備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

新刊情報

30年ぶりの続編 赤川次郎「いもうと」

201912いもうと016

大林宣彦監督の映画「ふたり」が公開されたのは1991年。筆者は高校1年生でした。
劇場まで一人でわざわざ観にいった理由は覚えていません。
赤川次郎の小説はちょこちょこと読んでいましたが、特に熱心なファンというわけではなく、「ふたり」は未読でした。大林宣彦については名前を知っているという程度。主演女優の二人は名前すら聞いたこともない。
そんな状態でよく観にいったものだと思いますが、前年にドラマ版がテレビ放映され、然る後に映画版が劇場公開されるというプロジェクトが話題になっており、なんとなく「観ておいたほうがよさそうな映画」という認識を持っていたような記憶があります。テレビ版を見ようと思っていて見損ねたことも一因だったかもしれません。

ともかく、そんな風にたいした期待もせずに見た映画は、おそらくこれまでの人生で最も何度も見直した映画になってしまいました。
上映が始まると冒頭からノックアウト。石田ひかりの魅力が炸裂。いや、石田ひかりだけでなく登場する人々が、誰も彼も立体的で生き生きと動き回っており、自分も映画の世界に入ってしまったかのような感覚で、どっぷりはまってしまいました。
頭をクラクラさせながら2時間半の上映時間を過ごすと、そのまま1ヶ月くらいは主題歌「草の想い」が脳内でエンドレス再生され続けるという状態でした。
その後、ビデオが発売されると何度も何度もレンタル。2001年にDVDが発売された時点でもまだ熱は冷めておらず、予約して購入するとしばらくのあいだは毎日再生。

原作は映画を観た直後、直ちに購入して読みましたが、これが実は驚くほど原作に忠実な映画化でした。舞台が東京、という点にのみ「あれ? 尾道じゃないの?」と軽い違和感を覚えたものの、読み返すたびに映画のキャスティングそのままで脳内上映が始まりました。

というわけで、赤川次郎「ふたり」は映画とセットで異常に思い入れのある小説なのですが、原作の発表からちょうど30年になる今年、その続編「いもうと」が刊行されました。

これは読むべきかどうか、散々迷いましたね。
10月に刊行され、手に取る決断をするまで2ヶ月近くかかりました。
これは絶対、読んだら後悔するに違いない。これまで30年間、自分の中で大切にしてきたイメージが壊されてしまうに違いない……しかし、読みたい。実加がどんなふうに成長しているのかものすごく気になる……
ということをこの2ヶ月近く悩み続けた挙げ句、ようやく読んだというわけです。

結果。
読んだのは正解でした!

まず、映画版のキャスティングそのままで、続編も完全にイケます。
実加は石田ひかり。お姉ちゃんは中嶋朋子。お父さんは岸部一徳で、お母さんは富司純子。長谷部真子も神永智也もみんな映画のままでOKです。
むしろ、赤川次郎が原作者でありながら、映画版リスペクトで、出演者に寄せてきているような印象すらありました。
ああ、それぞれこんな風に「ふたり」のあとを生きていたんだ、ということがよくわかりました。

しかし、みんな本当にひどい目に遭いますね。
 そもそも、赤川次郎の作風は、世間ではユーモアミステリだとか言われていますが、本質的には暗く陰惨な物語を描きます。
「ふたり」も美しい姉妹愛の物語と見せて、一つ一つのエピソードは冷酷です。
姉の事故死、レイプ未遂、母の入院と闘病、いじめ、同級生の一家心中、さらには父の不倫。
少女時代にどれか一つでも経験したら一生引きずりそうな話がてんこ盛りとなっています。
続編「いもうと」では、これはさらにエスカレート。大人になっているので、さらに容赦のないトラブルが次々と襲ってきます。野島伸司も真っ青の展開です。
ところが、作者は登場人物に対して容赦がないだけで、愛情がないわけではない。
過酷な試練に直面する一人ひとりを、実に生活感あふれる生きたキャラクターとして描きます。誠実に生きる人も、身勝手に生きる人も、それぞれ自分の人生をしっかり生きている。一番残酷な未来が待っていたのは神永青年でしたが、彼に対してすら作者の愛情を感じる。

そんな冷酷な展開の物語を、「ふたり」では、実加と千津子のやり取りに救われながら読み進みますが、「いもうと」では成長した実加のたくましさに救われます。
どうしているか心配していたけど、ほんとに頑張ってるよ! よかったよかった!
全然「いい話」なんかじゃないのに、またもや物語の中にどっぷりとはまってしまいました。

いもうと
赤川 次郎
新潮社
2019-10-18


新宿鮫・鮫島警部は今、何歳?

201911新宿鮫013

大沢在昌、新宿鮫シリーズの新刊『暗約領域 新宿鮫Ⅺ』が刊行されました。
前作『絆回廊』から、なんと8年ぶり。
『絆回廊』とのその前の『狼花』とのあいだが5~6年空いていて、当時、これはちょっと待たされ過ぎだよなあ……と思ったものですが、今回はそれよりも年数が経ってしまいました。
前回の終わり方から考えて、すぐさま次作が出てもよさそうだと思っていたんですが。
ってことは、次が出るのは10年後? メインの読者層はもう死んじゃってるんじゃないか?

ところで筆者は、シリーズ全作をリアルタイムで追いかけている読者の中では最も若い世代ではないかと思います。
1作目が出たときは中学3年生。大沢在昌の名前はなんとなく書店で見て知っていたという程度だったのですが、あまりにイカレたタイトル(当時はそう思いました)に、熱のこもった賛辞が並ぶ帯を見て「これはなんだかすごそうな小説だ」と思って、新刊本として書店に並んですぐに買ってきたのでした。
しかし、その時の筆者にはピンと来ませんでしたね。ハードボイルドや冒険小説、警察小説のたぐいは全く読んだことがなかったため、むしろ読みづらい小説だとさえ思いました。
その後「このミス」で1位になっているのを見て、「ふーん。世間ではこういう小説が面白いとされているのか」などと思いつつも、自分には合わない世界だと感じていました。
そこで、高校1年のときに発売された2作目『毒猿』は新刊ではスルーしていたのですが、年末になると相変わらず「このミス」で上位に入っているので、やっぱり読んでみるか、と買ってきたところ……!!!!!
これは衝撃的な面白さでした。改めて1作目を読み直すと、なんだこれは、めちゃくちゃ面白いではないか。
中学3年から高校1年にかけて、高校受験以外には目立ったイベントはなかったはずなのですが、筆者の中で何かが確実に成長していたようです。
そんなわけで、その後の新作は毎回、発売日を待ち構えて買ってきました。高校3年のときは大学受験に備えて1年間読書を絶とうと決め、実際、島田荘司の大作『アトポス』なんかも「大学に入ってから読もう」と手をつけていなかったのに、新宿鮫4作目の『無間人形』だけは我慢できず、一日で読んでしまいました。この年に読んだのは、見事にこの1冊だけでした。
この頃の大沢在昌は、いま振り返っても本当に絶好調。『走らなあかん、夜明けまで』『B.D.T』『天使の牙』と、どれもこれも一気読み必至の徹夜本ばかりが新作として発表され、熱狂的に読んでいたもんです。対談集の『エンパラ』も最高でした。

と、思い出話に耽ってしまいましたが、本題。鮫島警部はいったい何歳なのか?

このシリーズ、時代設定は毎回、発表時のリアルタイムに設定されているように思われます。
新宿の最新の世相を反映させており、小道具も時代にあわせて新しいものが次々登場します。今作ではスマホも登場しました(前作『絆回廊』にスマホが出てきたかどうか、8年前のことなのでもはや忘れましたが、たぶん出てきてなかったと思います)。
また、ある時期に、それまで警視庁では「防犯課」だった部署名が「生活安全課」と変更されたため、「新宿鮫でもそんな庶民的な名前をそのまま使うのか?」と読者はみな心配したもんですが、今や「生活安全課」という呼称も特に違和感なく定着しています。
さらに今作では冒頭から、「平成二十九年に公布された住宅宿泊事業法により……」という記述も見られます。

ということは、登場人物たちも順調に年齢を重ねているはずで、初登場時に36歳くらいだった鮫島警部は、もはや還暦を過ぎているということになります。
しかし、それだと定年退職しているはずです。退職後に警備員として新宿の商業施設をウロウロしているというならともかく、こんな風に麻薬や殺人の捜査で第一線に出て頑張っているわけがありません。
となると、結論は一つ。サザエさん方式です。
「サザエさん」や「ガラスの仮面」と同じく、作中の時代と登場人物たちの年齢の進行は一致していないと判断したほうがよさそうです。

新宿鮫シリーズは、各回ごとに発生する事件とは別に、シリーズ全体を通してのストーリーがあります。鮫島と公安との暗闘、恋人・晶や、上司・桃井との関係。
各回ごとの事件は勢いよく語られていくものの、背景となっている大きな物語は遅々として進みません。色々と謎が多く、展開が気になるにも関わらず、一向に先が見えない。
はたして、鮫島の定年退職までに、シリーズは完結するのか?
実際のところ、作者が出し惜しみしているうちに、取り返しがつかないくらい長期間のシリーズになってしまったんじゃないかと、筆者としてはそんな風に疑っていますが、このままシリーズが中断されたりしたら30年来の読者としては本当に困ります。

今回の新作、まだ最後まで読んでいないのですが、初めの方を読んでいると相変わらず年齢不詳です。
これまで、鮫島の年齢が気になってかなりヤキモキしていましたが、いよいよ還暦を過ぎても刑事をやっているということがわかり、「サザエさん方式である」と確信を持つことができたので、実はかなり安心しました。

大丈夫。鮫島は年を取らない。シリーズは、作者が死ぬまでに完結してくれたらOK。

というわけで、次回作はのんびり気長に待ちたいと思います。

暗約領域 新宿鮫XI
大沢在昌
光文社
2019-11-19


春日太一『黙示録――映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』(文藝春秋)

201911奥山和由012

春日太一氏の新刊「黙示録――映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」を読みました。
これは本当に読んで良かった本ですね。好きな映画の裏話が聞ける、というレベルではなく、80~90年代の邦画に対する認識がガラリと改まりました。

そもそも、奥山和由というプロデューサーに対してはあまりよい印象を持っていませんでした。
親のコネで松竹へ入社すると「ハチ公物語」の大ヒットで調子に乗り、「RAMPO」では監督をないがしろにする横暴ぶり。「226」で笠原和夫の顰蹙を買い、ついには親子で松竹を追放される。
もちろん北野武監督を誕生させたり、「丑三つの村」「GONIN」など、筆者の大好きな映画をたくさんプロデュースしているということは知っていました。
しかし、それらの成果はすべて監督のおかげ、と思っており、プロデューサーの存在はほとんど意識していなかったわけです。
「いつかギラギラする日」なんかは、深作欣二と笠原和夫の秘蔵の企画からタイトルだけ持っていきやがって、とほとんど言い掛かりに近いことまで思っていました。

しかし、本書を読むと、これらはすべて全くの誤解。勘違い。
奥山和由が熱い思いとアイデアとを持って取り組んだことで生まれた作品であったということがよくわかります。
華々しい活躍ぶりは、筆者のごとき世間一般の素人からは胡散臭い目で見られ、松竹を追い出されたときにはマスコミからバッシングを受けます。しかし、このときに深作欣二や菅原文太という文句なしに信頼できる人たちから送られた直筆の手紙には泣きました。
映画プロデューサーというのは、角川春樹にしても奥山和由にしても、会社を追い出されてなんぼ、っていうものなんでしょうかね。

改めてプロデュース作を見直していこうという気になりました。
さっそく「いつかギラギラする日」のDVDを我が家のコレクションから取り出して見ていたわけですが、ラストシーン、ショーケンがパトカーの屋根の上を四駆で走り抜けるシーンは、本書の裏話を知ってから見ると爆笑です。

80~90年代の映画史として秀逸であり、奥山和由というプロデューサーの業績を記録したものとして貴重であり、名作の裏話として興味深い。
本当に読んで良かった本です。



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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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