遅ればせながら、初めてNetflixに入ってみました。
15年くらい前までの独身時分は狂ったようにDVDを買いあさり(実際、狂っていた)、1000枚以上のコレクションを自宅の棚に並べていたので、正直なところ動画配信サービスというものがこの世に現れてもあまり必要を感じていなかったのですが、そのうちにNetflixオリジナル作品などというものが作られるようになり、それがマーティン・スコセッシ監督だとか、「呪怨」の新作ドラマだとか、「ダーク・クリスタル」の続編だとか、「なんですと!?」と色めき立たざるを得ないニュースが次々舞い込むようになったため、試しに一ヶ月入ってみるか、ということにしたわけです。
さっそく見たのは「呪怨」の新作で、純粋に幽霊が見たかった筆者としてはうーん、ちょっと違う、と思わざるを得なかったのですが、とはいえ久しぶりに「高橋洋のメジャー作品」を観られて、それは嬉しかったです。
さて、肝心の「アイリッシュマン」。
マーティン・スコセッシのギャング映画です。なおかつ、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの共演という、ギャング映画好きであれば聞いただけで冷静ではいられなくなってしまう布陣ですが、なんとこんな重要な映画がNetflixに入らないと見られないとは!
アメリカでは11月にCriterion CollectionからBlu-rayが発売されるとアナウンスされていますが、日本でディスクが発売されるかどうかは全くわからないため、これはなんとか妻の了解を得てNetflixに入るしかない、とずっと機会を伺っていたわけです。
結局は、「呪怨」にも後押しされ、妻の了解を得ることなくゲリラ的に契約したわけなのですが、月額880円(税込)の元は十分に取れました。非常にすばらしい映画でした。
と言っても、実は一回目に見た時点では、まるきりちんぷんかんぷんで、いったいどんなストーリーが進行しているのか、さっぱり理解できかったのです。
この映画は実話をベースにしているということなのですが、日本人には馴染みのない人物のため、話の先を読むことができません。しかし、ラストがどうなるかを観客が知った上で鑑賞することが前提になっているのか、非常に複雑な構成で物語が展開しているのです。
まず、現代(といっても2000年代?)の主人公が老人ホームらしき場所で、ギャングのヒットマンとして過ごしてきた人生の回想を始めるのですが、この回想シーンでは2つの時制が並行して語られます。
1975年のとある一日と、その日へと至る1950~70年代の物語。これが交互に描かれ進行していくのですが、ラストに待ち受けるものを知らないため、いたずらに話をややこしくしているようにしか見えません。
なおかつ混乱に拍車をかけるのが高齢の俳優陣。
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、全員が70代後半ですが、それぞれの40代あたりからの人生を演じています。
このため特殊メイクではなく、VFXを駆使して表情を若返らせており、実際にこの技術は驚異的で「あれ?むかし撮った映像を流用している?」と思ってしまうくらいなのですが、さすがに体の動きは全員がおじいちゃん。デ・ニーロが近所の食料品店へ殴り込むシーンなんかは「こんな動きののろいじいさんにやられちゃうなんて??」とかなり違和感があります。
どのシーンを見ても表情以外は全員おじいちゃんなので、いつの時代の話をしているのか、だんだんわからなくなってきます。
おそらくは、元ネタになっている実話については、アメリカ人であればある程度の知識があり、それを前提に話を進めているようですが、こっちはそんなこと知ったこっちゃありません。
そんなわけで、「ああ、わざわざNetflixに入った甲斐はなかったなあ」なんてことを思いながら3時間半も何を見ているのかよくわからない状態を我慢していたのですが、ラストでぶったまげました。
なるほどなるほど、これはそういう話だったのか!
いやこれ、別に何かが隠されていたわけでもなく、初めからこの結末へ向けて真っ直ぐに話は進んでいたのですが、こっちの知識不足のせいで何が何やらワケがわからなくなっていたのでした。
一度見終わると、「これはもう一回、おさらいしなければ!」という気分になってしまい、直ちに冒頭へ戻ってもう一回見直しました。
3時間半を2回で、合計7時間(もちろん、3日間くらいに分けて観ています)。
しかし、2回目の3時間半はあっという間でしたね。
複雑に思えた構成も、ラストの悲劇へ向けて盛り上げるためにはこれしかない、という展開だとわかります。
全員おじいちゃんという点も、2回目は全然気になりませんでした(単に慣れただけ、という気もしますが)。それどころかラストへ近づくにつれ、名優たちの表情、仕草による感情表現が胸にささってきます。
というわけで、この映画については、実話の知識を頭へ叩き込んでから見るか、もしくは2回見ることを強くおすすめします。
そうなると、劇場ではなく配信という形での公開はこの映画にとっては非常に良かったということになります。
たぶん、劇場で見ていたら中盤はほとんど寝てしまって「ああ、なんかわけがわからなかったな」で終わってしまっていたのではないか、という気もします。
Netflixはひとまずは一ヶ月だけで、また見たいものが溜まってきたら再開しようと思いますが、ひとまず契約終了まであと数日あります。もったいないので、「アイリッシュマン」はもう一回見ておこうかな、と思っています。それだけ見れば、もしかして将来的に日本版Blu-rayが発売されても「もう十分見た」と我慢できるかな、と思います。
15年くらい前までの独身時分は狂ったようにDVDを買いあさり(実際、狂っていた)、1000枚以上のコレクションを自宅の棚に並べていたので、正直なところ動画配信サービスというものがこの世に現れてもあまり必要を感じていなかったのですが、そのうちにNetflixオリジナル作品などというものが作られるようになり、それがマーティン・スコセッシ監督だとか、「呪怨」の新作ドラマだとか、「ダーク・クリスタル」の続編だとか、「なんですと!?」と色めき立たざるを得ないニュースが次々舞い込むようになったため、試しに一ヶ月入ってみるか、ということにしたわけです。
さっそく見たのは「呪怨」の新作で、純粋に幽霊が見たかった筆者としてはうーん、ちょっと違う、と思わざるを得なかったのですが、とはいえ久しぶりに「高橋洋のメジャー作品」を観られて、それは嬉しかったです。
さて、肝心の「アイリッシュマン」。
マーティン・スコセッシのギャング映画です。なおかつ、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの共演という、ギャング映画好きであれば聞いただけで冷静ではいられなくなってしまう布陣ですが、なんとこんな重要な映画がNetflixに入らないと見られないとは!
アメリカでは11月にCriterion CollectionからBlu-rayが発売されるとアナウンスされていますが、日本でディスクが発売されるかどうかは全くわからないため、これはなんとか妻の了解を得てNetflixに入るしかない、とずっと機会を伺っていたわけです。
結局は、「呪怨」にも後押しされ、妻の了解を得ることなくゲリラ的に契約したわけなのですが、月額880円(税込)の元は十分に取れました。非常にすばらしい映画でした。
と言っても、実は一回目に見た時点では、まるきりちんぷんかんぷんで、いったいどんなストーリーが進行しているのか、さっぱり理解できかったのです。
この映画は実話をベースにしているということなのですが、日本人には馴染みのない人物のため、話の先を読むことができません。しかし、ラストがどうなるかを観客が知った上で鑑賞することが前提になっているのか、非常に複雑な構成で物語が展開しているのです。
まず、現代(といっても2000年代?)の主人公が老人ホームらしき場所で、ギャングのヒットマンとして過ごしてきた人生の回想を始めるのですが、この回想シーンでは2つの時制が並行して語られます。
1975年のとある一日と、その日へと至る1950~70年代の物語。これが交互に描かれ進行していくのですが、ラストに待ち受けるものを知らないため、いたずらに話をややこしくしているようにしか見えません。
なおかつ混乱に拍車をかけるのが高齢の俳優陣。
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、全員が70代後半ですが、それぞれの40代あたりからの人生を演じています。
このため特殊メイクではなく、VFXを駆使して表情を若返らせており、実際にこの技術は驚異的で「あれ?むかし撮った映像を流用している?」と思ってしまうくらいなのですが、さすがに体の動きは全員がおじいちゃん。デ・ニーロが近所の食料品店へ殴り込むシーンなんかは「こんな動きののろいじいさんにやられちゃうなんて??」とかなり違和感があります。
どのシーンを見ても表情以外は全員おじいちゃんなので、いつの時代の話をしているのか、だんだんわからなくなってきます。
おそらくは、元ネタになっている実話については、アメリカ人であればある程度の知識があり、それを前提に話を進めているようですが、こっちはそんなこと知ったこっちゃありません。
そんなわけで、「ああ、わざわざNetflixに入った甲斐はなかったなあ」なんてことを思いながら3時間半も何を見ているのかよくわからない状態を我慢していたのですが、ラストでぶったまげました。
なるほどなるほど、これはそういう話だったのか!
いやこれ、別に何かが隠されていたわけでもなく、初めからこの結末へ向けて真っ直ぐに話は進んでいたのですが、こっちの知識不足のせいで何が何やらワケがわからなくなっていたのでした。
一度見終わると、「これはもう一回、おさらいしなければ!」という気分になってしまい、直ちに冒頭へ戻ってもう一回見直しました。
3時間半を2回で、合計7時間(もちろん、3日間くらいに分けて観ています)。
しかし、2回目の3時間半はあっという間でしたね。
複雑に思えた構成も、ラストの悲劇へ向けて盛り上げるためにはこれしかない、という展開だとわかります。
全員おじいちゃんという点も、2回目は全然気になりませんでした(単に慣れただけ、という気もしますが)。それどころかラストへ近づくにつれ、名優たちの表情、仕草による感情表現が胸にささってきます。
というわけで、この映画については、実話の知識を頭へ叩き込んでから見るか、もしくは2回見ることを強くおすすめします。
そうなると、劇場ではなく配信という形での公開はこの映画にとっては非常に良かったということになります。
たぶん、劇場で見ていたら中盤はほとんど寝てしまって「ああ、なんかわけがわからなかったな」で終わってしまっていたのではないか、という気もします。
Netflixはひとまずは一ヶ月だけで、また見たいものが溜まってきたら再開しようと思いますが、ひとまず契約終了まであと数日あります。もったいないので、「アイリッシュマン」はもう一回見ておこうかな、と思っています。それだけ見れば、もしかして将来的に日本版Blu-rayが発売されても「もう十分見た」と我慢できるかな、と思います。
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