201909ポー傑作集007

今月刊行された中公文庫の一冊。
江戸川乱歩「名義訳」とは、いったいナニゴトかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、要するに名義貸しです。
乱歩が活躍した時代は著者の名義に関してはずいぶんおおらかだったのか、あるいは当時にあっても厳に秘匿すべきことだったのか、その辺の感覚はよくわからないのですが、ともかく乱歩名義の小説・翻訳で本人が関与していないものは多くあります。
特に翻訳については実際に乱歩が訳した著書は一つもありません。
名張市立図書館が平成15年に刊行した「江戸川乱歩著書目録」の索引を見ると、数多くの翻訳書タイトルが並んでいますが、前書きでは「いずれも代訳」とされています。
以前に本ブログの記事(江戸川乱歩「鉄仮面」とは?)でも触れましたが、乱歩の「名義訳」はたくさんあるのです。
半年ほど前にも河出書房新社から黒岩涙香著、江戸川乱歩訳「死美人」というものが刊行されましたが、このときは乱歩本人の著作ではない旨がどこにも記載されておらず、物議を醸しました。今回の「名義訳」という謳い文句は、異様な雰囲気は受けるものの、まあ律儀な対応ではあると言えます。(なお、この「江戸川乱歩名義訳」というのは、著作者名ではなく書名の一部という扱いになっています)

では、実際に翻訳したのは誰だったか。
それは渡辺啓助・渡辺温兄弟です。
江戸川乱歩はペンネームをエドガー・アラン・ポーからとっていることもあって、どうかするとポーの後継者と思われしまったりもしますが、実際のところ、日本の小説界でポーの後継者と呼びうる作家は渡辺温です。若くして事故死しましたが、その作品は創元推理文庫『アンドロギュノスのちすじ』に一巻本の全集としてまとめられています。
ポーに心酔していただけに、乱歩も「私のポーとホフマンの翻訳のうち、ポーの部分は全く渡辺君の力に負うところのものである。当時、二、三人から名訳の評を耳にしたが、その讃辞は悉く渡辺君に与えられるべきものであった」と回顧しています(『探偵小説四十年』昭和5年の項)。
というわけで、本書は乱歩ファンよりも渡辺温ファンにとって待望のものといえるでしょう。

さて、そこで気になるのが本書の帯にある「乱歩全集から削除された」という一文。
実際のところ、本書に収録された作品のうち一部は、乱歩全集としては最初に刊行された平凡社版(昭和6年)に収録されているのです。しかし、以後の全集では収録されることはなかったことから、「削除された」という言い方もできなくはありません。
しかし、乱歩の「名義訳」作品が全集へ収録されたのは、あとに先にもこのときだけです。
果たして「削除された」と言えるのかどうか。

ただし、ポーの「黄金虫」については、実際に「削除された」といえる一件があります。
以前にも書いた(講談社「江戸川乱歩推理文庫」のこと)のですが、昭和62年から平成元年にかけて講談社から刊行された「江戸川乱歩推理文庫」では、当初発表のラインナップに翻訳ものとして「鉄仮面」「名探偵ルコック」「黄金虫」があがっていました。ところが、途中で続刊予定が変更となり、この3作は「削除」されてしまいました。
もしかすると、「削除」というのはこのときのことを言っているのかな、とも思いましたが、この3作は巻の並びから児童物という位置づけだったと思われます。そうなると「黄金虫」については、昭和28年に講談社から刊行された「世界名作全集59巻 黄金虫」を収録予定だったと可能性が高く、今回復刊された渡辺兄弟訳のものとは別になります。

ポー傑作集-江戸川乱歩名義訳 (中公文庫)
エドガー・アラン・ポー
中央公論新社
2019-09-19




余談:
ポーの「翻訳」といえば、10年ほど前の一時期、Google翻訳が「Purloined letter」を「盗まレター」と訳していたことがありました。現在も日毎に珍妙な訳を更新していますが、その後これほど冴えた訳には遭遇できておらず、スクリーンショットを撮っておかなかったことを未だに悔やんでいます。



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