201707真説金田一耕助103

金田一耕助といえばヨレヨレの着物に袴、お釜帽というのが定番スタイルです。
小説はもちろん、映画やドラマも、常に和服姿で登場します。
ところが、かつて白黒映画の時代には洋装の金田一耕助が活躍していました。
ここにはどんな意味があるのでしょうか?

金田一耕助の服装については、横溝正史本人がエッセイ「真説金田一耕助」のなかで語っています。
それによれば、金田一耕助が初登場した「本陣殺人事件」の時代設定は昭和12年であり、当時はまだ洋装が一般化していませんでした。かくいう横溝正史自身も、昭和初期は博文館に務めて雑誌「新青年」の編集に携わっていましたが、和服に袴で出勤していたのだそうです。
つまり、金田一耕助のスタイルは奇をてらったものではなく、当時の日本人として標準的服装ということです。

これはリアルタイムの読者にとっても同じような認識だったと思われます。
その証拠が冒頭にも書いた、白黒映画に登場する洋装の金田一耕助です。

金田一耕助が初めてスクリーンに登場したのは東横映画(のちの東映)が製作した「三本指の男」ですが、これは昭和22年に公開された映画で、原作の発表直後でした。
この時、金田一を演じた片岡千恵蔵はスーツ姿で登場しました。
いったいなぜ着物に袴でなかったのかといえば、要するにこの頃の読者はだれも、金田一耕助の服装なんぞ気にしていなかったということになります。
片岡千恵蔵は戦前から活躍する時代劇の大スターでしたが、戦後しばらくはGHQの指導で時代劇を製作することができなくなり、大映で現代劇の多羅尾伴内シリーズをヒットさせていました。そしてそれと並ぶ当たり役として東横では金田一耕助シリーズに出ていたのです。
ミステリ映画であると当時に片岡千恵蔵のスター映画でもあったため、金田一を原作どおりの冴えないオッサンにしようなどという発想はなく、バリッとしたスーツを着こなすかっこいい名探偵として描かれたわけです。
片岡千恵蔵が作り出した金田一耕助像は強烈であり、その後の映像化ではこのイメージが踏襲されていくことになりました。

要するに白黒映画が製作されていた頃の横溝正史は、古典ではなくリアルタイムのエンタメであり、原作に描かれた名探偵の服装には、誰も注目していなかったことが伺われます。

洋装のかっこいい金田一耕助が続いたのち、しばらくは横溝正史にとって冬の時代が続きます。そして14年のブランクを挟み、昭和50年に画期的な金田一耕助がスクリーンに登場します。「本陣殺人事件」の中尾彬です。
映画の時代設定は(撮影当時の)現代とされ、中尾彬はヨレヨレのシャツにジーパン姿の若者として登場します。
それまでの定番だったかっこよさもなければ、原作どおりの和服でもない。いったいどこが画期的なのか?
実はこれ、時代をスライドさせれば原作に完璧に忠実な金田一耕助なのです。
つまり、冴えない日本人の標準的服装というわけです。
とはいえ、原作では戦前の設定を、昭和50年代に置き換えてしまうのはいかがなものか。
これも、裏を返せば原作をまだ「古典」ではなく「同時代の小説」と捉えていたものと思われます。
横溝正史が「本陣殺人事件」を発表したのは昭和21年ですが、昭和50年から見れば、わずか・・・29年前の作品です。
例えば平成29年の今年、綾辻行人のデビューから30周年ということで騒がれています。では、いま「十角館の殺人」を映像化するとして、時代設定をあえて昭和62年に持っていったりするでしょうか? ふつうに平成を舞台に事件を起こすはずです。
「本陣」の映画化はATG製作ということで低予算の制約もあったものと思われますが、制作陣としてはどうしても原作の年代にあわせなければいけないという感覚は無かったのでしょう。
さらにいえば、昭和52年に公開された松竹「八つ墓村」も、公開こそ遅れましたが、企画自体は「犬神家の一族」より以前からスタートしたものでした。「八つ墓村」でも原作は同時代の作品と解釈され、舞台は現代になっており、冒頭には空港でジャンボジェット機を誘導する仕事に従事する寺田辰弥が登場しています。そして、このときに金田一耕助を演じた渥美清も、和服ではなく、寅さんそのままの冴えない雰囲気のオッサンを演じました。
つまり、映画「犬神家の一族」が登場するまでは、横溝正史作品は同時代のものだったのです。

さて、和服に袴の金田一耕助が初めて映像に登場したのが、その「犬神家の一族」(昭和51年・角川映画)でした。
ここにおいて初めて、横溝正史作品は細部にまで敬意を払うべき古典作品として映像化されたと言えます。
わずか・・・30年、されど30年。
原作発表当時から高度経済成長を経て大きく変化した日本社会に、ようやく制作陣も思いが至りました。角川春樹は、国鉄が昭和45年から始めていた「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンからの影響も語っていますが、同時代のミステリではなく、古き日本の風俗を取り入れた古典、という認識で横溝作品が読まれるようになったわけです。
そうなると当然、金田一耕助の和服姿も重視されるようになります。
こうして、「犬神家の一族」以降、映像に登場する金田一耕助は一部の例外を除いて常に和服を着るようになったわけです。

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