201805ウロボロスの基礎論226

今月、初の文庫化となった竹本健治「ウロボロスの基礎論」。
筆者は雑誌「メフィスト」での連載時に読んでいたのですが、改めて読むと(フィクションとノンフィクションとが入り混じっているとは言え、)当時の空気が濃厚にパックされていて、とても懐かしい気分になりました。

考えてみると連載開始からすでに25年……。
そんなに経ったとはとても思えない、というか、なんだかつい最近のことのようにも感じてしまう。ちょうど、今の朝ドラ「半分、青い」を見ている時と同じような気分です。
しかし、今回の文庫化で初めて本作を手に取る若い読者にとっては、生まれたばかりか、下手をするとまだ生まれてなかったりする時代なわけで、当時のミステリ界がどんな状況だったかをさらっと書いておく価値はあるかな、と思いましたので、「ウロボロスの基礎論」関連事項を年表風に書き出しておきたいと思います。(以下は一応、筆者が記憶する範囲内で全て事実ノンフィションです)

◎1977年 竹本健治「匣の中の失楽」、雑誌「幻影城」にて連載開始。
そこまでさかのぼらなくても……と思われるかも知れませんが、「ウロボロス」シリーズの人間関係をうかがうには、「幻影城」は避けて通れません。
「幻影城」は、1975年に創刊されわずか4年で廃刊となってしまった雑誌ですが、「探偵小説専門誌」を謳い、横溝正史のブームから島田荘司や笠井潔らの登場前夜の時代、日本のミステリ界の中心的な存在となり、やがて来たる新本格ブームへの地ならしをしたと言える存在です。
「ウロボロス」シリーズの登場人物としては、友成純一も「幻影城」の第2回評論賞を受賞してデビューしました。この回は栗本薫と同時受賞しているのですが、実は最終候補には新保博久も残っていたりします。また、各大学ミステリクラブの近況を報告するコーナーがあるのですが、そこには山口雅也が寄稿していたりと、「幻影城」と縁が浅からぬ人はたくさんいます。

◎1979年 「幻影城」廃刊。笠井潔「バイバイ、エンジェル」にてデビュー。
◎1981年 島田荘司「占星術殺人事件」にてデビュー。
「幻影城」は経営が困難となり、夜逃げ同然で廃刊しましたが、前後して笠井潔がデビュー。その2年後にはいよいよ島田荘司が登場。このあたりから、現在に至る本格ミステリブームが始まります。

◎1987年 綾辻行人「十角館の殺人」にてデビュー。
「新本格」という宣伝文句が用いられるのは実際にはもう少しあとですが、綾辻行人の登場が「新本格」のスタートとみなされています。
綾辻行人、法月綸太郎、歌野晶午(1988年デビュー)、我孫子武丸(1989年デビュー)と講談社ノベルスの書き下ろしでデビューした新人たちには「島田荘司の推薦文とペンネーム命名」がセットになっていました。
このため、当時は新本格と並行して「島田スクール」などとも呼ばれたものです。
一方で、東京創元社からは有栖川有栖「月光ゲーム」、山口雅也「生ける屍の死」(いずれも1989年)などが刊行され、当初は講談社系の新人とは一線を画しているような印象がありましたが、いつの間にかどちらも「新本格」と呼ばれるようになりました。

◎1988年 「ウロボロスの偽書」連載開始。
「ウロボロスの偽書」は当初、雑誌「奇想天外」にて連載が始まりましたが、雑誌が廃刊となり、1991年に単行本となって完結しました。
1987年に作家デビューしていた綾辻行人は登場しますが(そもそも、デビュー前から竹本健治と親交があったこともあり)、他のいわゆる「綾辻以後の新本格作家」はまだデビューしておらず、登場していません。

◎1989年 島田荘司「本格ミステリー宣言」
我孫子武丸のデビュー作「8の殺人」の巻末に寄せられた推薦文を兼ねたエッセイが「本格ミステリー宣言」ですが、後に同タイトルの本格ミステリー論がまとめられました。「奇想、天を動かす」(1989年)や「暗闇坂の人喰いの木」(1990年)によって、理論が実作として著されます。
このあたりで、「本格ブームが起こっている」ということが世間で認知され始めたように感じます。

◎1991年 麻耶雄嵩「翼ある闇」にてデビュー。
京大ミステリ研出身、島田荘司の推薦文とペンネーム命名という、綾辻行人以来の正統的な手順を踏んで登場した麻耶雄嵩。1作目もとんでもない怪作ですが、2作目「夏と冬の奏鳴曲」のインパクトが強すぎて、あっという間に伝説的な作家となりました。
当初は顔写真もあまり出さず、あとがきも書かず、どんな作家なのか謎めいた雰囲気で、「基礎論」に描かれた素顔(?)には興味津々でした。

◎1992年 笠井潔「哲学者の密室」刊行。
しばらくミステリから離れていた笠井潔も超大作「哲学者の密室」によってミステリ界へ復帰し、同時に島田荘司「本格ミステリー宣言」に呼応して、旺盛なミステリ評論活動をスタートします。
やがて笠井潔の評論活動はミステリ界において一つの「核」となり、氏が中心となって1995年に設立した「探偵小説研究会」は、現在も本格ミステリ評論の牙城となっています。

◎1993年 「ウロボロスの基礎論」連載開始。
上記の流れの中で連載の始まった「ウロボロスの基礎論」ですが、押さえておきたいポイントは京極夏彦デビュー前夜、ということでしょうか。正確には、連載中の1994年にデビューしています。
新本格ミステリ作家とは作風が大いに異なるものの、講談社ノベルスからのデビューということもあって、交友関係はかぶっており、続編の「ウロボロスの純正音律」には登場します。
また、「エワマワセ」で一瞬だけ「ウロボロスの基礎論」に登場した清涼院流水は1996年のデビューです(ちなみに文庫版には「エワマワセ」が清涼院流水と追記がありましたが、連載時には単なる学生だったため、もちろん名前は書かれていません。清涼院流水のデビュー作「コズミック」のあとがきに、この一件をほのめかす記述がありました)。
このように、綾辻行人から始まった「新本格」ブームが定着し、やがて「第二世代」などとも呼ばれるメフィスト賞作家たちが登場してブームが「本格」にとどまらない形で拡散していく直前の、絶妙なタイミングで本書は執筆されたことになります。

というわけで、「ウロボロスの基礎論」を読むにあたって参考になりそうな当時の状況を思いつくままに書いてみました。
次回は、本作への個人的な思い入れを綴ります。




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