備忘の都

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海外文学

江戸川乱歩「鉄仮面」とは?

201807鉄仮面238

先日ご紹介した筒井康隆のエッセイ「漂流」(文庫版は「読書の極意と掟」に改題予定)では、江戸川乱歩の「鉄仮面」という小説が紹介されています。
しかし、現在手に入る乱歩の著作のなかには「鉄仮面」という作品はありません。
これはいったい何なのか?

「鉄仮面」というタイトルは非常に有名です。しかし、実際に「鉄仮面」なる小説を読んだ方は少ないのではないでしょうか。
これはそもそもは、ルイ14世治世下のフランスで、ずっと仮面を被せられて収監されていた囚人がいたものの、誰もその正体を知らなかったという史実があり(Wikipedia参照)、それを元に何人かの作家が正体を想像しながら小説を書きました。

有名なのはデュマとボアゴベです。
デュマの「鉄仮面」は、以前にこちらの記事のなかで紹介した「ダルタニャン物語」の一エピソードです。シリーズ3作目の「ブラジュロンヌ子爵」の後半がそれにあたります。
日本で海外小説の翻訳として刊行されている「鉄仮面」はほとんどが、このデュマの小説から鉄仮面にまつわる部分のみを編集したものです。世界的にも有名で、20年ほどまでにデュカプリオの主演で映画化されたこともあります。
一方のボアゴベの小説は、明治時代に黒岩涙香が「鉄仮面」として訳したことで知られています。
しかし実は、涙香がボアゴベのどの小説を原作としているのか、長らく謎でした。
原作がようやく特定されたのは戦後になってから、初の邦訳が刊行されたのは昭和も終わり近くのことで、現在は講談社文芸文庫に「鉄仮面」(長島良三訳)として収録されています。原作のタイトルは「サン=マール氏の二羽のツグミ」というものでした。

鉄仮面(上) (講談社文芸文庫)
デュ・フォルチェネ・ボアゴベ
講談社
2002-05-10


涙香が「鉄仮面」として翻案した作品は、何度も版を変えて刊行されましたが、これを小学生向けにリライトしたものが江戸川乱歩の「鉄仮面」なのです。

筒井康隆「漂流」のなかでも触れられているとおり、乱歩の「鉄仮面」は単なる名義貸しで、実際には別人の手によって書かれたものとされています。このため、ここ何十年かは再刊されることなく、入手困難な本となっています。
昭和62年に講談社が「江戸川乱歩推理文庫」の刊行を始めたとき、当初のラインナップにはこの「鉄仮面」のタイトルがありました。翻訳編が3冊刊行される予定ということで、「名探偵ルコック」と「黄金虫」と並んで、タイトルが出ていたのです。
しかし、刊行が進むにつれて続刊予定が変更となり、結局、翻訳編が刊行されることはありませんでした。このときにまかり間違って出してしまっておけば、ずいぶんと入手が楽な小説になっていたはずなんですけどね。
筆者は一冊持っているのですが、いつどこで、いくらで買ったのか全然覚えていない戦後のいわゆる仙花紙本です。そもそもが紙質も悪く、活字も歪んでいて、その上かなりボロボロになっており、判読困難な部分も少なからずあるのですが、これは筒井康隆が絶賛している梁川剛一の挿絵が使われているので、まあこれはこれでコレクションとしてアリかな、と。

実はストーリー展開は原作とはかなり異なっています。
「仮面の男の正体を探る」ということが全編を通したテーマとなっており、囚人の正体が二人の男のうちのどちらかであることは間違いないのですが、正体の解明と牢獄からの救出を目的に、復讐に燃えるヒロイン、熱情にかられた伯爵夫人らが策謀と巡らし、チャンバラを繰り広げるという、「三銃士」が好きな人なら間違いなく楽しめるタイプの作品です。
ところが、原作のラストはかなり非情なものでした。こんな結末は期待していない!と呆然としてしまいましたが、古典作品なので文句を言うわけにもいきません。
これが乱歩版では、読者が期待する通りのハッピーエンドとなっています。
乱歩版の元となっている涙香版も同じくハッピーエンドなので、原作の結末を改変したのは涙香だったということになります。
乱歩名義の子ども向けリライトと言えば、ポプラ社の全集もそうですが、著作権の問題なのか教育上の配慮なのか、現在はどれもこれも読めないものばかりです。
乱歩の著作権が切れたら、名義貸しのものもすべて一斉に著作権が切れたりしないんでしょうか? きれいな活字でちゃんと読み直したいものだと思います。

最後に江戸川乱歩「鉄仮面」の書誌情報をあげておきます。

1.「鉄仮面」世界名作物語(昭和13年8月15日)大日本雄弁会講談社 四六版函入 挿絵:梁川剛一
2.「鉄仮面」少国民名作文庫(昭和21年9月20日)大日本雄弁会講談社 B6判 挿絵:梁川剛一
3.「鉄仮面」世界名作物語(昭和23年6月10日)大日本雄弁会講談社 B6判 挿絵:三芳悌吉
4.「鉄仮面」世界名作全集(昭和25年7月25日)大日本雄弁会講談社 B6判 挿絵:梁川剛一

筆者が持っているのは「2」のバージョンです。この中ではいちばん劣悪な状態のものでしょう。
おそらく入手しやすいのは「4」ではないかと思います。かなり長い間、版を重ねたはずなので。

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ドラマ「モンテ・クリスト伯」の残念ポイント

引き続きドラマ「モンテ・クリスト伯」の話です。

前回の記事は、主にあらすじの面から原作との違いを振り返ってみました。
今回は、キャラクター設定についてです。

主人公エドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯爵)の設定は、あらすじを見る限りでは原作に忠実なように見えます。
しかし、ドラマを通して見ていると、やはり原作からは若干の違和感があります。
簡単にいうと、こんなサイコ野郎だったっけ??ということになります。

原作でも確かに傍若無人な振る舞いは目立ち、また復讐の対象者には、慇懃な態度をとりながらも極めて冷酷に計画を進めていきます。
しかし、そうでありながら、きちんと心に血が通っていることがわかる描写が端々にあります。

いくらひどい目に遭ったとは言え、このような大掛かりな復讐を、まともな頭の持ち主が良心を痛めずに実行できるものなのか。
実は原作にはそこに一つの仕掛けがあります。
ダンテスは「この復讐は神に許されている」と考えているのです。
従って、冷酷な計画であるように見えても、全ては神が許す範囲内であり、それを超えるような振る舞いは決してしません。
獄中でファリア神父と出会ったことで生まれた信心が、このような形で物語に一本の筋を与えているのです。

「神に許し」が最も強く意識されるのは、ヴィルフォールに対するエピソードです。
ドラマでは、入間公平の奥さんは自ら毒を飲みましたが、原作でもヴィルフォール夫人は息子を道連れにして自殺します。
ヴィルフォールは二人の亡骸を前にして、モンテ・クリスト伯爵に対し「これがお前の復讐の結果だ!」と詰め寄り、その後発狂します。
この光景を見た伯爵は「神が許す範囲を超えてしまった!」と衝撃を受けるのです。

このエピソードの前にすでにフェルナン(ドラマでは南条)は自殺していましたが、「最後に残った者だけは命を助けよう」と考え、ダングラール(ドラマでは神楽)は解放されます。
ドラマでは最後に「ああ、楽しかった」とつぶやくのですが、原作の設定から言えば、このようなセリフはあり得ません。

というわけで、ストーリー面から見ると、現代日本に置き換えた割りにはかなり頑張って原作を再現していたと思いますが、精神面では、やはり原作の方が深みがあると思いました。
ドラマを見ていろいろと疑問を感じたという方は、ぜひ原作も手に取っていただきたいと思います。長大な古典名作文学ということで尻込みされる方も多いようですが、ざっくりしたストーリーが頭に入っていればあっという間に読めてしまう、エンターテインメントの傑作です。
ドラマがいかに原作を尊重していたか、しかしどの点で及んでいないか、ぜひ比べてみてください。





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「モンテ・クリスト伯」原作とドラマあらすじ比較

4月から始まったドラマ「モンテ・クリスト伯」の放映が終わりました。
筆者は放映が始まった頃に「原作ファンとしてドラマ「モンテ・クリスト伯」を擁護する」という記事を投稿していますが、ドラマが完結したところで、改めて感想を綴ってみたいと思います。
ちなみに、この記事は「ドラマは見たけど、原作は読む予定がない」方を対象にしていますので、平気でネタバレしていきます。

脱獄を描く第2話まではかなり原作に忠実に進んでいたストーリーですが、復讐が始まる第3話から改変が目立つようになってきました。
なかでも、大きなポイントは
・モルセール伯爵(南条)とメルセデス(すみれ)の子が娘になっている(原作は青年)。
・エデ(江田愛梨)のキャラが原作と全く違う。
・アンドレア・カヴァルカンティ(安堂完治)とダングラール夫人(神楽留美)がくっつく。
というあたりです。

順に説明していきましょう。
原作では、ダンテスとの投獄から復讐開始まで20年以上の月日が流れているのですが、ドラマではこの期間が10年ほど短縮されていました。その時点で、モルセール伯とメルセデスの息子・アルベールの存在をどうするつもりだろうと不安になりましたが、結局、ドラマではほぼ完全にアルベール抜きの話になっていました。
原作では、モンテ・クリスト伯はアルベールに近づいて友人となるところから復讐を開始します。これはドラマでも、南条明日花を事故から救うエピソードとして再現されていますが、原作のアルベールは二十歳に近い青年であるため、モンテ・クリスト伯との付き合いはもっと深いものとなり、中盤では準主役と言ってよいほど出ずっぱりになります。
モルセール伯は、主君を裏切って伸し上がったという秘密を持っておりそれをモンテ・クリスト伯によって暴かれます。アルベールは父の過去を知らなかったため、それを暴き立てたモンテ・クリスト伯を恨み、決闘を申し込みます。しかし、その決闘を知った母メルセデスから、父がエドモン・ダンテスをも無実の罪に陥れていたこと、そしてそのダンテスこそがモンテ・クリスト伯であることを知らされ、決闘を放棄。父との縁を切ります。地位を失い、妻と息子からも見捨てられたモルセール伯は自決する、という流れになっています。
アルベールの存在がなくなったことから、南条に対する復讐はドラマオリジナルの要素が目立つようになります。最終的に自殺しようとはするものの、明日花ちゃんのために、という名目で救助され、すみれと本当に別れたのかどうかもハッキリしない描き方です。
演じた大倉忠義は、フェルナン(=モルセール伯)役としてはかなりイメージに近い嫌な野郎ぶりを発揮していましたが、エピソードとしては原作から最も遠いものになっていました。

エデは原作では元王女という扱いです。フェルナンの裏切りによって父を失い、奴隷の身分になっていたところをモンテ・クリスト伯に買われました。
このため、モンテ・クリスト伯はエデを常に「奴隷」と呼びますが、エデは伯爵を慕い続け、最終的には伯爵もエデに対する自分の想いに気がつき、最後に二人は結ばれるというハッピーエンドを迎えます。
ドラマの江田愛梨は、立場は原作と同じですが、復讐計画実行のために奔走する活動的な女性として描かれています。王女様的な優雅さや儚さは微塵もありません。この辺は原作ファンとしてはちょっと残念なところでした。
最終回では、暖がすみれに結婚を申し込むため「ええ!愛梨さんはどうすんの!?」とかなり驚きましたが、ラストでは愛梨さんと結ばれていることが(遠景ではありますが)描かれていましたね。
とはいえ、原作のエデは「ここまで慕ってくれる女性を捨てたらバチが当たるだろ」というくらいモンテ・クリスト伯に尽くし続けるのですが、ドラマでは復讐のための同志として一時的に手を組んでいるだけ、といった雰囲気もあり、本当の愛情があるのかどうか、あまり深く描いていませんでした。原作を知らない方にはラストシーンがちょっと唐突に映ったのでは、という気もします。

アンドレア・カヴァルカンティ(安堂完治)を巡るエピソードは最も改変が大きかった部分ですね。
ヴィルフォール(入間公平)とダングラール夫人(留美)とのあいだに生まれた私生児で生まれてすぐに捨てられたところをベルトゥッチオ(土屋)に拾われる、という出自は原作を全くそのまま再現していますが、留美とくっつくというところは原作からかけ離れています。
原作では、ベルトゥッチオの姉に育てられますが、不良少年として育ち悪事を重ねています。モンテ・クリスト伯によって貴族の嫡男に仕立て上げられ、ダングラールの娘と婚約するものの、正体に気づいてゆすってきたかつての悪友・カドルッスを殺害したことがバレて逮捕されます。そして、この裁判の席でヴィルフォールの悪事を暴露することになるのです。
ダングラール夫人とは婿と姑という関係であり、原作ではほとんど絡みません。(ついでに言えば、ダングラール嬢も高慢な女性でアンドレアを軽蔑しています)
この辺は原作通りの展開でも面白かったはずなのになあ、と思います。親子での近親相姦という気味の悪いエピソードに作り変えた意図がよくわかりませんでした。

さて、以上は改変部分でしたが、原作に忠実に進行したのがヴィルフォール(入間公平)に対する復讐です。
マクシミリアン・モレル(守尾信一朗)とヴァランティーヌ(入間未蘭)との恋愛も原作通り。ヴィルフォール夫人が毒殺魔として暗躍するのも同じ(殺される相手が微妙に違いますが)。また、ノワルティエ(入間貞吉)が全身不随でありながらも、ヴァランティーヌを救うために活躍するあたりのやり取りも、だいたいすべてが原作通りです。
南条、神楽が原作よりもヌルい対応で終わるのに対し、入間だけは唯一、原作通りの末路をたどることになります。
発狂して庭に穴を掘り始めるところも同じですが、原作では子どもの死体を探すために掘っているのに対し、ドラマでは奥さんを埋めるために掘っていました。違う点はそのくらいです。

原作はこのドタバタ騒動を生き延び、愛する者同士で結ばれたマクシミリアンとヴァランティーヌが、モンテ・クリスト伯の手紙の一文「待て、しかして希望せよ」という言葉を胸に、未来へと希望を抱くシーンで幕を閉じます。
ドラマもラストはこのイメージ通りに締めくくられ、原作ファンとしても「まあなんだかんだあったけど、良い終わり方だった」とスッキリした気分で見終えることができました。






ドラマのDVD、Blue-rayが11月に発売されるようです。



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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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