201801透明な季節171

筆者が偏愛している一冊に梶龍雄の「透明な季節」があります。
これは昭和52年に第23回江戸川乱歩賞を受賞した作品です。
乱歩賞受賞作ではあるのですが、筆者がこれを読んだ中学2年のころ(平成元年)にはすでにマイナーな作品になってしまっており、これまでにこの小説を読んだことがあるという人には一人しか会ったことがありません。しかも感想を聞くと「忘れちゃった」とのことで、ともかく誰とも本書のことを語り合うことができないままここ30年ほどを過ごしております。

ただ、この小説のことがこれほど気に入ってしまったのは読んだタイミングもあるでしょう。
主人公は中学3年生。太平洋戦争中の時期が舞台となっているため、中学と言っても旧制中学ではありますが、本書を読んだころの筆者とほぼ同年齢です。
この主人公の思考や行動が、自分自身とあまりにも等身大であることにまず驚きました。
というのは、中学生というのは小説などでは非常に描きづらい年代なのです。
筆者は中学生のころ、かなりの冊数の小説や漫画を読み、映画やドラマを見ており、その中には中学生が主人公のものも数多く含まれていました。
しかし、そのほとんどは、あまりにも大人びていたり、逆にあまりにも幼かったり、自身と等身大であると感じることはありませんでした。
例えばやはり中学2年の時に読んだ岡嶋二人の「チョコレートゲーム」も、主人公は中学生でしたが、ギャンブルをしたり彼女の家に泊まり込んだりと、とても自分と同世代とは思えませんでした。いま改めて読んでも「やっぱり中学生じゃないよな」と思ってしまいますが、とはいえ彼ら彼女らを高校生としてしまうと、今度はあまりにも行動が幼い。やっぱり中学生か?と、とらえどころがありません。(ただし、「チョコレートゲーム」はその辺の印象は別として、めちゃくちゃ大好きな小説です)
また、当時はNHKで「中学生日記」という番組が放映されていましたが、ここに登場する中学生も同世代と思えない。再放送で見る金八先生も中学生と思えない。
という感じで、「これぞ中学生」と思える登場人物には全く出会ったことがなかったのです。
(「ソロモンの偽証」も、当時の自分が読んだとしたら、おそらく同じ感想になったと思います。話が面白いかどうかは別として)

話を戻しますと、「透明な季節」の登場人物だけには「自分と完全に等身大だ」と感じました。
「青春小説」とは銘打たれているものの、内向的な主人公が年上の女性にほのかな恋情を抱き、受け入れられるわけもないのに、相手の反応を見て一喜一憂するという自意識過剰ぶりは「そうそう、まさに」という感じで、非常に共感したものです。

さらに、本書が強く印象に残ったもうひとつのポイントは、ミステリ的な仕掛けです。
これは、実験的な作品としてミステリ史上でもっと語られてよいのではないかと思っているくらいなのですが、太平洋戦争中の東京を舞台にしているということがストーリーに大きく影響しています。
以前、笠井潔が「大戦間ミステリ論」という理論を唱えたことがあります。
戦争という大量死を目の当たりにした世代が、犯人と名探偵によって死者の尊厳を取り戻すために本格ミステリを書いた、という話なのですが、では、まさに大戦中を舞台にミステリを書くとどうなってしまうのか。
その答えが本書だと思うのです。
といっても、本書は笠井潔の理論より10年以上も前に書かれているのですが、これを読むと「なるほど笠井潔の説は正しい」と考えることができます。
いや、そのような解釈が正解なのかどうかよくわからないのですが、筆者が大戦間ミステリ論を読んだ時、真っ先に頭に浮かんだのは本書の結末でした。それくらい、ミステリとしては掟破りの衝撃があり、強く印象に残っていたのです。

今やなかなか入手困難な本になってしまっているのですが、同じく太平洋戦争中を舞台にした「内部の真実」が復刊されたついでに、「透明な季節」もどこかで復刊されないかなあ、と思っているのですが、まあでもあまりにマイナーすぎて、誰も待望していないでしょうね。





内部の真実 (創元推理文庫)
日影 丈吉
東京創元社
2017-12-20




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