
(ネタバレはしませんが、内容に触れます)
昨年末、横溝正史の幻の長編が発見されたと大々的に報道されました。
昭和16年6月から12月にかけて新潟の地方紙へ連載されていたもので、しかも内容はミステリではなく「家庭小説」とのこと。いったいどんなものなのか、発売を心待ちにしていました。
しかし、買ってから思ったのですが、筆者は横溝正史ファンを自任しているとはいえ、全作品を読破しているわけでもなく、こんな本まで買うくらいなら、もっと先に読んでおくべき作品がたくさんあるんじゃなかろうか。
また、横溝正史の「未単行本化」作品というのは、未だに残っているとは思いませんでしたが、そんなに驚くべきことでは無いようにも思います。というのは、横溝正史は雑誌発表後に改稿することがよくあり、あとで手を加えるつもりでそのまましまいこんでいたり、気に入らないからと封印していた例はこれまでにあったわけです(「死仮面」とか)。
今さらそういう作品が出てきただけ、という解釈もできます。
にもかかわらずいそいそと買ってきたのは、「幻の長編を発見!」という「お祭り」に乗り遅れまいと言う気持ちからでしょう。やはり、読むのであれば今、このタイミングで読んだほうがよいでしょう。
書店では割りとよく売れているようですが、おそらくは同じ考えで買っている人が多いのではないかと思います。
さて、ミステリではない「家庭小説」。
いったいどんなものかと読み始めましたが、いわゆる「通俗小説」ですね。
昼ドラの原作かと思うような、不幸の釣瓶打ち。キャラは善人と悪人にきっぱり分かれ、単純化されています。大河小説のように主人公の半生を描く波瀾万丈の物語です。
同じ横溝正史でもこれまで知られている作品とは全く別の顔を見せています。
文章の雰囲気は「人形佐七」シリーズに似ているように感じましたが、しかしミステリ的な要素は全くありません。
帯で有栖川有栖が「卓越したストーリーテリング」と讃えていますが、たしかにグイグイと読ませる力は強力です。横溝正史にしても江戸川乱歩にしても、ミステリ的なネタ云々の前に、圧倒的に「お話」として面白いんですよね。横溝正史のこの辺りの能力は堪能できます。
いくつか気づいたことを書いておきたいと思います。
まず、時代背景について。
連載されたのは昭和16年後半ということで、日中戦争は泥沼化し、日米開戦の直前。連載終了直前に真珠湾攻撃が行われたことになります。
昭和初期には由利先生シリーズを書いていた横溝正史は、時局の悪化に伴って探偵小説を書けなくなり(当局から明確に禁止されたわけでありませんが、雑誌編集部の「忖度」によって)、捕物帖を書いたりしますが、やがてそれすら書けなくなります。
「雪割草」はそんな時期に書かれた小説であり、時局へ迎合する記述が随所に見られます。物語の展開そのものにも時代を感じさせる箇所が多々あります。
終戦の玉音放送を聞いて快哉を叫んだという横溝正史にしては、らしくないようにも思いますが、ところがこれが、実は全く心がこもっていない記述ばかり!
後年の横溝を知っているから言えるだけかも知れませんが、付き合いで仕方なく書いていることがありありとわかるような表現が続き、その辺に横溝正史らしさを感じてしまいました。
単行本にならないまま忘れられた存在になってしまったのは、もしかすると、この時局へ迎合する姿勢を作者本人が嫌ったためではないか、とも思います。
それから、新聞でも報道されていた「金田一耕助の原型」について
これについては、筆者は「原型」とは異なる印象を持ちました。
確かに、本書の登場人物・賀川仁吾が登場した時の服装は金田一耕助と全く同じなのですが、しかし、これは以前こちらの記事(金田一耕助はなぜ和服姿なのか?)でも書いたとおり、横溝正史本人としてはそれほど特徴的なもののつもりはなく、当時にあっては単におしゃれを気にしない冴えない服装に過ぎませんでした。
したがって、賀川仁吾と金田一耕助の服装が同じでも、さらにいえば初登場時の明智小五郎も金田一っぽい格好だったりもしますが、これらはいずれも大きな問題ではありません。
とはいえ、山口直孝氏による本書巻末の解説にもあるとおり、賀川仁吾の人物造形には横溝正史本人が投影されています(結核まで患っている!)。金田一耕助にもやはり横溝正史本人の要素が含まれている、という説を賀川仁吾の存在によって補強するすることはできると思います。
最後に物語の発端である信州諏訪について。
信州は横溝正史が結核の療養のために滞在した地であり、「鬼火」「真珠郎」「犬神家の一族」と、いくつかの代表作がここを舞台にしています。「雪割草」もこの系譜に連なるものです。
個人的に気になったのは「スキー」です。というのは、冒頭でヒロインと賀川仁吾とが出会うのはスキー客で混雑する客車の中であり、その後も何度かスキーについての言及があります。
実は、「犬神家の一族」にもスキーは登場するのです。
終盤、復員服の男を追って山狩りが行われる時、金田一耕助が華麗なスキーな腕前を披露します。
「犬神家」の原作は、季節は冬であり、例の逆さまの「スケキヨ」の死体も、泥へ頭から突っ込まれた死体の周囲が凍ったものだったりします。
映像化の際には、正しく冬を季節としてものがないため、スキーシーンやら凍った湖面やらは出てこず、このため金田一耕助が特技がスキーだなんてことはみんな忘れてしまっているのが残念ですが、横溝正史がスキーにかなりの関心を持っていたことは間違いないでしょう。
しかし、戦前のスキーとはいったいどんなものでしょう。
ネットで調べていたら、こんなサイトを見かけました。
「長野県スキー発祥100年の歴史」http://www.shinshu-tabi.com/ski100/rekisi.html
この中に「スキーヤーであふれる昭和10年頃の諏訪」という写真が掲載されていますが、まさに本書に描かれた時代はこんな感じだったのでしょう。
恐るべき数のスキーヤーが集まっていますが、しかし、当時のスキー場はリフトはまだなかったと思われます。スキー=登山であり、山岳スキー、今で言うテレマークスキーが行われていたはずです。
横溝本人が滑っていたのかどうかわかりませんが、スキーが大好きな筆者としては、横溝作品の映像化の際に、ぜひ当時のスキーを再現してもらえないものかとずっと待っているのですが、全くその気配がないのが残念です。
というわけで、大幅に話が脱線しつつありますが、ミステリではないものの、横溝ファンには楽しめる要素がたくさんありますので、読んでおいて損はないでしょう。
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