ここ数年、子どもの相手に時間を取られてなかなか映画を見られず、周回遅れで、なんとか話題作のみ追いかけている状態なのですが、2016年公開の映画「クリーピー 偽りの隣人」を年末に見ました。

黒沢清監督のホラー映画は2007年の「叫」以来となるのでしょうか。かなり久しぶりで、見なければ、とずっと気にしていました。
ようやく見ることができたわけですが、随所に「これぞ黒沢映画」と思えるシーンが満載。香川照之、竹内結子、西島秀俊ら主役陣の演技も抜群で、堪能しました。あまりに興奮して、立て続けに2回も見てしまったほどです。

ところが!
鑑賞後にネットで世間の評判を検索してみたところ、酷評の嵐ではありませんか。
例えばAmazonでDVDのレビューを見ると、星1つの件数が星5つの倍くらいになっているという、あり得ない状態になっていました。
しばらくマトモに映画を見ていなかったせいで、オレの鑑賞眼は狂ったか? と思ってしまいましたが、いやいや。雑誌などの、信頼できる批評を確認すると、皆さん絶賛しています。
つまり、ホラー映画をほとんど見ない人、黒沢清をよく知らない人にとっては「わけがわからない」という印象を与えてしまっているようなのですが、少しでもホラー映画の素養があれば、これはかなりの傑作だとわかるハズなのです。
というわけで、今回の記事は、映画「クリーピー 偽りの隣人」がつまらなかった、という方へ向けて、どこが面白いのか解説します。
とは言え、監督の発言なんかをちゃんとチェックしているわけではないので、正しい解釈かどうかはわかりませんが。あくまで、筆者が感じた面白さ、ということで。
それから、原作は読んでおりません。原作ファンの方が「せっかくあんなに面白い原作をこんな風にしてしまって!」と怒っている評価もよく目にしますが、それに対しては何も言えません。中途半端な記事ですみません。
なお、ネタバレは気にしませんので、ご注意ください。

まず、この映画を見る前の予習として、最低限チェックしておくべきものが2つあります。
それは、トビー・フーパー監督の映画「悪魔のいけにえ」(1974年)と、豊田正義によるノンフィクション「消された一家」(新潮文庫)です。



「悪魔のいけにえ」はホラー映画の名作として名高い作品ですが、黒沢清監督のフェイバリット映画でもあります。いたるところで「悪魔のいけにえ」については言及しています。
テキサスをドライブする若者たちがとある一軒家へ立ち寄ると、そこには殺人一家が住んでいて、チェーンソーで片端から切り刻まれる、という話です。
外観はふつうの民家なのですが、内部は人肉加工場と化しており、末っ子の殺人鬼=通称レザーフェイスは鉄の引き戸の向こう側から、突然登場します。
同じく「クリーピー」に登場する一軒家も見た目はありきたりな民家なのですが、玄関を入って廊下を曲がると鉄の引き戸があり、その向こうでは身の毛もよだつ惨劇が繰り広げられています。
Webでレビューを見ていると、「こんなふつうの民家に鉄扉を備えた地下室があるのは非現実的だ」という評価をよく見ますが、ここは現実的かどうかなんてことは問題ではありません。
「悪魔のいけにえ」のオマージュなのです。黒沢監督のファンであればすぐにそれがわかって、「あり得ない!」と怒るどころか、「キターッ!」と喜ぶところです。
はじめのうちは民家の内部を見せず、玄関先のみが映るシーンが続きますが、ここではJホラー風に「この家には何かヤバイものがある」という不穏な空気のみが表現されています。
それが、ようやく廊下の先へ案内された途端に、待ち受けるのは鉄の扉!
それまでコタツに寝転んで画面を見ていた筆者は、ここで正座に切り替えましたね。
また、そういう目で見ると、真空パックを作るために登場する巨大掃除機も「そりゃ、いくらなんでもやりすぎでしょ」と思いながらも、妙に嬉しくなってしまう小道具です(デカイけど)。ここまで身軽に現実から遊離してくれたら、テンション上がりますよ。淡々と取り扱う藤野涼子のなんと魅力的なこと!



「消された一家」は、北九州で発生した殺人事件を取材したもので、これまた犯罪を扱ったノンフィクションとしては有名なロングセラーです。
犯人はなんでもないふつうの家族の中へ巧みに入り込み、いつの間にか精神的な主導権を握り、やがて家族同士で殺し合いをさせて崩壊へと導きます。先年の尼崎の殺人事件でも全く同じ展開がありましたが、常識的な感覚ではまるで理解できない事件です。
「クリーピー」で香川照之が演じている「西野」は、明らかにこの「消された一家」の犯人を意識して造形されたキャラです。原作もそうなのか、黒沢清のアイデアなのかその辺はわかりませんが、「あんなおかしな奴の言いなりになる竹内結子や藤野涼子はあり得ない!」という評価に対しては「いや、現実にあったことですよ」ということになります。
ただ、この犯人のやり口はそれなりに手数を踏んでおり、丁寧に描いていると、それだけで一本の映画になってしまいます。(というか、現に一冊のノンフィクションが書かれています)
そこで、この映画では手順を省略するための必殺技を繰り出します。
西野はしきりに注射器を取り出して、被害者へ謎の薬品を注射します。この薬品も「そんな薬ないだろ!」という批判の的になっていますが、これこそが、必殺技なのです。
どういうことかというと、この薬品は「犯人の手口をまとめたもの」と思われます。
つまり、注射を打たれるシーンを一発入れることで、「こいつも落とされた」という描写を瞬時に済ませられる仕組みです。
「消された一家」を読んでいれば、この辺にはすぐに気づくことができると思います。

というわけで、レビューを見ていて、よく批判されている部分については、「悪魔のいけにえ」と「消された一家」の2つさえチェックしておけば、「誤解はとけますよ」と言いたいです。本当はもっと詳細に論じたいのですが、黒沢監督の著書をひっくり返しながら分析するのが面倒なので、今回はこんなところで。

ところで、筆者がこの映画で最も感動したのは、ラストの竹内結子の絶叫ですね。
それまで抑えられていた恐怖を全て一度に吐き出すような、あるいは狂気への一線を越えつつあった状態から真人間へ生まれ変わるための産声であるかのような、全く想像を絶する叫びです。ここは、確実に「悪魔のいけにえ」ラストの絶叫を凌駕していますね。
映画「リング」冒頭で殺されるのを見たときから、ずっと竹内結子ファンを自任していましたが、実際こんなにすごい女優さんだったのか、と今さらながら思い知らされました。このシーンを味わうためだけでも見る価値はある映画です。

 逆に筆者がこの映画で「ん?」と思ったのは一箇所だけ。刑事の笹野高史が何も警戒せずにノコノコと問題の一軒家へ入っていくシーンです。ここも割りと批判されていますが、ここだけは筆者もどういう意図なのかよくわかりませんでした。とは言え、この映画全体の中においては瑣末な部分です。

以前に「クリーピー」をご覧になって「どうも納得できなかった」という方は、以上のことをご理解いただいた上で、改めてもう一度、鑑賞していただければと思います。