備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

読書

弩級の奇書「冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」(管賀江留郎・ハヤカワ文庫)

202105冤罪と人類035

2016年に洋泉社から刊行された「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか―冤罪、虐殺、正しい心」が改題され、ハヤカワ文庫ノンフィクションに収録されました。
単行本が出た際にもかなり評判になっているのことは知っており、書店で何度か手には取っていたのですが、タイトルからいまいち内容を想像できず、重量級の雰囲気に恐れをなしたこともあって見送っていました。

このたび文庫化されたということで改めて手に取ってみると、装丁からして「タダモノでない」というオーラが漂っており(まあそれは単行本のときもそうだったのですが)、また内容についても興味を持てそうなものであると確認できたため、買ってきました。
 
いや、これはとんでもない本ですね。
文庫版のあとがきで著者は「そもそも、本書は『白鯨』や『黒死館殺人事件』の如き文学作品のつもりで執筆しました。」と記していますが、まさに!
個人的な事情ですが、「白鯨」について以前に下記の記事でこれがいかにとんでもない「奇書」であるかを紹介し、なおかつそこで「黒死館殺人事件」と比較していたということがあるため、本書のあとがきを読みながら、「うんうんうん」と、強くうなづいてしまいました。

「白鯨」を読破するなら、おすすめの文庫はどれ?

裏表紙に記載の内容紹介を見ると以下の通りとなっています。
18歳の少年が死刑判決を受けたのち逆転無罪となった〈二俣事件〉をはじめ、戦後の静岡で続発した冤罪事件。その元凶が、“拷問王”紅林麻雄である。検事総長賞に輝いた名刑事はなぜ、証拠の捏造や自白の強要を繰り返したのか? アダム・スミスからベイズ統計学、進化心理学まで走査し辿りついたのは、〈道徳感情〉の恐るべき逆説だった! 事実を凝視することで昭和史=人類史を書き換え、人間本性を抉る怪著。
ということで、一見、冤罪事件を取材したノンフィクションと思われますが、実はそれは全く入り口に過ぎません。
あまりに情報量が多すぎて、一回読んだだけでは頭の中で内容を全然整理できないのですが、事件に関わる人物の一人ひとりについて、常軌を逸した熱量で文献を渉猟していきます。
この結果、内容紹介にある通り「昭和史=人類史を書き換え、人間本性を抉る」という次元にまで到達してしまうのですが、正直なところ、脇道に入り込みすぎて、何を読んでいるのか途中でワケがわからなくなってくることもしばしばです。
これぞまさに「白鯨」や「黒死館殺人事件」の世界。

ただし、これは書き方を真似たというわけではなく、「『白鯨』のような例があるから、こういう書き方でも許される(あるいは、読者がついてこられる)だろう」という精神的な拠り所になっていたということかな、と思われました。
というのは、著者がこれだけ細部に執着するのには理由があり、世の中にあふれる以下のような本、すなわち、一次資料に当たらず受け売りで書かれた本、事象に関連性を見出し物語として図式的理解に落とし込んでしまう本といったものは、冤罪事件と本質的に同根の人間の本性から生み出されている、と本文中でしきりに繰り返しているのです。
このような批判を展開しているからには、本書自体は必然的に百科全書的な書き方にならざるを得なかったわけです。

ともかく、中途半端な文字数で書評など書けない、超弩級の内容でした。
みすず書房あたりが、何千円という価格で何十年も版を重ねているような古典的名著と比較しても全く劣らない、現代の名著です。


笠原和夫「昭和の劇」復刊!

201811昭和の劇288

当ブログではこれまで何度も映画脚本家・笠原和夫のことを取り上げてきたのですが、記事を書くたびに「『昭和の劇』が品切れになっているのは残念だ」ということが頭にありました。
「昭和の劇」は笠原和夫の最晩年に刊行されたロングインタビューです。2002年11月に刊行され、奥付の刊行日からちょうど1ヶ月後に笠原和夫は世を去りました。
実を言えば筆者は、この本が出たとき、笠原和夫という存在をあまり認識してはいませんでした。
「仁義なき戦い」シリーズは見ていたものの、それ以外の深作欣二監督作品や、ましてや笠原和夫脚本を追いかけるということもしておらず、要するにほとんど関心を持ってはいなかったのです。
そんな程度だったにも関わらずなぜ書店で手にとったのか。
それは鈴木一誌によるあまりにもかっこいい装丁のためです。
なんだろうこの本は、と手に取ってパラパラめくってみたところから、大げさではなく人生が変わってしまいました。

立ち読みでチラッと内容を眺めたレベルでも、途方も無い面白さ。ずっしりとした本の厚みに見合った重量級の内容。これはとんでもない本だ。
その場で読み耽りそうになるのをなんとか堪えて、レジへ直行。当時の税率で税込4500円の本でしたが、むしろ安い、というくらいの勢いでした。
帰ってきてからは約3ヶ月間ずっと枕元に置き、特に後半部分を繰り返し読み返すという状態になってしまいました。

さて、そういうわけで、笠原和夫をあまり知らない方、興味のない方がいきなり読んでも全く問題なく楽しめる本であることは保証できます。
東映専属の脚本家として任侠映画、戦争映画、実録映画のシナリオを量産していたのですが、まず第一にここで描かれる東映という会社が最高。
「義理欠く、恥かく、人情欠く」の三かくマークを掲げる東映は、まさに実態がヤクザそのもので、抱腹絶倒エピソードが続きます。
そんな会社の中で、笠原和夫はヤクザ、戦争、テロなど、昭和史の闇に斬り込む作品を書き続けます。特に後半はシナリオ執筆のための取材エピソード、あるいは笠原和夫の目を通した昭和史が詳細に語られていきますが、この部分こそが本書の最大の価値です。
特に昭和天皇に対する並々ならぬ興味、愛憎相半ばする思いには胸が熱くなります。
本書刊行から18年経った今でも、筆者はなんとかここで語られる笠原和夫の「思想」を理解しようと、笠原の映画を観たり、シナリオを読むのはもちろん、やくざ、戦争、天皇、昭和史といったテーマの本や映画、ドキュメンタリーを漁り続けているのです。
先に書いた「人生が変わった」というのはそういう点においてです。笠原和夫の呪縛から逃れられなくなってしまったのでした。

というくらい、筆者にとっては生涯最大級の重要本、「無人島へ持っていく一冊」というよく言われる状況が本当に起こったならば、間違いなく選択するであろう本なのですが、ここ数年は品切れで書店店頭から消えていました。
筆者の記憶では、2013年頃には書店でもたまに見かけたので、刊行から10年くらいは重版していたようですが、さすがにこれだけの大部な高額本をずっと販売し続けるのは難しかったようです。

今月、これが復刊されます。

復刻版 昭和の劇
太田出版
2021-04-10


「復刻版」と銘打っているということは、ほぼ内容は変わっていないのでしょう。表紙や帯も、Amazonで確認する限りは、「【復刻版】」と入っている以外全く以前と同じです。
価格は驚きの税込9900円。
復刊されると軽装の普及版になることが多いものですが、逆で来ました。
単なる重版ではなく、あえて「復刻版」ということにしたのは、価格を変更するためなのかもしれませんね。

この価格設定はしかし、版元の「本気度」を表しているようにも思われます。
これだけの名著を再び埋もれさせるわけにはいかない。とはいえ、ロングセラーとして書店に常備してもらえるような本でもない。
となると、倉庫に置いて一冊ずつ注文に応じる、あるいは図書館が買い上げてくれるのを期待する、そのような形で細く長く販売を続けることになりますが、それでもペイできる価格設定。
きっとそうに違いない。太田出版は社が存続する限り、本書を品切れにはしないはずだ。
この記事を読んでいる皆さん、ここは一つ、社会貢献のつもりで買いましょう。内容的には1万円払う価値は十分にあります。それで一生、楽しめるのですから。

筆者もこれだけお世話になったお礼にもう一冊くらい買っておこうかな、と思わないでもありませんが、いやしかしさすがにこの価格で「ダブり本」は妻が承知しない。
せめて改めてブログで紹介し、一冊でもたくさん売れて、一日でも長く本書の販売が続くことを祈るばかりです。あと、近所の図書館にリクエストして入れてもらうようがんばります。

「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」(立東舎)は映画秘宝の忘れ形見?

202011大林宣彦031

書店の映画本コーナーへ行って、のけぞりました。
こんな本が出ていたの、全然気づいていなかった……
10月末に刊行された「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」(立東舎)です。
750ページもある大著。
全監督作について、詳細なインタビューに答えています。

この手の、映画人に対する全作品インタビューという企画が私は大好きで、これまでにも笠原和夫、深作欣二、中島貞夫、小林正樹、佐藤純彌、野村芳太郎(インタビューじゃないけど)、といろいろ読んできましたが、それらと比較しても1作品に対するページ数や掘り下げなど、群を抜いている仕上がりと感じました。
私が最も好きな大林映画は高校一年生のとき、なんとなく一人で見に行ってとんでもない衝撃をくらって帰ってきた「ふたり」ですが、石田ひかりのエピソードはもちろん、製作のきっかけや技術面など詳細に語っていて、堪能しました。
さらに素敵なのが、大林宣彦映画と縁の深かった人やファンを公言している著名人から「一番好きな作品」についてアンケートを取り、その中で寄せられた大林監督への質問一つ一つ、丁寧に回答しているコーナー。監督の真摯な人柄を感じます。
「ふたり」の脚本は、大林監督の盟友・桂千穂ですが、桂氏は最も好きな大林映画として「ふたり」を挙げていて、それもとてもうれしく感じました。

真摯な、といえば本書を開いて真っ先に注目したのは問題作「漂流教室」について。
予想外の内容に驚きました。
ドタバタしていた舞台裏を打ち明け、真摯な反省を口にしています。
以前、「映画秘宝」に楳図かずおのインタビューが載ったとき、「漂流教室」から20年近く経っていたにも関わらず、未だに仕上がりに激怒していたので、監督の方はどんな風に思っているのかな、と気になっていたのですが、本書のインタビューを読んでなんだかホッとするような気持ちになりました。大森一樹による「漂流教室」評も、大林監督に対する愛を感じました。

ところで本書ですが、立東舎からこんなに分厚い映画本が出るとは意外な、と思ったのですが、インタビュアーを務めた馬飼野元宏氏による序文を読むと「出版を予定した版元の消失」とあり、なるほど、これは洋泉社から映画秘宝コレクションか何かの形で刊行される予定だったようです。
映画秘宝バージョンの装丁だったらどんな本になっていたのか、それも見てみたかった気がしますが、実際に刊行された本書の装丁はとてもいい感じで、永久保存版として書棚を飾るのにふさわしい一冊です。


スポンサーリンク
profile

筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

プロフィール

squibbon