201709水滸伝130

「水滸伝」は子どもの頃、岩波少年文庫で読み大興奮して以来、完訳できちんと読みたいものだとずっと思っていました。
しかし、ここ最近は容易に入手できる完訳は吉川幸次郎訳の岩波文庫のみでした。吉川訳は「名訳」とされているのですが、終戦直後に翻訳されたものであり、また訳者の教養レベルがあまりに高すぎるため、店頭でパラパラ眺めても、筆者には「こりゃ、ムリだ」としか思えない文章です。
以前は駒田信二訳も刊行されており、講談社文庫やちくま文庫へ収録されていましたが、今はいずれも品切れになっています。駒田信二訳は吉川訳に比べると遥かに「ふつうの日本語」で書かれていましたが、入手が難しい状況です。

このため、どこかから駒田訳が復刊されるか、あるいは新訳が出るかしないかな、と思っていたところ、講談社学術文庫で今月から、井波律子による新訳刊行が始まりました。
筆者は「三国志演義」も、3年前にやはり講談社学術文庫へ収録された井波律子訳で読んでおり、すいすいと読み進められたため、「水滸伝」新訳の報には快哉を叫びました。
実際手にとってみると、吉川訳や駒田訳では書き下し文しかなかった詩に現代語訳が併記されていたり、細かい注釈がついているなど、期待通りの仕上がりです。訳文自体は駒田訳のほうがより話し言葉にちかく感じられて、筆者としては読みやすく感じるのですが、それはまあ読む前からわかっていたことで。「三国志演義」にも見られた井波訳独特のクセ(良く言えば、味)を飲み込めば、かなりスピードで読むことが出来ます。

岩波少年文庫では、ほぼ同時期に「西遊記」「三国志」も読みましたが、面白さでは「水滸伝」が断トツでした。とはいえ、小学5年生の時に読んだはずなので、すでに30年以上も昔のこと。正直、ほとんど全部忘れました。覚えているのは花和尚魯智深が肉屋に時間をかけてミンチを作らせた挙句、それを投げ捨ててその肉屋を殴り殺すシーンのみでしたが、改めて全訳を読んでみたら、思いっきり冒頭のエピソードでした。(しかも、まだ魯智深と名乗っていない)
登場人物があまりに多く、また脱線も多いので、あらすじを覚えているともう少しストレスなく読めそうですが、それにしてもやっぱり面白い。徹夜本と言ってもよいくらいハマります。

読みながら最も強く感じるのは、「任侠の源はここだったか」ということです。
出てくる豪傑はいずれも暴力・殺人・強盗を平気でやらかすアウトローばかりで、全員が官憲に追われている状態なわけですが、そんな登場人物たちに爽快さを見出し、共感することが出来るのは、彼らが一本筋の通った精神を持っているからです。それこそが任侠道。東映やくざ映画と全く同じ世界です。
法は犯しても任侠道には背かない。どんな身分の者であれ、任侠精神のない人間は悪人として描かれます。
実際、現実のヤクザの皆さんのあいだでも「水滸伝」は絶大な人気を博しているようで、「花和尚魯智深」をたまたまGoogleで検索したら、彫り物の画像がズラッと出てきてギョッとしましたが、確かに魯智深を背負って生きていきたい気持ちはよく理解できます。
理想的な「おとこ」が勢揃いしている、そんな小説なのです。

「水滸伝の全訳をいつかは読もう」と思っている方には、今回の新訳刊行の機会を強力にオススメします。
というのは、大長編を一度に全て通して読むとなるとけっこう大変なのですが、毎月1冊ずつであれば、たいした負担にならず、気がつくと最後まで読めてしまうものだからです。
筆者はこの方法でこれまで、「レ・ミゼラブル」「三国志演義」「新・平家物語」などの大長編を読破してきました。
「水滸伝」のように続きが気になって気になって……という小説の場合、続刊を待つのがつらい部分もありますが(「レ・ミゼラブル」もそうでした)、大長編読破を目論むならば、新訳刊行のタイミングは狙い目です。美本の入手も容易ですし(以前の記事参照)。

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