麻耶 雄嵩
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4月から麻耶雄嵩の『貴族探偵』がフジテレビ月9枠でドラマとなります。
世の中のほとんどの人は、今回初めて「麻耶雄嵩」という作家の名を聞いたのではないかと思います。
逆に、古くから麻耶雄嵩作品に馴染んでいる読者にとっては、全く耳を疑うニュースで、筆者もはじめに聞いた時は冗談としか思わず、「ほんまかいな」と調べてみることすらしませんでした。
正直、日本中で最も「月9」と相容れない小説家、それが麻耶雄嵩です。
今回は、ドラマを見て原作に興味を持たれた方のため、解説を試みたいと思います。
4月から麻耶雄嵩の『貴族探偵』がフジテレビ月9枠でドラマとなります。
世の中のほとんどの人は、今回初めて「麻耶雄嵩」という作家の名を聞いたのではないかと思います。
逆に、古くから麻耶雄嵩作品に馴染んでいる読者にとっては、全く耳を疑うニュースで、筆者もはじめに聞いた時は冗談としか思わず、「ほんまかいな」と調べてみることすらしませんでした。
正直、日本中で最も「月9」と相容れない小説家、それが麻耶雄嵩です。
今回は、ドラマを見て原作に興味を持たれた方のため、解説を試みたいと思います。
麻耶雄嵩とは?
(リンク先はAmazon)麻耶雄嵩は1991年に書き下ろした『翼ある闇』でデビューしたミステリ作家です。すでに25年以上もキャリアがあり、作家歴では京極夏彦や森博嗣よりも先輩ということになるのですが、一般的な知名度はさほど高くありません。しかし、ミステリ好きの中での評価は非常に高く、ミステリの評論家集団である探偵小説研究会が毎年発表している「本格ミステリ・ベスト10」には、新作が発表されると必ずと言ってよいほどランクインしています。
知名度と評価とのあいだにこのようなギャップが発生するのは、麻耶雄嵩の突き抜けた創作姿勢に理由があります。
要するに、マニア向けに「本格ミステリとは何か?」ということを徹底的に追求した、極めて専門性の高い作品を執筆し続けているのです。
それを細々と説明しはじめると、全く初心者向けではない内容になってきますので、今回はドラマ「貴族探偵」ファンのため、なぜ「推理しない探偵」が登場してきたのか、その点に絞って紹介いたします。
名探偵とは?
「貴族探偵」の探偵はもちろん、主人公の貴族なのですが、この人は一切推理をしません。「推理などという雑用は使用人にやらせておけ」ということで、事件解決のシーンになるとおもむろに執事やメイドが登場し、手際よく事件を推理し解決に導いていきます。
事件や推理過程はきっちり論理的な本格ミステリなのですが、探偵だけがあまりにも異常です。
いったいなぜ、こんな探偵を作ったのか?
しかし、麻耶雄嵩作品において、異常な名探偵が登場するのは珍しいことではありません。
そもそも、デビュー作『翼ある闇』はサブタイトルに「メルカトル鮎最後の事件」とありますが、このメルカトル鮎は名探偵ならぬ「銘探偵」として登場し、作中であっさり殺されます。デビュー作からして異常な、この探偵の扱い! しかし、いったい「銘探偵」とは何でしょう。
それを知るには、ミステリにおける「名探偵」の変遷を追う必要があります。
「名探偵」という存在が普及したのは、やはりシャーロック・ホームズの活躍が大きいものでした。書かれたのは今から100年も昔です。
当時の名探偵は、現代の目で見ればとても気楽でした。
とにかくスーパーマンなのです。読者の知らないうちにいつの間にか調査を進め、「この人が犯人です」と見知らぬ人を連れてくる、というのがお決まりのパターンでした。
そしてその推理力は絶対的に正しく、間違うことはありません。しかし、どんな理屈で正解にたどり着いているのか、きちんとした説明がないため、読者にはわかりませんでした。
江戸川乱歩の創造した明智小五郎もこのタイプの探偵です。
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やがて推理小説の論理ゲームとしての側面が成熟してくると、「読者に対してフェア」なミステリが人気を集めるようになってきます。要するに、事件を解決するための手がかりは読者の前に全て提示され、論理的に検証を進めれば、正解にたどり着ける、というものです。
代表的な作家はエラリー・クイーンで、作中に「読者への挑戦状」を挿入し、ここまでに書かれた内容を読み込めば、事件の謎は解けるはず、と読者に迫りました。
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この手のミステリは「本格ミステリ」といわれ、今に至るも人気のあるスタイルですが、やがてここでも問題が発生してきます。
それは、「なぜ名探偵は間違わないのか」ということです。
間違わないという言い方は正確ではなく、名探偵が間違いを犯すこともたびたびあります。しかし、それは作品内ではどんでん返しの一つとして扱われ、作品が完結するにあたっては、最終的な正解が導かれます。
現実的なことをいえば、物語の幕が閉じた後にも、新たな手がかりが現れて真相が覆る可能性は否定できません。にもかかわらず、名探偵が宣言することによって、絶対的な真理が確定するという構図があります。
名探偵はなぜそのような特権を持っているのか?
のちに「後期クイーン問題」とも言われる問題。何人かの作家がこれを意識して名探偵を作っています。
例えば笠井潔の作品に登場する名探偵・矢吹駆は、「現象学的本質直観推理」を用いて絶対的な真相にたどり着きます。
これは、無数にありうる論理的な説明から唯一の真相を見抜くことができるのは本質直観によるものだ、ということです。
従来の論理ゲームを否定しかねないこの作風を、笠井潔本人は中井英夫に倣って「アンチミステリー」と呼んでいました。
(現象学的本質直観について知りたい方には竹田青嗣の『現象学入門』がオススメです。リンク先はAmazon)
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さて、麻耶雄嵩の「銘探偵」に話を戻しますと、これも同じような問題意識の元に生まれたものです。
「銘」は銘菓の銘。真相にたどり着く特権を持った探偵をこのように称しているわけで、ぶっちゃけた言い方をすれば、ほかに異論反論があっても、「銘探偵」の言うことだから諦めて信用してください、という意味です。
といっても、決してホームズ型の直感に頼るタイプではなく、物語のみを抽出すればガチガチに論理的なミステリなのですが、「銘探偵」という呼称は「名探偵」という存在に対するエクスキューズ(あるいは、照れ隠し?)のような役割を果たしています。
麻耶雄嵩はほかにも『神様ゲーム』で、神様が探偵、という荒技も使っています。
神様だから、間違うはずもなく、誰も知らないことでも全部お見通し。
そんな設定で論理的なミステリになるのか?
しかし、ご安心あれ、神様は真相を知っているだけで、説明はしてくれない。神様が示した「犯人」がなぜ犯人たりうるのか、ということをさぐる点で論理的な展開が待っているという構造です。
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このように、「名探偵とは?」という問題にこだわったがために、あまりに異常な名探偵を創造してきた麻耶雄嵩。そして、たどり着いた答えの一つが「推理をしない名探偵・貴族探偵」なのです。
極北とも言うべき設定。果たしてこれでも名探偵といえるのか? しかし、麻耶雄嵩にとっては、これも名探偵の形の一つなのです。
というわけで、実は貴族探偵のスタイルには、ミステリマニアにしか理解できない深い意味が込められているのですが、一周回って「一般受けする面白い設定」になってしまっている点が、これまた本作の特長の一つでしょう。いつになくテンションの高いユーモラスな展開から察するに、おそらくは作者もその点には自覚的だったのでは、と思います。
ドラマ化発表前から、『貴族探偵』はかなりの売れ行きを示していました。
以前に大ベストセラーとなった東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』と似たような設定、と勘違いされて読まていた面もあるかと思いますが、「全っ然、違います。」
4月からのドラマも、たぶん「似たような設定」ということで進んでいくかと思いますが、この記事をここまで読んでくださった皆さんには、実はそうではない、ということがおわかりいただけたかと思います。
最後に、おすすめ作品
最後に、麻耶雄嵩に興味を持って、ほかにも読んでみたい、という方には、とりあえずこの記事内でご紹介した『神様ゲーム』と『翼ある闇』とをおすすめします。この2冊を読んで面白い、と思った方は、ほかの作品も、どれに手を出しても大丈夫です。関連記事:
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