平成が終わる、ということで個人的な感慨をつらつらと。
乱歩の少年探偵団シリーズにはまったのが昭和62年(小6)。
横溝正史を熱心に読んでいたのが昭和63年(中1)。
島田荘司を読み始め、そのまま現代ミステリを読み漁るようになったのが平成元年(中2)。
というわけで、そのまま平成の30年間「ミステリ好き」を標榜しながら年を重ねてきたわけですが、どうも自分がリアルタイムで読んだ小説というのは「古典」という気がしないんですよね。
ところが! ふと気づいてみるとミステリを読み始めてもう30年。
時計を逆に回して、平成元年からさらに30年前は、どんな小説が書かれていたか。
たとえば推理作家協会賞受賞作を並べてみるとびっくりしますよ。
1958年 角田喜久雄 『笛吹けば人が死ぬ』
1959年 有馬頼義 『四万人の目撃者』
1960年 鮎川哲也 『憎悪の化石』『黒い白鳥』
めっちゃ古典ばっかり!
筆者がミステリを読み始めた時点で、この辺はもう立派な「古典」扱いでした。
翻って、今から30年前。平成元年に発表された作品を対象とした「このミス」ランキング。
- 私が殺した少女(原尞)
- 空飛ぶ馬(北村薫)
- 奇想、天を動かす(島田荘司)
- エトロフ発緊急電(佐々木譲)
- クラインの壺(岡嶋二人)
- 男たちは北へ(風間一輝)
- 深夜ふたたび(志水辰夫)
- 生ける屍の死(山口雅也)
- 影武者徳川家康(隆慶一郎)
- 倒錯のロンド(折原一)
「クラインの壺」や「生ける屍の死」なんか、いま読んでも最先端なミステリという印象を持つし、「奇想、天を動かす」「倒錯のロンド」を読んだときの衝撃はいまもありありと思い出せる。
何より「私が殺した少女」なんか、未だにシリーズはちょっとしか進んでないよ!
この辺は単なる世代の問題でしょう。筆者より30くらい年上、いまの70代の人たちは平成元年の時点で「黒い白鳥」を「つい最近」と思っていたかもしれません。
しかし、どうしても昭和後半30年間と、平成の30年間とでは、小説の世界においては「古典」になるまでにかかる時間が違うように思うのです。
昭和の作品のほうがあっという間に古典になってしまっていたよな印象が拭えません。何より、横溝正史が金田一シリーズをスタートしてから市川崑監督「犬神家の一族」が公開されるまでがちょうど30年なのです。
一方で、現代の古典というべき「斜め屋敷の犯罪」や「十角館の殺人」は発表されてから30年以上経っています。
なぜ昭和のミステリは30年も経たずに「古典」の地位を確立したのか。
理由としてまず考えられるのは「文庫」の存在。
「文庫」ブームと言われ、各社が競って文庫を発刊したのは昭和50年代のことでした。
ミステリに関してはそれまで国文学中心の老舗だった角川文庫と、後発の講談社文庫とが、どこの出版社が親本を出しているのかにお構いなく、「名作」とされる作品をどんどんと収録していきました。
要するに、この時点で角川文庫・講談社文庫に収録された作品は、発表時期がいつであれ、自動的に「古典」と認知されていったわけです。高木彬光、山田風太郎、都筑道夫あたりはバリバリの現役作家なのに古典的な巨匠扱い。土屋隆夫の「影の告発」なんかは、角川・講談社の両方に収録されたから当然、古典。鮎川哲也、仁木悦子も古典。結城昌治も古典。
まあ、昭和50年代の若い読者にとってはそのような感覚があったかと思います。
一方で、平成ミステリは、基本的に親本を刊行した出版社が文庫を出し続け、ここ最近、ちょこちょこと新装版になったりしますが、概ねあまり変わらない装丁で刊行が続いています。
やっぱりこのあたりの「連続性」が見えている時点で、あまり古いという感じがしないんですよね。
「連続性」といえば、ミステリの歴史のおいても、昭和後半の30年のあいだには「社会派ブーム」「冒険小説ブーム」というものがあり、本格ミステリ冬の時代がありました。横溝正史もとっくに故人だと思われていたなどと言われていますが、やはり一度廃れて、また蘇ったものというのは箔が付きますね。
一方の平成ミステリは、島田荘司も綾辻行人も京極夏彦も、人気が衰えたというタイミングは全くありません。竹本健治「ウロボロスの偽書」もすでに30年前の小説ですが、これをいまの若い読者が読んでも、あまり違和感はないんじゃないかと思います。
というわけで、すごくどうでもよい話ですが、平成ミステリはなかなか古くならないよなあ、と思い込んでいる40男の感慨を書き連ねてみました。
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