201707小口研磨

この言葉を知っている人は、「あれ、大キライ!」と顔をしかめ、知らない人は生涯にわたって一切気にも留めない。
いったい何のことかといいますと、この写真のようにページの縁がギザギザに削られている「小口研磨」のことです。文庫本などソフトカバーの本によく見られます。書店の文庫コーナーに並んでいる本の大半はこのような状態です。

書店へ一度出荷して、売れなかったために出版社へ返品された本は、小口についた汚れを落とすため、周囲をヤスリで削られます。結果的にホコリ等による黒ずみは消えますが、小口にはヤスリで削った傷痕がしっかりと残ってしまうのです。

筆者は、本がこのような状態になってしまうことが我慢できないくらい大嫌いなのですが、世の中の多くの人は全くこの状態を気にしていないようです。
何年か前、学生時代の先輩と飲んでいた時、その先輩はかなり美本にこだわる性格なので、当然、共感を得られるつもりで「あれはイヤだ」という話をしたところ、先輩は研磨されている本とされていない本とが存在する、ということすら認識していなかったようで、そんなことにこだわっている筆者を「俺よりも難儀な奴だ」と哀れな目で見ていました。

そう、そんなことにこだわると、非常に難儀なのです。
筆者は、小口研磨本がとにかく大嫌いで、よほどのことがなければ買いません。
実は小学生の頃、児童向けの文庫を読んでいた時分から、気になっていたのです。
「世の中には、縁がきれいな本と、ギザギザの本がある。なるべくならきれいな本を読みたい」
しかし当時は理由がわからなかったため、書店へ行った際、買おうと思った本の縁がギザギザになっていると、がっかりしながらも「こういうものだ」と思って、おとなしく買っていました。
そんなある時、以前から欲しかった本が、縁がきれいな状態で置いてあるのを見つけました。
ラッキー、と思ったものの、所持金の都合であきらめ、後日、出直しました。
すると、なんと!
前回、来店したときには確かに縁がきれいだったのに、今日は縁がギザギザの本が置いてあるのです。
「もしかすると、本というものは時間が経つとギザギザになってしまうのか?」
慌てて、自宅の本棚を確認しましたが、買ったときにきれいだったものが急にギザギザになっているということはありません。
はて?
このような経験を通し、いつしか「いったん返品された本は研磨される」ということを覚えました。

さて、そうなると今度は、とにかくできる限り手元にはきれいな本を揃えたい。そう思うようになりました。
その甲斐あって、我が家の蔵書の99%以上は研磨のない美本です。
引っ越しなどで、自宅の蔵書を大規模に処分したことが何度かありますが、買い取りに来られた古本屋さんから、見積もりが終わったあとで「きれいな本ばかりだから、1万円おまけ」と増額してもらったこともあります。
逆に、どうしても美本を入手できず、研磨本を買わざるを得なかった時のガッカリはかなり大きいため、自宅書庫のどれが研磨本なのか、現物を見なくてもだいたい把握しているほどです。

きれいな本ばかり揃えるのに、どのような難儀をしているのか。前置きが長くなりましたが、今回の記事はそれをご紹介したいと思います。

新刊が出たらすぐ買う

美本にこだわるなら、基本中の基本。新刊が出たら、書店で平積みされているうちにさっさと買います。一度返品されると研磨されてしまうため、とにかく一刻も早く買わなければイケマセン。
「本当に読みたい本なのか?」
など、いちいち悩まず、ちょっとでも気になった本はすぐに買います。読むかどうかは買ったあとで考えても遅くはありません。
この勢いで新刊本を買うと、欲しい本はだいたい美本で揃います。

本屋をはしごする

新刊で買いそびれた時。
これも本好きの基本ですが、美本が見つかるまで歩きましょう。回転の良い本屋の在庫が研磨本になってしまっても、別の本屋へ行くと、新刊で入荷した本が売れずに残っていたりします。見かけたらすぐさま買う!
逆に、次の項目で書く「重版」がかかった場合は、回転の良い店には美本が改めて入荷してるのに、そうでない店には研磨本が残っていることもあります。
ともかく、美本を求めて、通りすがりの本屋を全部チェックしていきます。
チェックする時は、いちいち書棚から本を取り出して眺める必要はありません。
本を少しだけ手前へ出し、地の部分を親指で撫でてみれば、研磨されているかどうかはすぐわかります。
筆者はこれを「盲牌」と呼んでいます。
(なお、天の部分、つまり背表紙のすぐ上を不必要になでていると汚れてしまう恐れがあり、のちのちその本を買う人に迷惑なので、地の部分をそっと触るようにしています)

重版を待つ

ロングセラーの名作などを今さら読みたくなった時はどうすればよいか。新刊で山積みされていた状況を再現してもらうことなどできません。
これは、重版を待つのがベストです。
出版社の在庫がなくなり、追加製作することを「増刷」「重版」などといいますが、重版された本も返品さえされなければ美本です。
では、そんなに都合よく重版されるものなのか?
これは気長に待って、チャンスを狙うしかありません。
本の奥付を見ると、現在の刷数が書いてありますが、初版からの経過年数を刷数で割ると、だいたい何年おきくらいに重版しているのか、見当がつきます(途中で映像化されていたりすると計算が狂いますが)。
例えば新潮文庫の司馬遼太郎なんかは、ほぼ全点を毎年のように重版しているので、書店で手に取った本が研磨本だったらちょっと待ちます。何ヶ月か待てば、いつの間にやら世の中には美本が溢れます。
無事に重版され、美本を見かけたら即ゲット。

また、重版されそうなタイミングを見極めることも重要です。
筆者は以前から池波正太郎「真田太平記」を読破したいという願望を持っていたのですが、全12巻の文庫を全て一度に美本で揃えるのはかなり難易度が高く、なかなか手を出せずにいました。
美本を見かけたら巻数に関係なくちょっとずつ買って、全巻揃ったら読み始める、という作戦も考えていましたが、12冊となるとこれもなかなか気の長い話です。
そこへ降ってわいた朗報。つまり、大河ドラマ「真田丸」です。
このタイミングで、間違いなく全巻重版がかかるだろう。一気に美本を揃えられるではないか。
ということで、制作発表があってから「2016年は真田太平記を読む」と心に決め、時期が近づくと狙い通り、各書店には美本が山積みされたのでした。(実際には2015年末のうちに読み終えることができました)

この映像化というのは諸刃の剣で、ブームに乗れたら良いのですが、少しでも乗り遅れると、今度はフェアを終了した全国の書店から大量の返品が発生します。
そうなると出版社は数年間は重版をしないため、かなり長期間、研磨本しか流通しません。

これで苦労したのがル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」です。
先年の映画公開(「裏切りのサーカス」)のときには特に読む気にならなかったものが、その後突然、個人的に冒険小説・スパイ小説ブームが巻き起こりました。名作と言われるものを次々読んでいったのですが、この小説だけは映画化の際に大量に印刷された在庫が捌けておらず、どうしても研磨本しか見当たらないのです。
とはいえ、これだけのロングセラーなので、いつかは重版されるはず、とずっと待ち続け、とうとうチャンスが来ました。
この記事を書いている時点で、一部の書店では「はじめてのハヤカワ文庫」というフェアが開催されていますが、その対象書目に本書が入っているのです。これは美本が並ぶはず、とフェアを待ち構えてチェックすると、やはりきれいな本がたくさん積んでありました。即ゲット。
まだ読んでいませんが、この日に備えて、続編の「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」はすでに美本で入手済みでしたので、一気に読みたいと思っています(最近、ブログの更新に忙しくてなかなか本を読めないのが本末転倒)。
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数年待って買った美本。小口が神々しく輝く。

古本を買う

実は、研磨されていない本を探して、古本屋で買うこともあります。
筆者は、わずかな汚れや日焼けよりは、研磨されていないことを重視します。
新刊書店に研磨本しかなく、この先、数年に渡って重版が望めないようであれば、古本屋できれいな本を探します。
これが成功した例はケン・フォレットの「大聖堂」(全3冊)です。
ソフトバンク文庫から出ていますが、これもまたドラマ化されて書店に山積みの時はあまりそそられず、その後の個人的な冒険小説ブームの中で「やっぱり読んでおこう」と思ったのですが、ドラマ化の時の印刷数が膨大だったようで、なかなか市場から研磨本が捌ける様子がなく、このまま重版はないのでは?と思われました。
このため、古本屋で「大聖堂」を見かけると常に、美本かどうかをチェックしていたのですが、ある時、3冊まとめてきれいな状態のものを発見し、無事に入手することができました。

岩波文庫で読む

ご存じの方も多いと思いますが、岩波文庫は基本的に書店から出版社へ返品ができません。このため、原理的に研磨本というものが発生しません。
研磨本大嫌いな筆者としては、岩波文庫コーナーは本当に心が安らぐ一角です。
以前の記事に書いた、新潮文庫の「海底二万里」に続けてヴェルヌをいくつか読みました。それぞれ色々な訳本が出ていますが、岩波文庫にも収録されているものは全て岩波文庫を選びました。
どれも訳が新しいこと、挿絵がついていることなどもポイントでしたが、最も重視したのはやはり「美本を買いやすい」ということでした。
美しい小口を眺めながら読む「八十日間世界一周」は本当に最高でした。(リンク先はAmazonです)
201707小口研磨なし
小口が神々しく輝く。

岩波文庫は箱セットで売られているものもよくありますが、筆者はこのようなセットも好きで、読みたいものがセットになっている場合は、必ずセットで買います。
他の文庫でも箱セットはありますが、セットの中に研磨本が混じっている可能性があるため、岩波文庫以外の箱は買いません。以前、妻に頼まれて新潮文庫「赤毛のアン」シリーズを箱セットで買いましたが、一冊だけ研磨本が混じっていて、ものすごくガッカリしました。
自分ではまるで読む気はなく、一方の妻はそんなことは1ミリも気にしていないので、問題ないといえば全く何の問題もないのですが、それでも気になってしまうのです。よほど買った本屋へ行って美本と交換してもらおうかと思いました。(「花子とアン」放映中だったため、書店にはシリーズ全ての美本が山積みだったのです。それなのにセットに研磨本が混ざっているというところが、いかに出版社が研磨本を当たり前だと思っているかの証拠です)

あきらめる

いろいろ書きましたが、どうしても美本が手に入らない時は、最後にはあきらめるしかありません。
「あきらめる」というのが、美本入手をあきらめて研磨本を買うということなのか、そもそもその本を読むことをあきらめるということなのか。
実をいえば筆者の場合は「読むことをあきらめる」方が多いです。
いつか、別の文庫から復刊したり、思いがけない映像化で重版される日を気長に待つ。
それまでは読まない。
よほどのことがなければ、この方針を取っているため、我が家には研磨本がほとんど存在しないというわけなのです。
やっぱり、かなり難儀な性格だと、自分でも思います。
冒頭の写真は創元推理文庫から出ていたデュマの「黒いチューリップ」で、これはさすがにもう重版しないと思われることと、他社からの新訳も望みが薄く感じられたため、研磨本を我慢して買った、珍しい例です。
もしかして「復刊フェア」に美本が並んだら書い直すかも。(2019年5月追記:本当に復刊されたので、買い直しました)

まとめ

ここまで読んでこられた方は、「こいつ、アホちゃうか」と呆れてらっしゃるかもしれませんが、このような本の買い方を30年近くも実践している身としては、実はそこまで大変ではありません。
というのは、筆者の場合は「読みたい本リスト」が常に膨大にあるため、「きれいな本を見つけたときだけ買う」という程度の縛りがあると、毎月読める程度の冊数だけボチボチと購入していくことになります。
通りすがりの本屋では、頭の中のリストにある本が美本で置いてないかどうかを、軒並みチェックしていきますが、これはこれで古本屋とはまた違ったハンター的な楽しみもあるのです。
とはいえ、国内出版社のおそらくはほとんど全てが、ソフトカバーの本に対して小口研磨をしています(岩波書店・福音館書店など、書店からの返品を受けない出版社を除く)。この習慣をなんとかやめてもらって、小口がちょっとくらい汚れていても、傷がついているよりはいい、という世の中になることを待ち望んでいます。


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