聖地・上前津交差点

乱歩と同じく高校卒業まで名古屋で暮らしていた筆者は、中学高校の6年間、休日には自転車に乗って市内の古本屋を回るのが何よりの楽しみでした。友だちがいなかったというわけではないのですが、友だちと遊ぶのは放課後(名古屋弁では「授業後」)で、休日はともかく一人で古本漁りに精を出していたのでした。
今でも古本屋を回るのは好きで、通りすがりに古本屋を見つけると、必ず覗く(家族が一緒で覗けないときは、後日出直す)という習慣を持っていますが、しかし、中学高校の頃ほどのワクワク感はもはやありませんね。

やはり、当時はミステリ初心者だったということが大きいでしょう。
ありとあらゆる名作が未読の状態。
更に古本屋へ行かざるを得ない、特殊な事情もありました。
平成元年4月、筆者が中学2年になると同時に消費税が導入されましたが、これに伴って書籍の内税表示が義務化され、各社の文庫カバー掛け直しが行われました。
このとき、あまり売れていないタイトルについては新しくカバーを作らずそのまま絶版にするという措置が取られ、角川文庫・講談社文庫から出ていた数多くの名作が一斉に書店から姿を消したのです。
その後、創元推理文庫や光文社文庫などが頑張ってあれこれ復刊してくれましたが、筆者がまさに今からミステリをどんどん読もうと気合を入れているタイミングで、以下のあたりが入手できなくなっていました。

泡坂妻夫「亜愛一郎の狼狽」「乱れからくり」「11枚のトランプ」「喜劇悲奇劇」「煙の殺意」「花嫁のさけび」……新作以外のほとんど全てですね
竹本健治「匣の中の失楽」「囲碁殺人事件」「トランプ殺人事件」……こちらもほぼ全て
笠井潔「バイバイ、エンジェル」「サマー・アポカリプス」……要するにSF以外全て
古めのものだと
都筑道夫「三重露出」「なめくじに聞いてみろ」「七十五羽の烏」「キリオン・スレイの生活と推理」……この辺は、今も再び入手困難ですね。
鮎川哲也「黒いトランク」「黒い白鳥」「憎悪の化石」……主要作はほぼ全部
結城昌治「暗い落日」「ひげのある男たち」……「ゴメスの名はゴメス」「白昼堂々」あたりは新刊書店で買いました。
天藤真「殺しへの招待」「陽気な容疑者たち」……「大誘拐」以外全て。これは、今も同じか。

こうなってくると、いったいナニを読めたのか、という話になってきますが、新しい作家では島田荘司はまだ品切れはゼロ。岡嶋二人も全て入手可。古めの作家では土屋隆夫は、この頃は光文社文庫がせっせと収録していたため、簡単に読めました(まだ現役作家でしたし)。また、横溝正史や高木彬光は角川文庫が半分以上は残ってましたね。

と、話の筋がそれてしまいましたが、当時の国内ミステリの状況はこのようなもので、ともかく新刊書店でなかなかミステリを買えない。
そこで筆者は、恐るべき情熱でもって古本屋を回っていたわけです。
こんな状態の古本屋巡りが楽しくないわけがない!

ということで、今回はブログのタイトル通り、今や消えてしまった古本屋を含め、今から30年ほど前の名古屋古本屋事情を綴ってみたいと思います。

筆者が最も気に入っていた一角が大津通を栄から1.5キロほど南下した上前津交差点。
特に交差点南側で向かい合う「三松堂書店」と「海星堂書店南店」は通いつめました(自宅から自転車で30分くらいの距離)。

三松堂書店ではずいぶんあれこれ買いましたが、一番印象に残っているのは雑誌「幻影城」をほぼ揃い(廃刊直前の時期のものが2冊だけ欠)で買ったことです。
これは中学2年の冬、ちょうどお年玉をもらった直後のことでした。3万円という値づけで、普通の中学生は買わないと思いますが、泡坂妻夫に飢えていた筆者は「お年玉を全部使えば買える!」と狂喜しました。
たださすがに発見してすぐには買わず、一応、家へ帰って母親に相談しました。すると、母親はどんな雑誌なのかよくしらないため、「学校の先生に相談しなさい」。実は、中学1年生のときの担任の先生がミステリに詳しく、何かと読書指南を受けていたのです。そこで、先生へ相談に行くと「それは買ったほうが良いでしょう」ということで、下校後に三松堂へ電話して取り置きを依頼し、次の休みの日に父に車を出してもらって買いに行ったのでした。父はひたすら呆れながらついてきていました。
三松堂は、入って左手の棚が文芸コーナーになっており、ずっと奥へ進むとミステリ・探偵小説が固めて置いてありました。ポケミスはもちろん、桃源社の「小栗虫太郎全作品」、東京創元社「世界大ロマン全集」、講談社「ロマンブックス」なども置いており、何も買わないときでも、棚を眺めているだけで勉強になる古本屋でした。

三松堂書店を出ると、信号を渡って海星堂書店南店へ。
ここの2階は、今はどうか知りませんが、当時はサブカル関連が非常に充実していました。
映画のパンフレットを五十音別に整理した箱がズラッと並んでおり、ひたすら金田一耕助映画のパンフレットを探し続けました。昭和50年代の横溝映画についてはここに何度か通ううちコンプリートしました。
今にして思えば、ミステリ関係のパンフレットをもっといろいろ探しておけばよかったのですが、当時はミステリ映画といえば金田一耕助しか知らなかったわけです。
さらに、ここで入手した超大物があります。
島田荘司「占星術殺人事件」の初版本。なんと、屋外の百円均一棚で発見しました。帯無しで袋綴じも開封済みでしたが、初版一刷。特に目立つ傷みはない美本。
実物を見たのは初めてだったため、百円均一棚に置かれていたことが信じられず、筆者の知らないどうでもよいバージョンが存在していたのか、と疑いました。奥付を見て、更に「御手洗清志」「石岡一美」となっているのを確認して、ようやく初版本だと確信したのです。
発見した時点で刊行から10年程度だったので、筆者としては「あの幻の!」という本でしたが、古本屋的には大したことがない本だったのかもしれません。
これは、今も大事に手元に置いています。

201706占星術殺人事件088

さて、上前津から鶴舞方面へ少し行くと新堀川にかかる記念橋があります。そのすぐ脇に建つ老朽化した雑居ビルの地下に「亜希書房」がありました。このビルがまだ建っているのかどうかよく知りませんが、筆者が通っていた30年前から、入っていくのにかなり勇気を要する雰囲気の建物でした。
階段を降りると、薄暗い廊下が続きます。マフィアがドンパチを始めるんじゃないかという緊張感が漲るなかを恐る恐る歩いていくと、中華料理屋(陶展文が経営しているよう雰囲気の)と向かい合って亜希書房の店舗が細長く延びていました。
商品は全てビニル袋にパックされて、状態はかなり良好。買った本で覚えているのは角川文庫版の砂絵シリーズとか、キリオン・スレイを何冊かとか、なぜか都筑道夫ばかりですが、それよりも棚にズラッと並んでいた雑誌をよく覚えています。
いろいろなジャンルの雑誌のバックナンバーが揃っていましたが、ミステリ好きとしては、いつ覗いても「別冊新評」がズラッと置いてあったのが印象に残っています。「都筑道夫の世界」「山田風太郎の世界」はどんな内容だか非常に興味がありましたが、ビニルパックされているため、中は確認できず。結局、買いませんでした。

鶴舞公園周辺も古本屋が密集しており、上前津とセットでよく覗いていましたが、鶴舞へ近づくにつれいわゆる「黒っぽい」本屋が多くなります。ミステリ好きはやはり上前津周辺のほうが楽しめましたね。鶴舞の古本屋では、どこの店か忘れましたが、立風書房「鮎川哲也長編推理小説全集」全巻がカバー無しの状態で縛って置いてあり、それを千円で買ったことがあります。その時点で、新刊書店では一切何も買えなかった鮎川哲也が、一瞬で手元に揃ってしまったわけです。

次回は、郊外の古本屋についての思い出話を。
 


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