201804昭和天皇物語199

能條純一の「昭和天皇物語」、待望の2巻が刊行されたました。
今回はのちに皇后となる久邇宮良子との出会いを中心に描かれています。引き続き原作は半藤さんということになっていますが、前巻以上に福田和也「昭和天皇」からの影響が濃厚に感じられます。
1巻目に続いて、気づいたことを書いてみます。

貞明皇后

大正天皇の后であった貞明皇后は、昭和天皇を語る上で非常に重要な人物です。
本作では昭和天皇の后である香淳皇后(久邇宮良子)を見初めたのが、貞明皇后であるとされていますが、福田和也の「昭和天皇」にも全く同じエピソードが紹介されています。
出典がよくわからないのですが、まあ福田和也が書いているんなら、ちゃんとした根拠があるんだろうと思います!
もちろん、このエピソード一発で内定したわけではなく、数多くの候補の中から選ぶ際、一つのきっかけになった、ということでしょう。福田和也の本には、選ばれた過程は公開されていない、とも書かれています。
貞明皇后は強気な性格で皇室内において絶大な権力を握っていたと言われていますが、本作でもその雰囲気はよく描かれています。昭和天皇のお后選び、戦前戦中を通しての昭和天皇の振る舞い、弟宮である秩父宮との関係など、あらゆる場面で貞明皇后の影響は現れてくることになります。

宮中某重大事件

恐らく次巻で最大の山場となるのがこの「宮中某重大事件」です。
これは久邇宮良子女王の兄・朝融王が色弱であると判明したことから、久邇宮家には色盲の遺伝子があり、この血統が皇室へ入り込むのは由々しき事態であると婚約反対運動が繰り広げられたことを指します。
良子の母は島津家の出身であり、反対運動の中心となった山縣有朋が長州の出身であることから、世間では薩長の勢力争いであると捉えられ、本作でもこの説を採用しています。
一方で、山縣有朋は単純に色盲に対する懸念を示しただけであるという説もあり、福田和也「昭和天皇」はその観点で綴られています。
とはいえ、当事者の思惑がどうであったかは歴史的には重要なことではなく、世間が「勢力争い」と認識したことが、大正から昭和にかけての時代に大きな影響を与えることになります。
本作での山縣有朋は、宮中某重大事件の黒幕らしく、大変な悪人面で描かれていますが、実際に昭和天皇との関係がどうだったかといえば、昭和天皇が終戦直後、皇太子(現在の天皇陛下)へ宛てた有名な手紙があります。その中に「明治天皇の時には、山県、大山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時には、あたかも第一次世界大戦の独国の如く、軍人が跋扈して大局を考えず、進むを知って、退くことを知らなかった」という一文があり、明治期の名将の一人として数え上げられており、高く評価されていたことが伺われます。

昭和天皇物語 2 (ビッグコミックス)
能條 純一
小学館
2018-03-30







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