201801獄中日記176

2月になったことなので、二・二六事件に始まる一連の怪談を。
磯部浅一は二・二六事件の主役の一人です。陸軍内での過激な言動により、事件を起こしたときにはすでに免官されていましたが、蹶起した将校らと行動を共にし、軍事裁判よりに処刑されました。
この磯部浅一は処刑前、獄中で手記を認めていました。
ここには青年将校の行動を否定した昭和天皇に対する呪詛の言葉が並びます。

「俺は死なぬ、死ぬものか、日本をこのままにして死ねるものか、俺が死んだら日本は悪人輩の思うままにされる、俺は百千万歳、無窮に生きているぞ」
「天皇陛下は何を考えて御座られますか、何ぜ側近の悪人輩を御シカリ遊ばさぬので御座ります、陛下の側近に対する全国民の轟々たる声を御きき下さい」
「処刑されるる迄に寺内、次官、局長、石本、藤井等の奴輩だけなりとも、いのり殺してやる」
「今の私は怒髪天をつくの怒にもえています、私は今は、陛下を御叱り申上げるところに迄、精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄、陛下を御叱り申して居ります」
「天皇陛下 何と云う御失政でありますか、何と云うザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」
「余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく」「余はたしかに鬼にはなれる自信がある、地ゴクの鬼にはなれる、今のうちにしっかりとした性根をつくってザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴もない悪鬼になるぞ」

正常な精神状態とはいい難い文章ですが、これが死を前にした腹の底からの叫びだと思うと、戦慄を禁じ得ません。



さて、この「獄中手記」の強い影響を受けて書かれたのが、三島由紀夫の「英霊の聲」でした。



二・二六事件で蹶起した青年将校と特攻隊の霊が霊媒師に憑依して語った言葉を書き留めたという設定です。

「などてすめろぎは人間ひととなりたまいし」
「だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。何と云おうか、人間としての義務つとめにおいて、神であらせられるべきだった。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したもうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。」
「一度は兄神だちの蹶起の時。一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。」

まさに「獄中手記」の内容に沿った主張が続く、正直なところ薄気味悪い小説です。
この「英霊の聲」は、磯部浅一の霊が三島由紀夫の憑依して自動書記したもの、という説もささやかれています。

三島由紀夫の死も、磯部浅一の悪霊に取り憑かれたためのもの、というのが怪談業界では定説となっていますが、三島に関するもう一つの怪談が描かれているのが工藤美代子の怪談エッセイ「日々是怪談」「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら」の2冊です。

なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか (中公文庫)
工藤 美代子
(「日々是怪談」を改題したもの)




工藤美代子は、今はネトウヨのネタ元みたいな感じになってしまっていますが、この2冊があるがために、筆者はかなり信頼している書き手です。本書によれば、川端康成は、三島由紀夫の死後も何度か会っていたそうです。夫人の証言を直接聞いたとのこと。しかし、川端康成を死後の世界へと道連れにしたのは三島由紀夫ではなく、岡本かの子だったそうです。

かの子撩乱 (講談社文庫)
瀬戸内 晴美
(本書にはそんな怪談は書いてありませんが……)


というわけで、二・二六事件に始まる怪談に触れられる本を何冊か紹介してみました。
怪談だけに、すっきりと筋が通った解釈ができるものではありませんが、「昭和史+怪談」ということで、筆者の大好きなテーマが重なる、お気に入りのネタです。