今回は、ブームの中で公開された映画を思い出すままに紹介していきます。
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高橋洋、小中千昭と並ぶJホラーの最重要人物といえば黒沢清監督です。
とはいえ、ストレートな怪談映画は撮っておらず、Jホラーと呼ばれる他の映画とは一線を画している印象があります。
最も「Jホラーらしい」作品はこの「回路」ではないかと思います。
鈴木光司原作・中田秀夫監督という「リング」コンビの作品として大いに宣伝されました。
鈴木光司の短編集『仄暗い水の底から』は、「リング」に匹敵する恐怖と評価された怪談集で、特に第一話「浮遊する水」は雑誌掲載時からホラー小説ファンのあいだでは絶賛されていました。第五話の「夢の島クルーズ」は1997年に飯田譲治監督の深夜ドラマが放映されています。
この短編集のタイトルを使い、「浮遊する水」のストーリーを原作とした映画で、かなり期待しましたが、うーん、やっぱり「リング」の成功は高橋洋の功績だったな……と確認するにとどまる、残念な内容でした。「呪怨」の盛り上がりと平行して、このあたりからすでにJホラーの粗製乱造は始まっていたように感じます。
秋元康が職人監督・三池崇史を担ぎ出して製作した作品で、このあとシリーズが延々と続きました。
筆者はこの一作目をわざわざ劇場まで観にいって、Jホラーの終焉を肌で感じました。
三池崇史は好きな監督で名作も多いのですが、この映画については完全に頼まれ仕事で、志というようなものは無かったと考えてよいでしょう。
「着信アリ2」は、正確な文句は忘れてしまいましたが「Jホラーを越えてアジアンホラーへ」というようなキャッチコピーで、予告を見ただけでサブイボを禁じ得ない気分になったものです。もちろん別の意味で。
まあ、15年も昔の映画をけなしても仕方ないのですが、当時の憤りは未だによく覚えています。
「リング」や「呪怨」の仕掛人である一瀬隆重がプロデュースし2004年に同時上映された2本。
ブームの勢いに陰りが見えてきた時期のもので、特に「予言」はJホラーの生みの親ともいうべき鶴田法男監督作で、これによりブームは再始動するのでは、と期待しましたが、世の中はそんなに甘くはありませんでした。
どちらも力作ではありましたが、「リング」「呪怨」に続く第3の衝撃とはなり得ませんでした。
さて、それでは「リング」によってブームを巻き起こした最重要人物・高橋洋は、いったい何をしていたのか? 実はその後、恐怖に関する考察を深化させるあまり、誰にも理解できないアバンギャルドな世界に突入していました。
まずは2000年の「発狂する唇」。「リング」に熱狂した我々の前に最初に立ちはだかった「壁」がコレでした。
レンタル屋でパッケージを眺めると、確かに「ホラー」と思われました。ところが実際に見てみるとホラーはもちろん、エロあり、カンフーアクションあり、歌謡ショーありという壮絶にワケのわからない映画で、怖いんだかおかしいんだかサッパリ理解できない。呆然としました。
そんなわけで、この映画については自分の中では「まあ、無かったことにしておこう」という位置づけだったのですが(その割にはDVDまで買って何度も見直しましたが……)、意味不明度をさらに極限まで推し進めたのが2004年の「ソドムの市」でした。
この映画は「ホラー番長」という企画の一本です。有名無名の監督がそれぞれに同じ予算で映画を撮り「恐怖」を競う、というもので、「有名監督」として高橋洋と清水崇とが参加しました。
清水崇の「稀人」は脚本・小中千昭、主演・塚本晋也という豪華なもので、作品自体もきれいにまとまっていましたが、正直、あまり印象に残りません。というのも、高橋洋の「ソドムの市」があまりに怪作過ぎたためです。
高橋洋のエッセイを読むと、非常に深く、真剣に「恐怖とは何か」を考え続けていることがわかります。あれこれと考えているうちに、どうやら常人とはかけ離れた哲学的な領域に入ってしまい、結果としてこんな映画を撮ってしまったようです。
本作のタイトルはパゾリーニからの引用かと思ってしまいますが、実は「座頭市」の「市」です。タイトルからしてすでにギャグですが、高橋洋は大真面目のようです。
ストーリー自体は「ドクトル・マブゼ」を下敷きにしています。高橋洋のマブゼ好きはエッセイなどによく現れていますが、あまりにマゼブが好きなためか「社会を混乱に陥れる“偽札造り”こそが究極の恐怖だ」というような理解しがたい結論に至ってしまうのです。
この映画には偽札だけでなくさまざまなモチーフが現れますが、高橋洋にとっては、このすべてが恐怖表現なのです。観客は完全に置き去りですが、まるで気にしていません。思考過程を想像しながら鑑賞するべき作品と言えます。
さらにこの路線を突き進む高橋洋は、2007年には「狂気の海」を発表しています。
改憲を目論む首相。しかし、首相夫人はあまりにも憲法9条を愛しすぎてしまっていた。明らかに狂った形で……という、この映画のあらすじ自体が一番狂ってんだよ!と突っ込まざるをえない「霊的国防」を描いた作品です。
そして来年2018年2月、久しぶりの新作「霊的ボリシェヴィキ」が公開されます。タイトルからしてオカシすぎ! いったいどんなジャンルの映画なのか、もはやそれすらよくわからなくなっていますが、Jホラーブームが終わった現在も、高橋洋は非常に元気に活動しています。
というわけで、最終回はJホラーブームを概観するつもりが、高橋洋の話ばかりになってしまいましたが、もしかするとこのブームは「高橋洋に始まり、高橋洋に終わる」という、一人の天才の物語に帰結すべきものだったのかもしれません。
というわけで、6回にわたって筆者が目撃した「Jホラー」ブームを、ごく個人的な視点から綴ってみました。
次は、映画界のJホラーブームと平行して発生していた、書籍界での「実話怪談ブーム」について振り返ってみます。
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