201912いもうと016

大林宣彦監督の映画「ふたり」が公開されたのは1991年。筆者は高校1年生でした。
劇場まで一人でわざわざ観にいった理由は覚えていません。
赤川次郎の小説はちょこちょこと読んでいましたが、特に熱心なファンというわけではなく、「ふたり」は未読でした。大林宣彦については名前を知っているという程度。主演女優の二人は名前すら聞いたこともない。
そんな状態でよく観にいったものだと思いますが、前年にドラマ版がテレビ放映され、然る後に映画版が劇場公開されるというプロジェクトが話題になっており、なんとなく「観ておいたほうがよさそうな映画」という認識を持っていたような記憶があります。テレビ版を見ようと思っていて見損ねたことも一因だったかもしれません。

ともかく、そんな風にたいした期待もせずに見た映画は、おそらくこれまでの人生で最も何度も見直した映画になってしまいました。
上映が始まると冒頭からノックアウト。石田ひかりの魅力が炸裂。いや、石田ひかりだけでなく登場する人々が、誰も彼も立体的で生き生きと動き回っており、自分も映画の世界に入ってしまったかのような感覚で、どっぷりはまってしまいました。
頭をクラクラさせながら2時間半の上映時間を過ごすと、そのまま1ヶ月くらいは主題歌「草の想い」が脳内でエンドレス再生され続けるという状態でした。
その後、ビデオが発売されると何度も何度もレンタル。2001年にDVDが発売された時点でもまだ熱は冷めておらず、予約して購入するとしばらくのあいだは毎日再生。

原作は映画を観た直後、直ちに購入して読みましたが、これが実は驚くほど原作に忠実な映画化でした。舞台が東京、という点にのみ「あれ? 尾道じゃないの?」と軽い違和感を覚えたものの、読み返すたびに映画のキャスティングそのままで脳内上映が始まりました。

というわけで、赤川次郎「ふたり」は映画とセットで異常に思い入れのある小説なのですが、原作の発表からちょうど30年になる今年、その続編「いもうと」が刊行されました。

これは読むべきかどうか、散々迷いましたね。
10月に刊行され、手に取る決断をするまで2ヶ月近くかかりました。
これは絶対、読んだら後悔するに違いない。これまで30年間、自分の中で大切にしてきたイメージが壊されてしまうに違いない……しかし、読みたい。実加がどんなふうに成長しているのかものすごく気になる……
ということをこの2ヶ月近く悩み続けた挙げ句、ようやく読んだというわけです。

結果。
読んだのは正解でした!

まず、映画版のキャスティングそのままで、続編も完全にイケます。
実加は石田ひかり。お姉ちゃんは中嶋朋子。お父さんは岸部一徳で、お母さんは富司純子。長谷部真子も神永智也もみんな映画のままでOKです。
むしろ、赤川次郎が原作者でありながら、映画版リスペクトで、出演者に寄せてきているような印象すらありました。
ああ、それぞれこんな風に「ふたり」のあとを生きていたんだ、ということがよくわかりました。

しかし、みんな本当にひどい目に遭いますね。
 そもそも、赤川次郎の作風は、世間ではユーモアミステリだとか言われていますが、本質的には暗く陰惨な物語を描きます。
「ふたり」も美しい姉妹愛の物語と見せて、一つ一つのエピソードは冷酷です。
姉の事故死、レイプ未遂、母の入院と闘病、いじめ、同級生の一家心中、さらには父の不倫。
少女時代にどれか一つでも経験したら一生引きずりそうな話がてんこ盛りとなっています。
続編「いもうと」では、これはさらにエスカレート。大人になっているので、さらに容赦のないトラブルが次々と襲ってきます。野島伸司も真っ青の展開です。
ところが、作者は登場人物に対して容赦がないだけで、愛情がないわけではない。
過酷な試練に直面する一人ひとりを、実に生活感あふれる生きたキャラクターとして描きます。誠実に生きる人も、身勝手に生きる人も、それぞれ自分の人生をしっかり生きている。一番残酷な未来が待っていたのは神永青年でしたが、彼に対してすら作者の愛情を感じる。

そんな冷酷な展開の物語を、「ふたり」では、実加と千津子のやり取りに救われながら読み進みますが、「いもうと」では成長した実加のたくましさに救われます。
どうしているか心配していたけど、ほんとに頑張ってるよ! よかったよかった!
全然「いい話」なんかじゃないのに、またもや物語の中にどっぷりとはまってしまいました。

いもうと
赤川 次郎
新潮社
2019-10-18




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