20170509サン・フォリアン寺院074

「緑衣の鬼」「幽霊塔」とならび、「幽鬼の塔」(1939年)も乱歩による海外ミステリの翻案作品として知られています。
原作はフランスの作家ジョルジュ・シムノンの「サン・フォリアン寺院の首吊人」(1930年)ですが、乱歩自身の回想によれば「飜案というほど原作に近い筋ではないので、シムノンに断ることはしなかった」ということです。
とはいっても、読み比べてみるとやはり、おおむね同じ話と言わざるを得ません。戦前の日本のことなので、著作権にはおおらかだったのでしょう。しかし、「幽霊塔」や「三角館の恐怖」に比べれば、たしかに乱歩流に書きかえられた物語といえます。

今はシムノンの作品はほとんど読まれておらず、「サン・フォリアン寺院の首吊人」も長らく刊行されていないため、なかなか気軽に読めない状況です。(冒頭の表紙画像は水谷準訳の角川文庫版・1976年2刷のもの)
そこで今回は、両者の違いなどをご紹介します。

「サン・フォリアン寺院の首吊人」は、シムノン最初期の長篇です。のちに警視となる主役のメグレもこの時は警部でした。
メグレは出張先のカフェでたまたま、札束を小包にしている男を見かけます。後をつけると、郵便局へ行って発送している。
何か犯罪が関係しているのか、と気になったメグレはあとをつけ、途中で男がカバンを購入すると、自分も同じものを買い求め、男が少し目を離したすきにすり替えます。
男はホテルへ戻り、カバンがすり替わっていることに気づくと、慌てて街へ戻り、探し回りますが、見つからないとわかると、ホテルへ戻り、そのままピストル自殺してしまいます。

……という冒頭部は、「幽鬼の塔」でも大筋はなぞられています。
「幽鬼の塔」の主人公は警察官ではなく、単に猟奇的な趣味を持つ河津三郎という素人探偵の青年であり、なにか面白いことはないかと町をさまよう中で、大切そうに荷物を抱えた男に興味持ち、カバンをすり替えます。
男がカバンを求めて街へ戻るのは同じですが、見つからないとわかると、男は懐中にあった札束を焚き火で全部燃やしてしまいます。
そして、焚き火が終わると、男は五重塔へ登り、そこで首をくくって死んでしまいます。
原作があっさりとピストル自殺していることに比べると、ずいぶんと怪奇的な雰囲気が強まっています。
また、焚き火シーンは原作にはありません。男が金を燃やしていたことは、のちのちに判明する事実です。
カバンの中身も、原作が血痕と思われるシミが付いた服とシャツのみですが、「幽鬼の塔」では縄と滑車と洋画家用のブラウスでした。

さて、ここからシムノン版と乱歩版と最も大きな違いが現れてきますが、それは主人公の「罪の意識」です。
メグレ警部は犯罪捜査のためとはいえ、興味本位の行動で一人の男を死にやったことを深く悔い、それが事件の真相へと向かう動機の一つとなっています。
しかし、乱歩版の河津三郎は、なぜかこのような罪の意識を一切持ちません。全くの野次馬根性で事件の真相へ迫る活動を続けます。

中盤に探偵の前へ次々現れる、自殺した男の過去を知る人物たちも、おおむね原作に沿っていますが、役割分担は微妙に異なっており、一対一では対応していません。

乱歩版では画家のアトリエに大量に並べられていた首吊人のデッサンは、原作にも写真屋の描いたデッサンとして出てきます

 木の枝々に首吊人のぶらさがっている森のほとり……かと思うと寺院の鐘撞き堂、十字架の本の腕木、風見鶏の下、それぞれに死人がぶらんこをやっている。
 その首吊人も多種多様で、あるものは十六世紀の服装で、神秘劇の宮廷のように、すべての人間が地上数尺に足をぶらぶらさせている。
 かと思うと、シルクハットにフロック、手にステッキという気狂いじみた首吊人もあり、横木はガス燈の燃え口になったりしている。
――水谷準訳

という描写で、原作もここはかなり怪奇色が濃厚です。

明かされる真相も、大筋では同じなのですが、ずいぶんと趣きが違います。
登場人物たちが過去に作っていたグループは、原作では「幽鬼の塔」ほど神秘的な秘密結社ではなく、趣味や思想を同じくする学生の集まりでした。
そこで若さゆえに起きたおぞましい過ち、それぞれの苦悩に満ちたその後の人生を描いており、青春小説の様相を帯びてきます。

というわけで原作は、前半はドキュメンタリータッチ、ラストは痛切な青春小説という印象なのですが、これらは乱歩の資質と相容れません。
「幽鬼の塔」は、ストーリー展開は原作に借りながら、怪奇・幻想・冒険という乱歩におなじみのモチーフをてんこ盛りにしており、乱歩自身がいうように「近い筋ではない」ということはありませんが、読後の印象はずいぶんと異なるものでした。

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ポプラ社 少年探偵江戸川乱歩全集43「幽鬼の塔」


サンフォリアン寺院の首吊り人 メグレ
ジョルジュ・シムノン
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