201812昭和天皇物語296

能條純一の「昭和天皇物語」、3巻が刊行されました。
気づいた点をちょこちょこと書いてみます。

前半はいわゆる「宮中某重大事件」について。
久邇宮良子女王(のちの香淳皇后)が皇太子妃に内定したものの、家系に色覚異常が見つかり、皇統へ遺伝するのを恐れた山縣有朋らが婚約を破棄しようと動いた、という一件です。
このようなゴタゴタが国民に知れては皇室の尊厳が損なわれるため、報道は全くされなかったのですが、「宮中で何か重大な事件が進行している」という情報が漏れ伝わってしまい、「宮中某重大事件」と称されるようになりました。
結局、「良子女王殿下御婚約の儀に就き種々の世評ありしも御変更等の儀は全然無之趣き確聞す」と報じられて決着することになります。
これには皇太子(昭和天皇)が「良子でよい」と意向を示したと言われており、Wikipediaにもそのような記述がありますが、筆者の手元にある本では、この発言の出典はよくわかりませんでした。「昭和天皇実録」には(当たり前かもしれませんが)見当たらず。
この漫画では、この発言を非常に劇的に描いています。
もう一点、この事件には山縣有朋が「薩摩対長州」という観点から、母が島津家の出身である良子女王の婚約を阻止すべく言いがかりをつけた、という見方があります。この漫画でもその説を採用し、腹黒い策謀家として山縣を描いています。
山縣が腹黒い策謀家だったという点は筆者も否定するものではありませんが、しかしこの一件については対応はまずかったものの皇統に対する至誠の気持ちから出た行動であったという見解が、現在では一般的になっています。漫画に描かれた山縣有朋の姿は「宮中某重大事件」として取り沙汰された際の、世間での評価であった、と解釈するのがよいかと思います。

後半はヨーロッパ外遊について。
本巻の表紙になっている、答礼する皇太子時代の昭和天皇は、イギリス訪問の際、ジョージ五世とともに馬車でバッキンガム宮殿へ向かう途中に撮影された有名な写真をモデルにしています。(Webで検索すれば、この写真はいくらでも出てきます。)
御召艦の中でマナー教育が行われたというのは実際にあったと言われています。
このあと、それぞれの寄港地では若き日の昭和天皇にとって冒険が続きます。晩年までこのときの外遊を懐かしく語っていますが、楽しいエピソードが多く、続巻が楽しみです。



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