20170526探偵小説五十年079

横溝正史の代表作といえば「本陣殺人事件」「獄門島」「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」と、岡山を舞台にした作品が目立ちます。
太平洋戦争末期に横溝正史は岡山へ疎開し、そこで終戦を迎え、「本陣殺人事件」「獄門島」を執筆したことはよく知られています。
疎開先で知った習俗や怪談をネタにして本格探偵小説の傑作を次々と発表したことから、ミステリファンのなかには「横溝正史がたまたま・・・・岡山のような土地へ疎開したのは、日本ミステリのためにはすごくラッキーだった……」と考えている方がいるかも知れません。
筆者もずっとそう思っていたわけなのですが、実は、横溝正史が岡山へ疎開してその地を舞台にした本格ミステリを執筆したのは、偶然ではないのです。

 昭和二十年三月九日、本所深川方面が大空襲でやられたとき、わたしは吉祥寺に住んでいた。当時わたしの住んでいた吉祥寺の家の周辺には、たくさんの空地があったから、ああいうショウイ弾攻撃をうけたとしても、本所深川方面ほどの、深刻な被害をうけようとは思えなかった。したがって、わたしは疎開する気は毛頭なかったのである。
 ところでその直後に新聞でこの報道をよんだ岡山の親戚から、家があるからぜひ疎開してくるようにとの親切な勧誘をうけた。このときそれが岡山でなく、もっとほかの地方だったら、わたしはこの勧誘を断ったにちがいない。それが岡山だったゆえに、わたしはこの勧誘にとびついたのである。なぜならば、岡山-瀬戸内海-孤島ととっさに脳裡でむすびついてきたからなのである。
戦争中、時局に遠慮した出版界が探偵小説の掲載を見合わせるようになり、横溝正史は本格ミステリへの激しい飢餓を感じるようになります。
そこへ降って湧いた岡山への疎開の話。
横溝正史は岡山を「安全な疎開地」ではなく「本格ミステリにうってつけの舞台」と直感し、来るべき終戦の日に備えてネタを仕込むために岡山へ赴いたというわけなのです。
終戦の詔勅(=玉音放送)をラジオで聞きながら、「さあこれからだ」と快哉を叫んだエピソードは有名ですが、その前からずっと、もうヤル気満々だったわけです。

この話はいくつかのエッセイで回顧していますが、いずれも金田一耕助シリーズが成功したのちに書かれたもので、いくらかはサービス精神的なものを含んでいるようにも感じます。
しかし、それにしても筆者としては感動的なエピソードと思っています。

まずなにより、孤島あり、山村ありの岡山という土地を本格ミステリの舞台にちょうどよいと判断する作家としての嗅覚。
横溝正史の両親が岡山の出身で親戚がいたりなど多少の土地鑑があったという事情もあるでしょうけれど、やはり四六時中ミステリのことだけを考え続けている「鬼」ならではです。
さらに、時局への鋭い洞察。
戦争中は心底「神州不滅」を信じていた人もいるなかで、海外文芸を読み漁ることによって得た常識的な感覚は、来るべき時代を正確に予見していました。
やはり、信頼に足るべき人物の知見は、信頼に足るのです。
話がずれますが、ミステリに限らず、筆者が深く信頼している本の書き手をTwitterなどでフォローしていると、政権や世論がいくら右傾化しても常にブレることなく別方向の認識を示しています。何十年も信頼できる本を書いている人たちのことは、ずっと信頼し続けてよいということを、この横溝正史のエピソードからも判断できると思います。

いずれにしても、我々は横溝ミステリを生んだ岡山、というよりも、岡山をミステリの舞台に選んだ横溝をやはり尊敬すべき、ということになります。



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