201810シナリオ265

高木彬光のデビュー作「刺青殺人事件」の映像化といえば、近藤正臣が神津恭介を演じた土曜ワイド劇場版が有名です。筆者が中学生の頃は、平日は毎日、夕方に土曜ワイド劇場を再放送していて、学校から帰って親が買い物にでかけたりして留守にしていると、乱歩の美女シリーズをドキドキしながら見ていたものですが、この「刺青殺人事件」も何度か見た記憶があります。
神津恭介は、金田一耕助に比べるとあまりハッキリした個性がなく、原作を読むより先にこのドラマ版を見ていたため、どうも神津恭介は完全に近藤正臣とイコールになってしまっています。

「刺青殺人事件」が発表されたのは1948年のことですが、そのわずか5年後、1953年に映画化されていたことはあまり知られていません。
筆者がこれを初めて知ったのは割と最近のことで、このムックに紹介されていたためです。



この本については、いずれまた紹介したいと思いますが、「〝誰も知らない〟ミステリーまで」と表紙にある通り、本当に全く存在を知らなかったミステリ映画が山ほど紹介されていて驚きました。伊藤大輔脚本の「刺青殺人事件」もその一本だったわけです。
「名探偵・神津恭介こそ出てこないが」と言いつつ「高木彬光のデビュー作で代表作の完全映画化」ということで、非常に興味を惹かれましたが、フィルムはすでに失われており、見ることは叶わない幻の映画のようでした。
このムックは、脚本家の桂千穂と掛札昌裕がほぼ自分たちの記憶を頼りに作品紹介をしています。このため、幻の映画でも大量に掲載されているのです。

さて、先日、何の気なしに月刊「シナリオ」誌のホームページでバックナンバーの掲載内容を眺めていて仰天しました。
なんと2年前の2016年6月号に、この「刺青殺人事件」のシナリオが掲載されているというではありませんか。
筆者は、一応毎月「シナリオ」誌の内容はチェックして、興味のある作品が掲載されているときには買っているのですが、こんなとんでもないものが掲載されていることに気づかず、この号はスルーしてしまっていました。なんてこった!
とはいえ、この雑誌は古本でバックナンバーを調達するのは非常に簡単です。いったいどの程度の部数が発行されているのか知りませんが、これまで目的の号を入手するのに苦労したことはありません。
今回も直ちにWebで検索し、無事に購入できました。

シナリオ 2016年 06 月号 [雑誌]
日本シナリオ作家協会
2016-05-02


シナリオが最近発見されたため活字化したということらしく、またもや桂千穂が座談会に登場して、本作についてあれこれ語っています。
桂千穂氏はもうだいぶご高齢かと思いますが、今のうちに知っていることを何もかも全部喋っておいてもらった方が良いと思いますよ。氏以外の誰も知らない貴重な情報を、そのままあの世へ持っていかれてしまったらミステリ界・映画界にとって大変な損失です。

それはともかく、さっそく読んでみましたが、うーん、なんとも言えない。
確かに神津恭介は登場せず、原作では容疑者の一人となる早川博士が自ら推理して謎を解き明かします。
トリックは原作通りですが、ところが密室については全然触れられていません。
「本陣殺人事件」に触発されて執筆された密室物……というのがこの原作の定評ですが、このシナリオを読んでみると、確かに事件にとっては密室かどうかはあんまり重要じゃないですね。原作を読んだのがもう20年以上前であるうえ、本がいま手元にないため、あんまり覚えていないのですが。
というわけで、原作から神津恭介と密室を削除したものがこのシナリオということになります。

そんな気の抜けたビールみたいな……と思われるかも知れませんが、ところがこのシナリオ、ミステリ映画としてはかなりよくできている、というかかなり気合が入っているのです。
1953年(昭和28年)ということを考えると、これは驚くべきレベルです。
1976年の「犬神家の一族」以降は、ミステリ映画もだいぶ「謎解き」重視となり、ミステリ的な仕掛けで観客を驚かせるよう、伏線などにも気を配るようになりましたが、昭和20年代のミステリ映画といえばドンパチが中心です。金田一耕助ですら、暗黒街の顔役みたいな扱いになっていたのです。
その中にあって、このシナリオはカメラのアングルなどまで細かく指定し、ミステリ的にフェアな伏線を張ろうとしています。
それなのに、名探偵を削除するなんて……と思ってしまいますが、これはこれで、当時のミステリ好きが名探偵という存在をどのように捉えていたのか、期せずして時代の証言のような形になっているようにも思います。

というわけで、あまりにも今更ではありますが、ミステリ好きは必読の号でありました。
 


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