備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

読書

岩波文庫的って?佐藤正午「月の満ち欠け」

201910月の満ち欠け011

2017年に第157回直木賞を受賞した佐藤正午の「月の満ち欠け」。
岩波書店から発行された小説が初めて直木賞を取ったということで話題となりましたが、今月、文庫版が刊行されました。

これを書店で見てびっくり!
なんと、岩波文庫に入っているではないか。
岩波文庫は生きている著者の本は収録しない方針で……というのまことしやかなウソですが、実際のところ古典として評価の定まったものでなければ収録しないため、著書のほとんどは故人です。
発表されて数年の、しかも小説が収録されるというのはありえないことで、「月の満ち欠け」が文庫化されるなら岩波現代文庫だろうと思っていたので、これには驚きました。

ところが、ちょっと様子がヘンです。
まず、日本文学は緑帯のはずですが、表紙を見ると金色があしらわれています。
これが店頭では、白帯の表紙に使われているグレイに見えたため「え?白帯(=社会科学)?」とますます驚いてしまいました。
手にとって帯を外してみると、背表紙も緑ではなく金色。これはいったいどういう分類なのか。
しかも、通常「岩波文庫」とある部分に「岩波文庫」と表記されています。

ますます謎が深まり、中をパラパラめくると、一枚のチラシが挟んでありました。

DSC_0017

 これでようやく、謎が解けました。
著者としては「岩波文庫へ」という希望だったものの、岩波書店としてはブランド価値を守るため、それは受け入れられない。だから、岩波文庫のパロディで刊行しよう、ということだったようです。

岩波文庫のパロディを狙った装丁というものはこれまでにも例はありますが、本家本元が、本気で取り組むとどうなるか。
なんとかして本物の岩波文庫に近づけたいという熱意と、何が何でも岩波文庫には収録したくないという方針とが倒錯的にせめぎあい、しかもそれが自作自演ということで、かなり笑いました。
変わった装丁が好きな人は必携のコレクターズアイテムに仕上がっていると思います。ネタが岩波文庫でなければ絶対に成り立たないし、同じネタは二度と使わないでしょうから、唯一無二の存在です。

詳細に見ていきましょう。

まず、「岩波文庫じゃないアピール」について。
本書のあちこちに「これは岩波文庫ではありません」ということが強調されています。

最初は書名に注目。本書の書名は『岩波文庫的 月の満ち欠け』です。
通常、「岩波文庫」などのレーベル名は「シリーズ名」として扱われ、書名には含まれません。しかし、奥付を見ても、岩波書店のホームページを見ても、書名は『岩波文庫的 月の満ち欠け』となっています(岩波文庫的、という部分だけ級数を落とした活字になっています)。
岩波文庫ではなく、岩波文庫的な本だ、ということですね。
次に左下のミレー「種まく人」のマーク。通常は、緑なり赤なりで彩色されていますが、本書ではタイトルからのイメージで、わずかに欠けた形に塗られています。
裏表紙のロゴマークも、本来は壺の形ですが、月をイメージしたデザインになっています(ちくま文庫っぽい)。
また、岩波文庫には必ず掲載されている「読書子に寄す」も載っていません。

DSC_0018

あちこちに「ニセモノっぽさ」が漂っていますが、最大のポイントが「C分類」。
C分類とは、ISBNや価格の横に表記されている分類番号です。
書籍の流通現場でしか使われていないものなので、本好きでも知らない方が多いと思いますが、ここが文庫ではありえない数字になっています。
詳しくは、Wikipediaの「日本図書コード#Cコード」をご覧いただければと思いますが、C分類の2桁目は「形態」を表す部分で、文庫はここが「1」になります。
したがって、岩波文庫も通常は「0193」とか「0132」とか、ともかく2桁目はすべて「1」になっています。
ところが、本書のC分類は「0093」。読み解くと「対象:一般、形態:単行本、内容:日本の小説」ということで、文庫本扱いになっていないのです。
もう一つ、書店で気づいた点として、書店店頭で書籍に挟んである「スリップ」があります。岩波文庫のスリップには通常、大きく「文」というマークが印字されていますが、ここが単行本を示す「単」というマークになっていました。
要するに、これは岩波書店内では文庫本ではなく、単行本として扱われているのです。当然、文庫の新刊案内にも掲載されません。
このように、至るところに「岩波文庫に収録してたまるか」という、出版社としての強い意志を感じます。スキがありません。
ちなみにこの単行本マークのスリップは、「お、これはコレクターズアイテムだぞ」と思ったのですが、会計時に無情にも抜かれてしまいました。不審者扱いされそうで、さすがに欲しいとは言えなかった……

さて、岩波書店は会社として「岩波文庫には断固として収録しない」と頑なな意思表示をしていますが、一方で著者・編集者サイドは「なんとかして岩波文庫に寄せていきたい」と頑張ります。その情熱を見ていきましょう。
表紙も本物そっくりなのですが(といっても、自社製品ですから……)、表紙を外してもちゃんと岩波文庫です。

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本物と比べてみると全く同じ。ただし、「岩波文庫」のところは「岩波文庫的」になっていて、裏表紙の壺マークも、やはり月マークになっています。
岩波文庫でおなじみの「〇〇作」という著者表記もちゃんと踏襲しています。
製本も印刷も岩波文庫と全く同じ。
岩波書店がやっているので当たり前といえば当たり前なのですが、あれほど強烈に「岩波文庫ではない」アピールをされたあとに見ると、その本物への寄せっぷりになぜか感動してしまいます。
品番の「55-825-1」というのがよくわからなかったのですが、調べてみたら著者の誕生日(1955/8/25)ですね。

挟んである栞は普通の岩波文庫のもので、筆者が買ったものは広辞苑の広告が印刷されていました。ここは最後にもう一捻りほしかったな、と残念ポイントでした。
あと、これって新刊のあいだはいいけど、新刊コーナーに平積みされなくなったら、どこのコーナーに並べられるんでしょうね? 憧れの岩波文庫コーナー? それとも岩波書店の方針を忖度して日本文学の単行本コーナー? 書店員のセンスも問われます。

というわけで、ここまで、小説の内容に全く触れていなかったのですが、すみません、筆者は日ごろはミステリ以外の日本文学をほとんど読まないため、この「月の満ち欠け」も未読でした。
しかし、これもなにかの縁、明日からさっそく読んで見たいと思います。

岩波文庫的 月の満ち欠け
佐藤 正午
岩波書店
2019-10-05


江戸川乱歩名義訳『ポー傑作集』(中公文庫)

201909ポー傑作集007

今月刊行された中公文庫の一冊。
江戸川乱歩「名義訳」とは、いったいナニゴトかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、要するに名義貸しです。
乱歩が活躍した時代は著者の名義に関してはずいぶんおおらかだったのか、あるいは当時にあっても厳に秘匿すべきことだったのか、その辺の感覚はよくわからないのですが、ともかく乱歩名義の小説・翻訳で本人が関与していないものは多くあります。
特に翻訳については実際に乱歩が訳した著書は一つもありません。
名張市立図書館が平成15年に刊行した「江戸川乱歩著書目録」の索引を見ると、数多くの翻訳書タイトルが並んでいますが、前書きでは「いずれも代訳」とされています。
以前に本ブログの記事(江戸川乱歩「鉄仮面」とは?)でも触れましたが、乱歩の「名義訳」はたくさんあるのです。
半年ほど前にも河出書房新社から黒岩涙香著、江戸川乱歩訳「死美人」というものが刊行されましたが、このときは乱歩本人の著作ではない旨がどこにも記載されておらず、物議を醸しました。今回の「名義訳」という謳い文句は、異様な雰囲気は受けるものの、まあ律儀な対応ではあると言えます。(なお、この「江戸川乱歩名義訳」というのは、著作者名ではなく書名の一部という扱いになっています)

では、実際に翻訳したのは誰だったか。
それは渡辺啓助・渡辺温兄弟です。
江戸川乱歩はペンネームをエドガー・アラン・ポーからとっていることもあって、どうかするとポーの後継者と思われしまったりもしますが、実際のところ、日本の小説界でポーの後継者と呼びうる作家は渡辺温です。若くして事故死しましたが、その作品は創元推理文庫『アンドロギュノスのちすじ』に一巻本の全集としてまとめられています。
ポーに心酔していただけに、乱歩も「私のポーとホフマンの翻訳のうち、ポーの部分は全く渡辺君の力に負うところのものである。当時、二、三人から名訳の評を耳にしたが、その讃辞は悉く渡辺君に与えられるべきものであった」と回顧しています(『探偵小説四十年』昭和5年の項)。
というわけで、本書は乱歩ファンよりも渡辺温ファンにとって待望のものといえるでしょう。

さて、そこで気になるのが本書の帯にある「乱歩全集から削除された」という一文。
実際のところ、本書に収録された作品のうち一部は、乱歩全集としては最初に刊行された平凡社版(昭和6年)に収録されているのです。しかし、以後の全集では収録されることはなかったことから、「削除された」という言い方もできなくはありません。
しかし、乱歩の「名義訳」作品が全集へ収録されたのは、あとに先にもこのときだけです。
果たして「削除された」と言えるのかどうか。

ただし、ポーの「黄金虫」については、実際に「削除された」といえる一件があります。
以前にも書いた(講談社「江戸川乱歩推理文庫」のこと)のですが、昭和62年から平成元年にかけて講談社から刊行された「江戸川乱歩推理文庫」では、当初発表のラインナップに翻訳ものとして「鉄仮面」「名探偵ルコック」「黄金虫」があがっていました。ところが、途中で続刊予定が変更となり、この3作は「削除」されてしまいました。
もしかすると、「削除」というのはこのときのことを言っているのかな、とも思いましたが、この3作は巻の並びから児童物という位置づけだったと思われます。そうなると「黄金虫」については、昭和28年に講談社から刊行された「世界名作全集59巻 黄金虫」を収録予定だったと可能性が高く、今回復刊された渡辺兄弟訳のものとは別になります。

ポー傑作集-江戸川乱歩名義訳 (中公文庫)
エドガー・アラン・ポー
中央公論新社
2019-09-19





ハヤカワ時代ミステリ文庫「影がゆく」は「鷲は舞い降りた」へのオマージュ!

201909影がゆく007

今月、早川書房から新レーベル「ハヤカワ時代ミステリ文庫」が創刊されました。
ハヤカワ・ミステリ文庫収録の時代ミステリといえばジョセフィン・テイの「時の娘」が有名ですが……という話ではなく、なんとハヤカワ文庫の一角に時代小説コーナーができてしまうのです!

ここ10年ほど、文庫書き下ろしの時代小説が隆盛を極めており、双葉文庫、ハルキ文庫、祥伝社文庫、光文社文庫その他あちこちから、毎月膨大な時代小説が刊行されています。
正直なところ、筆者は全く興味はなく、あまりに書店がにぎやかなので人気作家の名前くらいは覚えてしまいましたが、一冊も読んだことはありません。
そんなわけで、今回の創刊も新聞広告を見たときは「え、ハヤカワまで!」と驚きはしましたが、まあ、自分には関係と思い込んでいました。

ところが! これが大いに関係あったんですね。
出版業界専門紙「新文化」を眺めていたら編集者のインタビューが載っていたのですが、それによれば、
第1弾は海外の名作ミステリをオマージュしたもので、稲葉博一『影がゆく』(オマージュ元=ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』)、稲葉一広『戯作屋伴内捕物ばなし』(同=ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』など)、誉田龍一『よろず屋お市 深川事件帖』(同=P.D.ジェイムズ『女には向かない職業』)の3点。
ということではありませんか! なんとなんとなんと。
見事にハヤカワ文庫収録の古典的名作を揃えています。
(記事全文はこちらで読めます⇒https://www.shinbunka.co.jp/news2019/09/190909-01.htm

いや、これはかなり重要な情報ですよ。
こんな話を全国民に知らせず、業界紙だけにこっそり教えているとは、早川書房、いったい何やってんだよ!
むろんのこと、オマージュを捧げればたちまち傑作になるというものでもないでしょうけれど、個人的にはかなり期待をします。
というのは、例えばここにあがっているような冒険小説や古典的な本格ミステリは、現代日本を舞台にするよりも、時代小説の形を借りたほうがより自由度が高い物語にできるんじゃないかな、と日頃から思っていたからです。山田風太郎や隆慶一郎の小説なんかは、同じ味わいを現代劇で再現するのはなかなか困難でしょう。

というわけで、さっそく稲葉博一「影がゆく」を買ってきましたよ。
この作家の名前はこれまで知らなかったのですが、10年ほど前から忍者小説をいくつか発表されているようです。(余談ですが、創刊ラインナップ3人のうち2人が「稲葉」さんってちょっとややこしい。これも稲葉明雄へのオマージュ?)
表紙はいかにも時代小説ですが、背表紙を見るとハヤカワ文庫らしいくっきりとした活字でタイトルが印刷されており、ちょっとテンションが上ります。背表紙下部には「ハヤカワ時代ミステリ文庫」とありますが、「JA」に分類されているんですね。(「JA」の時代小説といえば、宮本昌孝「もしかして時代劇」なんてのが昔あったな……というのは、これまた余談)

まだ読み始めたばかりで、これからどんな展開をするのか全然わからない状態でこの記事を書いてますが(「買った!」という報告の記事です。今回は)、浅井長政と織田信長との争いを背景に、長政の姪っ子にあたる姫を、信長の支配地である美濃経由で越後まで逃がすという物語です。
キャラ立ちしている人物が続々登場して、シュタイナ中佐的な役を誰が負っているのかもまだ良くわかりませんが、敵中横断というモチーフが「鷲は舞い降りた」と共通しているようです。

というわけで、とりあえずこれが面白かったら、このレーベルは信用するとして、「三つの棺」へのオマージュという「戯作屋伴内捕物ばなし」も読んでみようかな、と思っています。

影がゆく (ハヤカワ時代ミステリ文庫)
稲葉 博一
早川書房
2019-09-10








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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

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