熱い思いとアイデアとを持って取り組んだことで生まれた作品であったということがよくわかります。
華々しい活躍ぶりは、筆者のごとき世間一般の素人からは胡散臭い目で見られ、松竹を追い出されたときにはマスコミからバッシングを受けます。しかし、このときに深作欣二や菅原文太という文句なしに信頼できる人たちから送られた直筆の手紙には泣きました。
映画プロデューサーというのは、角川春樹にしても奥山和由にしても、会社を追い出されてなんぼ、っていうものなんでしょうかね。

改めてプロデュース作を見直していこうという気になりました。
さっそく「いつかギラギラする日」のDVDを我が家のコレクションから取り出して見ていたわけですが、ラストシーン、ショーケンがパトカーの屋根の上を四駆で走り抜けるシーンは、本書の裏話を知ってから見ると爆笑です。

80~90年代の映画史として秀逸であり、奥山和由というプロデューサーの業績を記録したものとして貴重であり、名作の裏話として興味深い。
本当に読んで良かった本です。



平成映画の思い出

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先月の映画秘宝で「平成の傑作映画100」という特集を組んでいました。
筆者もこれに倣って平成映画のベストをあげてみようと思ったのですが、あれこれ考えているうちに一ヶ月が経ってしまい、結論としては「俺には無理!」

というのは、昭和天皇が亡くなり平成が始まったとき、筆者は中学1年でした。つまり、これまでの人生で見た映画のほとんどは平成になってから見た映画ということになり、筆者にとっての平成映画ベストとは、単にリアルタイムで見た全ての映画のベスト、ということになってしまうからです。
そんなわけで、今回はベスト、ということにこだわらず、思い出に残っている映画についてつらつらと。

親と一緒ではなく、友人と一緒に映画館へ行ったのは「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」が初めてでした。平成元年なので、中学2年の冬のことです。
小学生の頃に1作目は見て大興奮していたため、その続編を大画面で見られるというのは、とても楽しい体験でした。今でもときどき見直す、大好きなシリーズです。

一人だけで映画館へ行ったのはその翌年。「ミザリー」でした。
今にして思えば、一人で「ミザリー」を観にいく中学生ってちょっとどうなんだろうと思わないでもないのですが、「スタンド・バイ・ミー」の監督が再びキング原作映画を!ということで、当時はかなりの話題作だったのです。(ちなみに未だに「スタンド・バイ・ミー」は観たことないのですが)

高校に入ってから見て最も印象に残ったのは、ティム・バートンの「シザーハンズ」。
しかしこれは、たまたま、といった感じで見たものでした。
当時は「同時上映」というものがあり、そこそこの話題の新作でも2本立てで公開されるのが普通でした(少なくとも筆者の育った名古屋では)。
「シザーハンズ」は2本立ての添え物の方で、メインはあの超話題作「ホームアローン」でした。
まさかあの可愛い少年が、長じて「マコーレ・マコーレ・カルキン・カルキン」と改名するような奇人になるとも思わず、日本中が熱狂していたものでした。
学校でも大いに話題となり、ミーハーな筆者も映画館へ足を運んだわけですが、同時上映でどんな映画をやっているのかは全然知らず、開始に少し遅れて劇場へ入りました。
タイトルすら知らないその映画は、手がハサミになった奇怪な青年のおそろしく悲しい物語で、こんなに感動したことはないというくらい感動しましたね。引き続き鑑賞した「ホームアローン」のことはもう全くどうでもよくなってしまいました。
ところが、これほど感動したにもかかわらず、この映画のタイトルを筆者は大学に入るまで知りませんでした。映画雑誌を何の気なしに眺めていたときに、忘れもしないハサミ男のスチールを見つけ、ようやくそれが「シザーハンズ」というタイトルの映画だと知ったわけです。

高校1年のときは他に大林宣彦監督の新尾道三部作1作目「ふたり」も印象深い映画でした。
このときも大林宣彦監督のことはよく知らず、石田ひかりなんか名前すら聞いたことがないという状態で、赤川次郎原作だから、となんとなく映画館へ行ったのですが、石田ひかりのあまりの可愛さに打ちのめされました。しばらくの間はパンフレットを日がな一日眺めて暮らし、石田ひかりの出演するドラマはことごとくチェックし、「ふたり」がビデオになると何度も何度もレンタルして繰り返し見るという生活を続けることになりました。
映画を見終わってロビーへ出たところで、中学時代の先生に出くわし、先生の方こちらに気づいて「よお!」と声をかけてくださったのですが、こっちは石田ひかりの魅力でボーッとしていたため、ほとんどまともに挨拶もしなかった記憶があります。
「ふたり」については就職してからDVDが発売されましたが、これも予約して購入し、今でも年に1回は見ています。それくらい好きな映画です。

というわけで、中学高校の頃は話題作をたまに観にいく、という程度で映画マニアとは程遠い状態でした。この傾向は大学へ入ってからも続き、映画館へ足を運ぶのは年に数回程度でした。学生時代はタランティーノが大流行で、筆者も「パルプ・フィクション」「フロム・ダスク・ティル・ドーン」「フォー・ルームス」あたりをビデオで何度も見直していました。

本格的に映画に開眼したのは、社会人になってから。DVDというものがこの世に現れ「映画を所有できる」時代になってからです。
もともと収集欲は非常に強く、「モノより思い出」ならぬ、完全に「思い出よりモノ」というタイプ。映画も劇場で見る体験より、手元に存在するDVDのほうが重要と考えてしまう人間なので、2000年頃から熱狂的にDVDを買いあさりました。
最初のDVDプレイヤーはご多分に漏れずPS2でした。DVDが売り出され始めたばかりの頃はプレイヤーが非常に高く、PS2がいくらだったか忘れましたが「え、そんな値段でDVDプレイヤーが手に入るの!?」と大喜びして予約購入したものです。
毎日放送制作・古谷一行主演の「横溝正史シリーズ」がさっそくDVD化され、全巻予約して買いました。のちのち、廉価版がどんどん出るとも知らずに、1枚5000円くらいで。
新作映画ではこれまたご多分に漏れず「マトリックス」のDVDには感動しました。高画質な(とその時点では思った)本編はもちろん、メイキング映像などの特典もてんこ盛りで、すばらしい映画体験に心を踊らせたものです。
しかし、PS2にはコマ送りの機能がありませんでした。
なんてこったい。せっかく買った「エイリアン」や「ターミネーター2」のDVDをコマ送りで見られないじゃないか。
職場の人たちに「コマ送りがなくて不便」と不満を漏らすと、「映画をコマ送りで見る必要があるの??」と誰からも共感を得られなかったのですが、大学時代の友人たちに同じ話をすると「それは不便やな」と誰もが共感してくれ、ホッとしました。

この頃から「映画秘宝」も買い始めました。
「映画秘宝」ははじめ、A5版のムックで刊行されていたのですが、その頃は、年末のベストテンだけ買って、本誌は買っていませんでした。
大判になってから毎号買うようになったのですが、映画を本格的に見始めたばかりということもあり、正直なところ筆者の見ている映画はほぼ「映画秘宝」に指南にされてのものです。
DVDと「映画秘宝」とが歩調を合わせるように隆盛を迎え、2000年代は筆者にとっては幸せな時期でした。だから、筆者は自分のことを映画マニアとは全く思っておらず、人から「映画好きなんですか?」と聞かれると「映画秘宝とDVDが好きなだけ」と答えるようにしています。

この時期に好きだった映画を並べ始めるとキリがありませんが、1本だけあげるとスピルバーグの「宇宙戦争」ですね。
今どき火星人襲来って、バカ映画決定!というつもりで見に行ったにもかかわらず、とんでもなく恐ろしいモンスター映画に仕上がっていて、驚きました。
9.11の記憶も新しい頃で、パニック映画として、怪獣映画として、ホラー映画としてあらゆる切り口から堪能できる映画でした。スピルバーグ監督作は好きな映画が多いのですが(というか、ほとんど全部好きですが)、最高傑作はやはり「宇宙戦争」だろうと、公開から14年が経った今でも思っています。
要するに平成という時代の後半は「宇宙戦争ってすごい映画だったよな」という余韻に浸っているうちに過ぎていったということになります。

80年代の脳天気な映画が懐かしい「シュワルツェネッガー主義」(洋泉社)

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著者のてらさわホーク氏は73年生まれとのことで、筆者より2歳年上。まあ、だいたい同世代です。そのため、世代的な感覚で言えば本書の内容には共感しまくりでした。てらさわ氏は9歳のときに「コナン・ザ・グレード」の新聞広告を見て映画館へ駆けつけたということですが、ついていけなかったのはそこくらいか。

今になって振り返ると、確かにシュワルツェネッガーは不思議な俳優です。
大人気スターなのは間違いありません。
しかし、友人と好きな役者の話をしていて「俺が好きなのはシュワルツェネッガー」という人にはなかなか会いません。
シュワルツェネッガーが出てくる映画が好きっていうならわかるけど、シュワルツェネッガー本人が好きってのはちょっとした盲点という印象があります。
そう思うのは筆者だけでしょうか。
でも、同じ筋肉俳優のスタローンやブルース・ウィルスが好き、という人に比べると「シュワルツェネッガー好き」を公言する人はやはり少ないと思います。(あ、淀川長治がいたか)

と、そんなことを言いつつも、シュワルツェネッガーが出てくる映画は筆者も大好きで、DVDは何本も持っています。
スタローンは「ロッキー」「ランボー」の1作目だけ、ブルース・ウィルスは「ダイ・ハード」くらいしか持ってないのに、シュワルツェネッガーとなると
・ターミネーター、ターミネーター2、ターミネーター3
・コマンドー
・プレデター
・トータル・リコール
・トゥルーライズ
と、やたらたくさんあります。「ターミネーター2」は、これまでの人生で一番好きな映画と言って良いくらい好きな映画で、何度も見直しています。「コマンドー」も金のかかった超大作なのかチープなB級なのか、よくわからないのですが、敵の頭皮を丸鋸で削ぎ落とすシーンなんかは、何度見ても興奮してしまいます。
どうも、「好き」と意識しなくても「シュワルツェネッガーのアクションなら見ておかないと」と思ってしまうような存在なんですよね。

ところで、この「シュワルツェネッガー主義」を読みながら思ったのですが、もしかすると筆者が「シュワルツェネッガー好き」というのをためらう理由は、80年代末から90年代頭にいくつか続いたコメディの存在があるのかもしれません。
筆者はこの辺のコメディはテレビで見て済ませている程度ですが、俺はやっぱりシュワちゃん本人ではなく、シュワちゃんが出ているアクション映画が好きなんだな、ということを確認しただけでした。
この辺の映画を支持できるかどうかで「シュワルツェネッガー好き」を名乗る資格があるかどうかが分かれるように思います。

と、本書の内容と全然関係ない話を続けていますが、本書は本当にどのページを開いてもシュワルツェネッガーの話しか書いてありません。おお、この人は、本当にシュワルツェネッガーの大ファンだ。
なんだかんだ言って、シュワルツェネッガーのことが最も好きなのは我々の世代なんだろうと思いましたね。
とはいえ、やっぱり自分のことは「シュワ好き」とは思えないな。わざわざ映画館へ観に行って、いつもどおりの大味な「シュワルツェネッガー映画」以上の何物もなかった「イレイザー」とか、もう一度見たいとは絶対に思わないもんな。
でも、共和党員なのに政策は中道左派になってしまうような大雑把なところは好きです。

シュワルツェネッガー主義
てらさわホーク
洋泉社
2018-08-02


 
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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