※ご注意※今回の記事は「Yの悲劇」「獄門島」のネタに触れています。未読の方はただちに画面を閉じてください。
海外ミステリの人気投票で長らく1位が指定席となっていたエラリー・クイーンの「Yの悲劇」。
筆者は実は読む前に、故人のシナリオに基づいて犯人が事件を起こす、というネタを知っていました。
中学生の頃のことで、どういった経緯でこれを知ったのか忘れてしまったのですが、その時に「それって獄門島と同じでは?」と思ったことはよく覚えています。
今回はその辺の話を書いてみます。
筆者は本編を読まずにネタを知ったので、トリックの骨格が共通していることにすぐ気づいたのですが、逆にネタを知らずにふつうに読んで、「こいつが犯人だったとは!」ときちんと驚いた経験を持つまともな読者だと、この点に気づいている方が少ないように感じています。
筆者は周囲のミステリ好きに「獄門島」と「Yの悲劇」との共通点について語って、怪訝な顔をされたことが何度かあります。(なお、筆者は横溝正史の有名作品をほとんど読み終えた頃に「Y」のネタを知り、さらに数年経ってから本編を読みました)
しかし、実はこの犯人像については、横溝正史本人も発想の原点が「Yの悲劇」であることを認めているのです。
小林信彦による、横溝正史へのインタビューを構成した「横溝正史読本」はネタバレを忌避せずにガンガンと話を突っ込んでいる好著ですが(以前にこちらの記事でも紹介)、その中に、「獄門島」の「気違いじゃが仕方がない」というネタは「Yの悲劇」の「マンドリン」を自己流でやってみたもの、という発言があります。
マンドリンというのは、故人の書いたシナリオにある「鈍器」という記述を実行犯が「楽器」と勘違いする、というものですが、「気違いじゃが仕方がない」は、やはり故人の書いたシナリオの指示に実行犯が納得していないという話です。
横溝正史はこの構図を面白がって、自作へ取り入れていたわけなのです。
「気違いじゃが仕方がない」というセリフは国内ミステリ史上、最高のセリフではないかとまで評価されているものですが、このように発想の元ネタがあるものでした。
この点以外にも、横溝正史ファンが「Yの悲劇」を読むと、いたるところに横溝正史作品を彷彿させる部分が見られ、興味深いものです。
まず、ヨーク・ハッターが簡潔な遺書をのこして自殺し、しかし、その後連続する事件にヨークの影が感じられる、という展開はモロに「悪魔が来りて笛を吹く」の椿子爵とかぶると言ってよいでしょう。
また、中盤にあるエミリー・ハッターの遺書発表シーン、それに続く一族の反応は「犬神家の一族」そのままです。(「Yの悲劇」の遺書発表シーンが物語にとって必要だったのかどうか、筆者はいまいちよくわからないのですが……)
ところで筆者は、このような点を指摘して「獄門島」をはじめとする横溝正史作品の価値を貶めたいわけではありません。
逆に、元ネタあるとわかってもなおかつ、これは偉大な業績なのです。
ミステリとは、先立つ作品からの引用、オマージュによって連綿と紡がれてきたジャンルです。「Yの悲劇」の各ポイントに注目して、それを上回るインパクトを持つ描写へ転換したことは、横溝正史の功績というべきです。
さらにいえば、当時のミステリ作家はネタの流用をあまり問題視していません。
前述の「横溝正史読本」では、「マンドリン」のくだりに続いて、実行犯のトリックはカーの諸作から発想した、という話をしています。
悪びれることなく語っていますので、横溝本人もネタの流用をまるで気にしていないことが伺われるどころか、「わたし流に訳しているんです」という発言までしています。
また、別のエッセイ集「真説金田一耕助」では、クリスティが「そして誰もいなくなった」においてマザーグースの見立てをしているのを読み、「クリスティがヴァン・ダインの真似をして許されるなら、自分もやろう」と考え、「獄門島」の俳句への見立てを考えたという話も回顧しています。(「真説金田一耕助」については、以前にこちらの記事)
海外ミステリの有名作からネタをいただくのは、戦前から活躍している探偵作家にとっては「当たり前」のことだったようです。乱歩も同じようなことを多くの作品でやっています。
当時の読者は現代ほど海外ミステリに親しんでおらず、海外ミステリからのネタの流用は、当時の作家にとってはいわば「翻訳・紹介」の延長上にあったと思われます。
横溝正史はカーのファンであることは公言しており、作風にも濃厚に現れています。
一方、クイーンについてはあまり言及していないにもかかわらず、注意深く観察すると、作品の根幹にかかわる部分にはクイーンの影響が強く現れていることがわかります。
ほかにも例をあげられると面白いと思いますが、詳細に語り始めると筆者の手に余る仕事になるので、とりあえず「Yの悲劇」からの影響を指摘できたところでオシマイにします。
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