201709映画の魔125

映画というものを、筆者はどうしても「監督の作品」と考えてしまいます。
これは多くの人にとってそうではないでしょうか。
総合芸術と言われ、さまざまな職人が関与しており、また監督が携わるより先に原作者・脚本家がストリーを練っているにもかかわらず、最終的には監督名が大きくクローズアップされます。
映画「リング」についても、筆者は当初「中田秀夫」という監督名が最も強く印象に刻まれました。
ところがしかし、この映画は明確に脚本家・高橋洋の「作品」なのです。

「幽霊が怖いのは襲いかかって来るからではない。それでは生身の動物、殺人鬼や猛獣の怖さと変わらない。」「幽霊が怖いのはそれがこの世のモノではないから、その一点につきる。生身の人間が演じるほかない幽霊からどうやって”人間らしさ"を剥ぎ取るか。これが恐怖映画における幽霊表現の最大の課題なのである」
~高橋洋「地獄は実在する」より(青土社『映画の魔』2004年・収録)

高橋洋のこの取り組みは、「リング」において観客に最大級の衝撃を与え、ここからJホラーブームがスタートしたわけです。
では、高橋洋を駆りたてたものは何だったのか。

1991年にオリジナルビデオとして公開された「ほんとにあった怖い話」というオムニバスシリーズがあります。ここでは監督・鶴田法男、脚本家・小中千昭のコンビにより、まさに高橋洋がいうところの「この世のモノではないから、怖い」を実践した作品が製作されていました。
特に「第二夜」に収録された「霊のうごめく家」は、Jホラーの発火点である語り継がれています。
高橋洋はこの短編を絶賛し、ことあるごとに繰り返し言及しました。
その際、高橋洋が言い続けたのが「小中理論」です。
生身の人間がどうしたら幽霊に見えるのか。
それを徹底的に突き詰めた技術体系のことです。脚本家・小中千昭が生み出したものとされていました。

小中千昭は「ウルトラマン」や「アニメ作品」を職人的にこなしている脚本家ですが、初期はホラー映画中心に活動していました。
小中千昭自身、ホラーの恐怖を熱心に探究するタイプの脚本家でしたが、とはいえ明確な理論を記述していたわけではなく、作品に現れたテクニックを高橋洋が分析して「小中理論」と称していたわけです。
「リング」が公開され、高橋洋の宣伝の甲斐もあり、ホラー映画ファンのあいだでは「小中理論」という言葉が広く浸透しました。
当時、小中理論の実践作として語られたのは、以下のような作品です。
「邪願霊」……1988年製作のオリジナルビデオ。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」に先駆けたモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)形式のホラーで、約10年後に開花するJホラーの正真正銘の原点とされています。
「ほんとにあった怖い話」シリーズ……1991年にスタートした、鶴田法男監督のオリジナルビデオ。
「学校の怪談」……テレビドラマ。連続ものとしてワンクール放映されたのち、何度かスペシャルドラマを放映。小中千昭、高橋洋、鶴田法男、中田秀夫、黒沢清とJホラーの立役者が集結しているうえ、「学校の怪談G」収録の掌編「片隅」・「4444444444」は清水崇のデビュー作となった。
「DOORⅢ」……小中千昭脚本・黒沢清監督の映画。

さて、小中千昭はJホラーブームが一段落した2003年、岩波アクティブ新書から「ホラー映画の魅力」という本を刊行し、ついに小中理論の記述を試みます。
ここでようやく「リング」へと至るJホラー誕生の姿が、正確に、そして理論的に語られることになったのです。
小中千昭は本書の中で、本当に怖いホラーのことを「ファンダメンタル・ホラー」と呼びました。
「恐怖」と「驚き」とを厳密に区別し、「ジョーズ」や「キャリー」はよく出来た映画ではあるものの、ホラーではなく「ショッカー」であるという指摘には目の覚める思いがしたものです。

映画「リング」公開の前史にはこのような取り組みがあり、その成果がJホラーブームとなったわけです。
次回は「呪怨」について語ります。

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オリジナルビデオとして発表された「ほんとにあった怖い話」シリーズを全て収録したDVD。「霊のうごめく家」ももちろん入ってます。


DVDは竹中直人が主役のようなパッケージになっていますが、当時はまだ売り出し中で、本編には背中姿しか写っていません。



映画の魔
高橋 洋
青土社
2004-09


恐怖の作法: ホラー映画の技術
小中 千昭
河出書房新社
2014-05-15

(「ホラー映画の魅力」を再録した評論集)