201802高橋洋179

現在、小学校3年生の長男が生まれてから、映画を見る本数が激減しました。
それまでは、休みの日にすることといえば本を読むか映画を見るかしかなかったわけですが、子どもが生まれてから、とにかく起きているあいだはずっと相手をしなければいけない。
夜中にヘッドホンを付けてDVDを見るのが精一杯で、映画館なんかとても行けません。子どもがようやく少し大きくなり、仮面ライダーを見るため初めて映画館へ連れて行ったときは、冒頭の東映の波ザッパーンを見ただけで涙が出そうになりましたよ。

ところが、この飢餓状態に思わぬ楽しみを発見しました。それが「シナリオを読む」ということです。
以前の記事にも書きましたが、「昭和の劇」を読んで笠原和夫のファンになり、直後に刊行されたシナリオ集「笠原和夫 人とシナリオ」も買っていたのですが、そもそもシナリオを読んでみるという習慣がなかったため、ずっと積ん読でした。
子どもが生まれてから映画への飢餓感がMAXとなり、ふとこのシナリオ集を読み始めたところ、なんとなんと。映画本編を見るのとは全く違う、非常に面白い読み物だと知りました。
小説を読むともまた似て非なる、新たな読書の鉱脈を見つけた思いでした。

シナリオというのは映画の設計図なので、演技・撮影のために必要な指示・情報のみが簡潔に書かれたものだと思っていました。実際、多くの脚本家はそのようなシナリオを書いています。
しかし、笠原和夫を含む一部の脚本家は、ト書きを書き込むことで、場面のイメージを監督や役者へ伝えようとします。
例えば、「笠原和夫 人とシナリオ」に収録された「日本暗殺秘録」。
千葉真一演じる小沼正が、松林で恋人と抱き合うシーンのト書き。
 呻くように小沼に抱きつく民子。
 二つの生命が、青白く燃え上がる。
「青白く燃え上がる」なんて、いったいどんな演技だよ、と思ってしまいますが、しかし、運命の翻弄される二人の不安な未来を暗示するシーンであることを絶妙に表現しています。

このような「どうやって演じたらいいんだよ」の究極が「大日本帝国」のラストシーンでしょう。
終戦後数年経って、関根恵子演じる主人公(美代)が、サイパンで玉砕したはずの夫(幸吉)と海辺でばったり再開するシーン。 
 美代、激しい胸の鼓動に喘いでいる。 
 幸吉、また歩き出してくる。ゆっくりと真ッ直ぐ、美代たちの方に 
 向かってくる。 
 別離の長い長い時間を今一歩ずつ取り戻すように、踏みしめ、踏み 
 しめて近づいてくる。  
 美代の顔が歪み、吹き出すように涙が溢れる。 
 美代、しゃがみこんで国夫(息子)をしっかりと抱き寄せる。 
 そして、幸吉を見、顔一杯で泣いている。止め途ない慟哭。 
 あの出会いの日が、別れの時が、苦しみの瞬間が、闘いの思い出が、 
 幾筋もの涙となって頬を伝わり落ちる。 
 そして、幸吉の姿が一歩ずつ近づくのを映しとるかのように、 
 孤独だった日の涙が、 
 妻としての熱情の涙が、 
 女としての弱い涙が、 
 再会の歓喜の涙が、 
 そして爆発するような希望と愛の涙が、 
 美代の顔面一杯に躍っている。 
 輝く、美代の慟哭の顔のクローズアップに――エンドマーク 
これはホント、何回読んでも涙が出ますね。
もはや「ト書き」というものを超えているように思いますが、DVDで映画を改めて見直してみると、確かに全くこの通りに演じていることに驚かされます。
(なお、この「大日本帝国」のシナリオは月刊「シナリオ」1982年8月号で読めます)

黒澤明のシナリオも、岩波書店「全集 黒澤明」という形でまとめて刊行されているため、ほぼ全作品が割りと容易に読めます。(筆者は古本屋で揃いを見つけて買いました)
名作「椿三十郎」のなかに、笠原和夫とは対照的なシーンがあります。
様々な伝説が語られる、ラストの三船敏郎と仲代達矢の決闘シーン。 
 これからの二人の決闘は、とても筆では書けない。 
 長い恐ろしい間があって、勝負はギラッと刀が一ぺん 
 光っただけで決まる。 
シナリオはこれだけしか書いてありません。
黒澤明は自分で監督もするので、シナリオはこれだけで済ませても特に問題ないのでしょう。そして実際のところ、本編を見ると、確かにこのように書くしかないシーンなのです。

さて、まだかまだかと待ち構えていた高橋洋のシナリオ集「地獄は実在する」ですが、ようやく発売され、読むことができました。
高橋洋のシナリオを読んだのは今回が初めてなのですが(昔買った「リング」は積ん読)、この人のシナリオも読んで鑑賞すべきものだということを知りました。

冒頭に収録された「女優霊」。なんと、注釈が入っています。
古いフィルムに残された映像が「黒い影に覆われ」るというシーン。こんな注釈が。
★2 ある心霊研究家の説によれば、心霊写真において光を伴うものは親族関係、黒い影に覆われるのは怨念、実体化したものは何らかの意志を伝えようとしている、のだそうです。別にこの説を信じる気もなく、要するに怖ければよいのですが、男にまつわりつく黒い影のイメージは、本筋とは関係ありませんが、この化物女の、ついに女になれなかったゆがんだ怨念の一面と通じあうように思えます。
この調子で、「霊体出現時に鳴るというラップ音は……」とか「幽霊の顔というのは、恐怖の対象の中でも秘中の秘で……」とかいった注釈が続きます。
監督にしたら、いやー、そんなこと言われても……と思うしかないであろう、面倒くささ全開の注釈ですが、しかし、Jホラーブーム開幕前夜の高橋洋の溜まりに溜まったエネルギーが感じられて、ここを読めただけでも本書を買った価値はあったというものです。

ついでに、「恐怖」のDVDを本書片手に改めて見てみました。
場面の順番などが完成した本編では入れ替わっていたりと、いくつか変更はありますが、該当シーンを読みながら映画を鑑賞すると、役者の細かい演技ひとつひとつの意味づけが非常にくっきりと浮かび上がり、正直なところ「わけわかんないなあ」と思っていたこの映画について、随分と理解が進んだように思いました(とはいえ、まだ100%理解できたわけではないのですが)。
「蛇の道」も本編にはなかった衝撃のラストシーンに呆然。

久しぶりに堪能できるシナリオ集の登場でした。



笠原和夫 人とシナリオ
シナリオ作家協会
2003-12




(「椿三十郎」収録巻。傑作ぞろいの一冊です)



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