備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

涙香迷宮

黒岩涙香の「幽霊塔」


竹本健治「涙香迷宮」の影響で、黒岩涙香に興味を持たれる方がいるかも、と思いましたので、涙香の代表作の一つである「幽霊塔」について書いておきます。

涙香の「幽霊塔」が有名になったのは、江戸川乱歩が幼少期に読んで心酔し、同じ「幽霊塔」というタイトルでリライトしたためです。このため、ほぼ同じストーリーで、涙香版と乱歩版との二種類の「幽霊塔」があります。

幽霊塔
幽霊塔 創元推理文庫
江戸川 乱歩


明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集 ちくま文庫―明治探偵冒険小説集
明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集 ちくま文庫
黒岩 涙香

(リンク先はいずれもAmazon)

黒岩涙香が活躍した明治時代には、海外文学を日本へ紹介する際に「翻案」という手法がメインでした。現在のように原文を忠実に日本語へと置き換えるのではなく、日本人に馴染みやすいよう、人名や地名を改め、ストーリーも読みやすい形に改変していました。
涙香は数多くの海外文学を翻案したことで知られ、「モンテ・クリスト伯」を翻案した「巖窟王」、「レ・ミゼラブル」を翻案した「噫無情(ああ、むじょう)」が特に有名です。
「幽霊塔」もそのような翻案の一つです。

ところが、この「幽霊塔」は、どんな作品を原作としているのか、ずっと謎でした。
涙香版「幽霊塔」のまえがきには原作は「ベンヂスン夫人のファントムタワー」と書かれています。ところが、日本中のマニアが探したにも関わらず、このような作家・作品は、どこにも見当たらなかったのです。
涙香の「幽霊塔」をリライトした乱歩も、自作解説で「原作はどうもよくわからない」「これほど面白い小説が(中略)記録にも残っていないのは、まことに不思議というほかはない」と記しています。

その後、何十年にもわたって、この原作を巡ってはさまざまな説が唱えられましたが、ようやく動きが見えたのは80年代に入ってからです。大正時代に浅草で上映された映画のあらすじが「幽霊塔」に酷似していることが発見され、その原作であるウィリアムスンの「灰色の女」という小説こそが原作ではないかとわかったのです。
(話はそれますが、映画のチラシにも「涙香『幽霊塔』の原作」という一文があったそうです。しかし、文学関係者が散々調べてわからなかったことが、なぜ映画配給会社にわかったのか、それはそれで謎です。原作の版権を管理しているエージェントにはわかっていた、ということなのでしょうか。そもそも涙香が正規に翻訳権を得ていたのかどうかもわかりませんが)



こうして原作は特定されたものの、次は原書探しが難航しました。海外の古書店が出品しているのを発見されたのは、21世紀に入ってからでした。
原書の発見から数年経って、論創社から翻訳が出ました。

灰色の女 (論創海外ミステリ)
灰色の女
A.M. ウィリアムスン
論創社
2008-02

(リンク先はAmazon)

今や、「灰色の女」の翻訳も出ていますので、本編以上に劇的な、この原作探しの話など、すでに昔話になりました。しかし、この一件は、涙香・乱歩の名とともに永遠に語り継がれることだろうと思います。
なお、このあたりの経緯は「灰色の女」の巻末解説にてミステリ作家の小森健太朗氏が詳しく書いています。実はこの小森氏こそが、「Woman in Grey」を古書で探し出した、最大の功労者なのです。
なお、「灰色の女」の訳者は、岩波文庫でコリンズ「白衣の女」を訳している中島賢二氏です。

ちなみに昨年、宮﨑駿の「カリオストロの城」は乱歩の「幽霊塔」をモチーフにしている、ということで、宮﨑監督のイラスト解説付きの単行本が刊行され、大いに話題になりました。
「幽霊塔」に注目が集まっているタイミングで、「涙香迷宮」によって、黒岩涙香にもスポットが当たる。「幽霊塔」のファンとしては、嬉しい出来事が続いています。

幽霊塔
幽霊塔
江戸川 乱歩
岩波書店
2015-06-06
(リンク先はAmazon)





関連記事:
「灰色の女」から乱歩版「幽霊塔」への伝言ゲーム
ポプラ社 少年探偵江戸川乱歩全集45「時計塔の秘密」


竹本健治を初めて読む方へおすすめの本を紹介

『涙香迷宮』が、「このミステリーがすごい」をはじめとするミステリの各種年間ベストで上位にランキングされた竹本健治ですが、一冊も読んだことがない、という方も多いのでは。実際のところ、けっこうなミステリ好きでないとなかなか読まない、マニアックな存在と言えるでしょう。一方で、熱狂的なファンが多いことでも知られる作家です。

これから初めて竹本健治を読んでみようという方におすすめの本、これまでの代表作などをまとめてみます。

破格のデビュー

昭和50年代前半に刊行されていた「幻影城」という探偵小説専門雑誌があります。この雑誌が運営していた「幻影城新人賞」を受賞してデビューした作家には、泡坂妻夫、栗本薫、連城三紀彦など、それ以降のミステリブームを支えた錚々たる顔ぶれが並びます。
竹本健治もこの雑誌から昭和52年にデビューしました。それも新人賞ではなく、当時23歳の全く無名の新人でありながらデビュー長編をいきなり連載するという破格の扱いでの登場です。この時連載され、その後単行本にまとめられたのが、日本ミステリ第四の奇書と言われる『匣の中の失楽』です。最近、講談社文庫で新装版が刊行されました。

新装版 匣の中の失楽 (講談社文庫)
竹本 健治
講談社
2015-12-15


この後、ゲーム三部作と呼ばれる『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』を発表し、ファンを広げていきます。このゲーム三部作に登場した少年・牧場智久が、その後の竹本健治作品でメインの名探偵となります。(講談社文庫から復刊されています)

(リンク先はいずれもAmazon)




講談社文庫『囲碁殺人事件』には、幻の短編「チェス殺人事件」も収録されます。続刊の『将棋殺人事件』、『トランプ殺人事件』には、書き下ろしの「オセロ殺人事件」「麻雀殺人事件」も収録するとのことです。
三部作の中では、個人的には特に『トランプ殺人事件』の偏執的な暗号が印象に残ります。『涙香迷宮』にも通じる、暗号ミステリの傑作です。

SF・ホラーの代表作

その後、しばらくミステリを離れ、80年代は主にSFやホラーを書いていました。(余談ですがこの頃は、笠井潔もSFを書き、連城三紀彦や泡坂妻夫は恋愛小説を書いて、本格ミステリ作家が浮気をしていた時代でした)

『狂い壁 狂い窓』は、幻想文学というべきかホラーというべきか、なんとも異形の作品ですが、竹本健治の持ち味があふれる作品として、当時、人気がありました。(2018年2月に講談社文庫より復刊予定)

狂い壁 狂い窓 (講談社文庫)
竹本 健治
講談社
2018-02-15


また、SF作品では、「パーミリオンのネコ」シリーズが代表作です。
(リンク先はKindle版。もともとは徳間ノベルスですが、全て絶版。古本で入手可)
パーミリオンのネコ(1) 殺戮のための超・絶・技・巧
パーミリオンのネコ(2) タンブーラの人形つかいパーミリオンのネコ(3) 兇殺のミッシング・リンクパーミリオンのネコ(4) “魔の四面体(テトラヘドロン)”の悪霊

竹本 健治
(リンク先はAmazon)
(リンク先はAmazon)

SFホラー「腐蝕の惑星」は初め新潮文庫から刊行されましたが、角川ホラー文庫収録時に「腐蝕」と改題されました。2018年1月に当初のタイトルへ戻して角川文庫より復刊されています。

腐蝕の惑星 (角川文庫)
竹本 健治
KADOKAWA
2018-01-25

ミステリへの復帰と超大作

やがて90年代に入ると、久しぶりの大作ミステリ『ウロボロスの偽書』を発表します。これが『匣の中の失楽』に続く代表作とされており、『ウロボロスの基礎論』『ウロボロスの純正音律』の三部作が2000年代までかけて発表されました。
このシリーズは、いずれも竹本健治本人はもちろん、綾辻行人ら、友人の作家や編集者たちが実名で登場します。もちろんフィクションなのですが、現実と非現実との境界を曖昧にしていくという竹本健治の幻術が発揮されるシリーズです。
筆者は個人的に、『ウロボロスの純正音律』を偏愛しています。シリーズの中では最もストレートな本格ミステリなのですが、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」を真正面からパロディにする試みで、極めて衒学的な議論が延々続きます。シリーズ前2作とは別の意味で、マニアックな趣向を持つミステリ作家たちを大勢登場させる意義がある作品で、それぞれの作家のファンにとっても楽しめると思います。全2作からはほぼ独立しているので、これから読み始めても差し支えはありません。(それぞれ2巻組で、講談社文庫より順次復刊されています。「基礎論」「純正音律」は初の文庫化!)





また、この間に『闇に用いる力学 赤気篇』を発表します。不穏な空気に満ち満ちた幻想的な物語で、超大作の誕生を予感させる一冊です。しかし、そろそろ発表から20年近く経つのに、続編の刊行はされていません。
「黄禍篇」「青嵐篇」も雑誌連載完了後に改めて「赤気篇」から刊行予定とされていますが、今のところは時期もよくわかりません。いずれ完結する日が来たならば、「ウロボロス」シリーズ以上に竹本健治の代表作となることは間違いないと思います。

また、1999年には『入神』という囲碁マンガも発表しました。世間では「ヒカルの碁」が流行っていた時期です。

入神
竹本 健治
南雲堂
1999-09-01


2000年代以降は、短編集や牧場智久シリーズがポツポツと出ていましたが、昨年(2016年)発表されたのが『涙香迷宮』です。これも牧場智久シリーズの一冊となりますが、これまでのシリーズを全く読んでいなくても大した支障はありません。(類子ちゃんって誰?というのがあまり説明されていないことぐらいで、本筋に影響なし)
(「涙香迷宮」2018年3月に早くも文庫化)

涙香迷宮
涙香迷宮
竹本 健治
講談社
2016-03-10
(リンク先はAmazon)

涙香迷宮 (講談社文庫)
竹本 健治
講談社
2018-03-15


というわけで、竹本健治を読んだことがない方が、いきなり『涙香迷宮』を読んでも、大して問題はありません。むしろ、過去の作品を知らない方が、「ここまでとんでもないことをするとは……」という衝撃が大きいかもしれません。あえて事前に何か読んでおきたい、あるいは、この著者に興味を持ったのでほかも読みたい、ということであれば、やはり『匣の中の失楽』でしょう。

関連記事:
竹本健治「ウロボロスの基礎論」の基礎論

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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

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