201805仁義なき戦い218

千葉真一演じる「大友勝利」は「仁義なき戦い」シリーズの中でも一二を争う人気キャラですが、2作目「広島死闘編」では加藤嘉演じる父親との大喧嘩の最中、名セリフ「云うなりゃあれらはおめこの汁で飯喰うとるんで」を言い放ちます。
ファンのあいだではこのセリフばかりが取り上げられていますが、いったいこの親子がなぜ喧嘩をしているのか。それを理解しようと思うと、任侠映画の豆知識が必要になってきます。

そもそもは、敵対する村岡組が競輪場の警備を請け負ったことに腹を立てた勝利とその弟分たちが、競輪場で暴れまわり、そのことで父である大友親分から叱られるわけですが、勝利のこのセリフの直前、大友親分はこう言います。
「競輪は博奕じゃけん、博奕打ちのテラじゃろうが。神農道の稼業人が手をつけては、仁義が立たん云うちょるんど!」

村岡組は博徒、大友組は神農で、稼業が違う。競輪は博奕だから、博徒の村岡へ任せておけ、といっているわけです。
ひとくちにやくざといっても、稼業はさまざまあります。
例えば、日本最大の暴力団として有名な山口組はもともとは、神戸港へ接岸する貨物船の荷物を上げ下ろしする人足(沖仲仕)を取り仕切ることを稼業としていました。
さまざまな稼業の中でも、映画で描かれることが多いのは、やはり博徒と神農です。

神農というのは、テキ屋のことです。
現在も露天商組合など、合法的な組織にこの言葉が残っており、「神農」がただちに「指定暴力団」というわけではありませんが、例えば繁華街で営業する商店・飲食店から「みかじめ料」を徴収したりしている暴力団は神農の流れを汲んでいると言えます。
博徒は、博奕打ですが、自分たちが博奕を打つわけではありません。賭場を開催して、集まった客からテラ銭を徴収して稼いでいます。

村岡組と大友組の抗争に話を戻すと、もともとは博徒と神農とで稼業が分かれていたため、同じ地域で活動していても棲み分けができていました。
ところが、戦後のどさくさで稼業の線引が曖昧になり、縄張りが重なる部分ではどちらの組が仕事を請け負うかで揉めるようになってきた、ということになります。
この辺の事情がわかっていなくても、「仁義なき戦い」は勢いだけで面白く観られる映画に仕上がっているのですが、ちゃんとわかっているとストーリーそのもののメリハリがくっきり立ち上がってきて、面白さは倍増します。

話はずれるのですが、賭場は現在はもちろん、昔からずっと違法行為でした。
このため、警察の手入れがあります。
警官が踏み込んできた時、任侠映画に登場する博徒たちは、体を張ってお客さんを逃します。
懲役は自分たちが引き受けるから、お客さんは安心して、気持ちよく遊んでください、というのが任侠精神を持った博徒というわけです。
ちょっと前に、野球賭博に関与したとして、現役の野球選手や大相撲の力士・親方が、スポーツ界から追放されるという事件がありました。
筆者はこのニュースを聞いた時、スポーツ選手の不心得より、任侠道の衰退のほうがはるかに深刻だと思いましたね。報道によれば、博徒が客を売ったという状況であったわけなので。
こんな野郎は、健さんにお命頂戴されてろ!
と、任侠映画を見続けていると、やくざ関連のニュースに対しておかしな興味を持ってしまうようになってきます。

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