4月19日から放映の始まったドラマ「モンテ・クリスト伯」。
以前にこちらの記事で書いたように大好きな小説なので、ドラマもどんな出来なのか見てみました。
これはなんと、ビックリするくらい原作に忠実ですね。
いや、舞台を現代の日本へ置き換えている時点で「忠実」とは言えないかも知れませんが、舞台や人物の設定以外は、原作へのリスペクトが感じられ、とても好感を持ちました。
ところが、ネットで感想を見ているとあまり評判は良くないようです。
Googleで「モンテ・クリスト伯」と検索すると、小説ではなくドラマの情報ばかりヒットする状況ですが、並んでいるのは
「『モンテ・クリスト伯』支離滅裂すぎでもはやギャグ」
「ディーン『モンテ・クリスト伯』初回5.1%! 「想像を絶するダメ演技」と酷評相次ぐ」
なんていう記事が目立ちます。
これはまずい!
せっかく見始めたドラマが打ち切りになってはたまりません。
というわけで、緊急で擁護する記事を投稿することにします。(ちなみに第2話まで見た時点での感想です)
まず、視聴者の多くが突っ込んでいる最大のポイント。
投獄前と脱獄後とで、全然顔が変わっていないのに、誰も暖に気づかないのはおかしい、というもの。
はい、これは、確かにそのとおりです。弁護の余地なし。
……と言ってしまうと話が終わってしまうのですが、しかし考えてみてください。
第2話以降、ディーン・フジオカがずっと老けメイクをしていたとしたら、そんなドラマ見たいですか?
ドラマに求められるのはリアルな描写ではありません。主演スターのファンを満足させることも重要です。となると、それぞれの場面に適したディーン・フジオカの「かっこよさ」を引き出すことが優先されます。
暖が守尾社長のもとを訪れ、なんとか自分に気づいてもらおうと話を振るのに全く気づいてもらえない……というシーンをもって、「親しい人にもわからないくらい変貌している」というエクスキューズは済ませています。したがって、視聴者にはその事実を前提として受け入れ、余計な突っ込みをしないことが求められるわけです。
皆さん、ぜひ次回以降は「暖の容貌は変わってしまった」という事実を受け入れた上でドラマをご覧ください。
次に、やはり現代日本を舞台にしていることへの違和感。
これもしかし、筆者としてはむしろ、かなり頑張って変換していることに感心しました。
「ナポレオンの手紙」が「テロリストの手紙」に。
実際、19世紀フランスの王党派にとって、ボナパルト党はテロリストだったんでしょう。
ナポレオンの手紙は、受取人であるノワルティエ氏の息子・検事代理のヴィルフォールによって燃やされますが、ドラマでもヴィルフォールに該当する入間公平がライターの火で燃やしてしまうので、「おお、ここまで再現!」とちょっと感動しました。
現代日本においては、土牢に十年以上も放り込まれたあげく、さらにそこから脱出するなんていう展開は全く不可能ですが、テロ事件に関係したとして他国へ送致されたとなると、まああり得なくもないでしょう。いや、あり得ないか。
獄中で出会うのはファリア神父ですが、やっぱり神父が出てくるんだろうか、と思っていたら名前が「ファリア真海」! これも原作へのリスペクトと言えます。
脱獄方法も原作と全く同じ。
ただ、細部では少し異なる部分があります。
原作では、神父の死体を自分のベッドへ寝かせて身代わりにしますが、ドラマでは穴の中のまま。これでは、看守に見つかってしまうのでは、と少し心配になりました。
原作では海へ投げ込まれる際、重りは縄で足に結ばれていますが、ドラマでは鉄の鎖。よくぞ息が切れる前に外せたもんです。
……と、いろいろ書いていると擁護記事でなくなってきそうですが、そういう細かいところ以外は、現代的な形に変換しつつも正確に原作をなぞっていて、感心しています。
原作では財宝はモンテ・クリスト島の洞窟に隠されており、これを探し出すだけで100ページくらい費やしていますが、ドラマではシンガポールの銀行へ行って、暗証番号を伝えるだけであっさり受け取ってしまいます。まあ、この辺は長い原作を適度に端折るためには許容範囲内かと思います。
守尾社長への恩返しも、原作では非常に劇的な展開をしますが、ドラマではあっさり。とは言え、これはエピソードとしてちゃんと挿入しているだけでもエライもんです。
事件の真相も、獄中で神父が推測した話を、脱獄後にカドルッスに会って確認しますが、ドラマでも同じく、寺角が真相を語ります。なかなか細かいところまで気を配っています。
第2話の終わりではクルーザーに乗って姿を現し、正体不明の財力を見せつけます。
この「クルーザー」、単に金持ちの象徴として出てきているわけではありません。
原作でも、帆船を買い取り、それを乗り回しているのです。そこを再現しているものと思われます。
さて、次は第3話。いよいよ復讐の幕開けです。
原作の面白さは、緻密に計算された復讐の段取りと、それを叶えるために湯水のように金を使っていくゴージャスさです。無尽の財力で敵を追い詰めていく姿が、読者には「痛快」と映ります。
この辺はドラマでも期待できそうです。
ただ気になるのは、原作では投獄から復讐の開始まで23年も経っているのですが、ドラマでは14年です。
フェルナンとメルセデスのあいだに出来た息子・アルベールは青年に成長していますが、ドラマで南条とすみれとのあいだに生まれた娘(息子じゃない!)は、まだ子供と思われます。
アルベールほどガッツリと伯爵にからむわけにいかないので、その辺、どうするつもりなんだろう?
もしかすると第3話以降で急に原作から離れていってしまうかも……という不安を抱きつつも、今のところはかなり楽しんで鑑賞しております。
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以前にこちらの記事で書いたように大好きな小説なので、ドラマもどんな出来なのか見てみました。
これはなんと、ビックリするくらい原作に忠実ですね。
いや、舞台を現代の日本へ置き換えている時点で「忠実」とは言えないかも知れませんが、舞台や人物の設定以外は、原作へのリスペクトが感じられ、とても好感を持ちました。
ところが、ネットで感想を見ているとあまり評判は良くないようです。
Googleで「モンテ・クリスト伯」と検索すると、小説ではなくドラマの情報ばかりヒットする状況ですが、並んでいるのは
「『モンテ・クリスト伯』支離滅裂すぎでもはやギャグ」
「ディーン『モンテ・クリスト伯』初回5.1%! 「想像を絶するダメ演技」と酷評相次ぐ」
なんていう記事が目立ちます。
これはまずい!
せっかく見始めたドラマが打ち切りになってはたまりません。
というわけで、緊急で擁護する記事を投稿することにします。(ちなみに第2話まで見た時点での感想です)
まず、視聴者の多くが突っ込んでいる最大のポイント。
投獄前と脱獄後とで、全然顔が変わっていないのに、誰も暖に気づかないのはおかしい、というもの。
はい、これは、確かにそのとおりです。弁護の余地なし。
……と言ってしまうと話が終わってしまうのですが、しかし考えてみてください。
第2話以降、ディーン・フジオカがずっと老けメイクをしていたとしたら、そんなドラマ見たいですか?
ドラマに求められるのはリアルな描写ではありません。主演スターのファンを満足させることも重要です。となると、それぞれの場面に適したディーン・フジオカの「かっこよさ」を引き出すことが優先されます。
暖が守尾社長のもとを訪れ、なんとか自分に気づいてもらおうと話を振るのに全く気づいてもらえない……というシーンをもって、「親しい人にもわからないくらい変貌している」というエクスキューズは済ませています。したがって、視聴者にはその事実を前提として受け入れ、余計な突っ込みをしないことが求められるわけです。
皆さん、ぜひ次回以降は「暖の容貌は変わってしまった」という事実を受け入れた上でドラマをご覧ください。
次に、やはり現代日本を舞台にしていることへの違和感。
これもしかし、筆者としてはむしろ、かなり頑張って変換していることに感心しました。
「ナポレオンの手紙」が「テロリストの手紙」に。
実際、19世紀フランスの王党派にとって、ボナパルト党はテロリストだったんでしょう。
ナポレオンの手紙は、受取人であるノワルティエ氏の息子・検事代理のヴィルフォールによって燃やされますが、ドラマでもヴィルフォールに該当する入間公平がライターの火で燃やしてしまうので、「おお、ここまで再現!」とちょっと感動しました。
現代日本においては、土牢に十年以上も放り込まれたあげく、さらにそこから脱出するなんていう展開は全く不可能ですが、テロ事件に関係したとして他国へ送致されたとなると、まああり得なくもないでしょう。いや、あり得ないか。
獄中で出会うのはファリア神父ですが、やっぱり神父が出てくるんだろうか、と思っていたら名前が「ファリア真海」! これも原作へのリスペクトと言えます。
脱獄方法も原作と全く同じ。
ただ、細部では少し異なる部分があります。
原作では、神父の死体を自分のベッドへ寝かせて身代わりにしますが、ドラマでは穴の中のまま。これでは、看守に見つかってしまうのでは、と少し心配になりました。
原作では海へ投げ込まれる際、重りは縄で足に結ばれていますが、ドラマでは鉄の鎖。よくぞ息が切れる前に外せたもんです。
……と、いろいろ書いていると擁護記事でなくなってきそうですが、そういう細かいところ以外は、現代的な形に変換しつつも正確に原作をなぞっていて、感心しています。
原作では財宝はモンテ・クリスト島の洞窟に隠されており、これを探し出すだけで100ページくらい費やしていますが、ドラマではシンガポールの銀行へ行って、暗証番号を伝えるだけであっさり受け取ってしまいます。まあ、この辺は長い原作を適度に端折るためには許容範囲内かと思います。
守尾社長への恩返しも、原作では非常に劇的な展開をしますが、ドラマではあっさり。とは言え、これはエピソードとしてちゃんと挿入しているだけでもエライもんです。
事件の真相も、獄中で神父が推測した話を、脱獄後にカドルッスに会って確認しますが、ドラマでも同じく、寺角が真相を語ります。なかなか細かいところまで気を配っています。
第2話の終わりではクルーザーに乗って姿を現し、正体不明の財力を見せつけます。
この「クルーザー」、単に金持ちの象徴として出てきているわけではありません。
原作でも、帆船を買い取り、それを乗り回しているのです。そこを再現しているものと思われます。
さて、次は第3話。いよいよ復讐の幕開けです。
原作の面白さは、緻密に計算された復讐の段取りと、それを叶えるために湯水のように金を使っていくゴージャスさです。無尽の財力で敵を追い詰めていく姿が、読者には「痛快」と映ります。
この辺はドラマでも期待できそうです。
ただ気になるのは、原作では投獄から復讐の開始まで23年も経っているのですが、ドラマでは14年です。
フェルナンとメルセデスのあいだに出来た息子・アルベールは青年に成長していますが、ドラマで南条とすみれとのあいだに生まれた娘(息子じゃない!)は、まだ子供と思われます。
アルベールほどガッツリと伯爵にからむわけにいかないので、その辺、どうするつもりなんだろう?
もしかすると第3話以降で急に原作から離れていってしまうかも……という不安を抱きつつも、今のところはかなり楽しんで鑑賞しております。
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