備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

2017年09月

待望の新訳刊行! 井波律子『水滸伝』(講談社学術文庫)

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「水滸伝」は子どもの頃、岩波少年文庫で読み大興奮して以来、完訳できちんと読みたいものだとずっと思っていました。
しかし、ここ最近は容易に入手できる完訳は吉川幸次郎訳の岩波文庫のみでした。吉川訳は「名訳」とされているのですが、終戦直後に翻訳されたものであり、また訳者の教養レベルがあまりに高すぎるため、店頭でパラパラ眺めても、筆者には「こりゃ、ムリだ」としか思えない文章です。
以前は駒田信二訳も刊行されており、講談社文庫やちくま文庫へ収録されていましたが、今はいずれも品切れになっています。駒田信二訳は吉川訳に比べると遥かに「ふつうの日本語」で書かれていましたが、入手が難しい状況です。

このため、どこかから駒田訳が復刊されるか、あるいは新訳が出るかしないかな、と思っていたところ、講談社学術文庫で今月から、井波律子による新訳刊行が始まりました。
筆者は「三国志演義」も、3年前にやはり講談社学術文庫へ収録された井波律子訳で読んでおり、すいすいと読み進められたため、「水滸伝」新訳の報には快哉を叫びました。
実際手にとってみると、吉川訳や駒田訳では書き下し文しかなかった詩に現代語訳が併記されていたり、細かい注釈がついているなど、期待通りの仕上がりです。訳文自体は駒田訳のほうがより話し言葉にちかく感じられて、筆者としては読みやすく感じるのですが、それはまあ読む前からわかっていたことで。「三国志演義」にも見られた井波訳独特のクセ(良く言えば、味)を飲み込めば、かなりスピードで読むことが出来ます。

岩波少年文庫では、ほぼ同時期に「西遊記」「三国志」も読みましたが、面白さでは「水滸伝」が断トツでした。とはいえ、小学5年生の時に読んだはずなので、すでに30年以上も昔のこと。正直、ほとんど全部忘れました。覚えているのは花和尚魯智深が肉屋に時間をかけてミンチを作らせた挙句、それを投げ捨ててその肉屋を殴り殺すシーンのみでしたが、改めて全訳を読んでみたら、思いっきり冒頭のエピソードでした。(しかも、まだ魯智深と名乗っていない)
登場人物があまりに多く、また脱線も多いので、あらすじを覚えているともう少しストレスなく読めそうですが、それにしてもやっぱり面白い。徹夜本と言ってもよいくらいハマります。

読みながら最も強く感じるのは、「任侠の源はここだったか」ということです。
出てくる豪傑はいずれも暴力・殺人・強盗を平気でやらかすアウトローばかりで、全員が官憲に追われている状態なわけですが、そんな登場人物たちに爽快さを見出し、共感することが出来るのは、彼らが一本筋の通った精神を持っているからです。それこそが任侠道。東映やくざ映画と全く同じ世界です。
法は犯しても任侠道には背かない。どんな身分の者であれ、任侠精神のない人間は悪人として描かれます。
実際、現実のヤクザの皆さんのあいだでも「水滸伝」は絶大な人気を博しているようで、「花和尚魯智深」をたまたまGoogleで検索したら、彫り物の画像がズラッと出てきてギョッとしましたが、確かに魯智深を背負って生きていきたい気持ちはよく理解できます。
理想的な「おとこ」が勢揃いしている、そんな小説なのです。

「水滸伝の全訳をいつかは読もう」と思っている方には、今回の新訳刊行の機会を強力にオススメします。
というのは、大長編を一度に全て通して読むとなるとけっこう大変なのですが、毎月1冊ずつであれば、たいした負担にならず、気がつくと最後まで読めてしまうものだからです。
筆者はこの方法でこれまで、「レ・ミゼラブル」「三国志演義」「新・平家物語」などの大長編を読破してきました。
「水滸伝」のように続きが気になって気になって……という小説の場合、続刊を待つのがつらい部分もありますが(「レ・ミゼラブル」もそうでした)、大長編読破を目論むならば、新訳刊行のタイミングは狙い目です。美本の入手も容易ですし(以前の記事参照)。

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90~00年代Jホラー懐古 第6回 Jホラーブームの申し子たち

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今回は、ブームの中で公開された映画を思い出すままに紹介していきます。
(リンク先は全てAmazonです)

回路 [DVD]
黒沢清監督 2000年


高橋洋、小中千昭と並ぶJホラーの最重要人物といえば黒沢清監督です。
とはいえ、ストレートな怪談映画は撮っておらず、Jホラーと呼ばれる他の映画とは一線を画している印象があります。
最も「Jホラーらしい」作品はこの「回路」ではないかと思います。

仄暗い水の底から [DVD]
中田秀夫監督 2002年


鈴木光司原作・中田秀夫監督という「リング」コンビの作品として大いに宣伝されました。
鈴木光司の短編集『仄暗い水の底から』は、「リング」に匹敵する恐怖と評価された怪談集で、特に第一話「浮遊する水」は雑誌掲載時からホラー小説ファンのあいだでは絶賛されていました。第五話の「夢の島クルーズ」は1997年に飯田譲治監督の深夜ドラマが放映されています。
この短編集のタイトルを使い、「浮遊する水」のストーリーを原作とした映画で、かなり期待しましたが、うーん、やっぱり「リング」の成功は高橋洋の功績だったな……と確認するにとどまる、残念な内容でした。「呪怨」の盛り上がりと平行して、このあたりからすでにJホラーの粗製乱造は始まっていたように感じます。



秋元康が職人監督・三池崇史を担ぎ出して製作した作品で、このあとシリーズが延々と続きました。
筆者はこの一作目をわざわざ劇場まで観にいって、Jホラーの終焉を肌で感じました。
三池崇史は好きな監督で名作も多いのですが、この映画については完全に頼まれ仕事で、志というようなものは無かったと考えてよいでしょう。
「着信アリ2」は、正確な文句は忘れてしまいましたが「Jホラーを越えてアジアンホラーへ」というようなキャッチコピーで、予告を見ただけでサブイボを禁じ得ない気分になったものです。もちろん別の意味で。
まあ、15年も昔の映画をけなしても仕方ないのですが、当時の憤りは未だによく覚えています。




「リング」や「呪怨」の仕掛人である一瀬隆重がプロデュースし2004年に同時上映された2本。
ブームの勢いに陰りが見えてきた時期のもので、特に「予言」はJホラーの生みの親ともいうべき鶴田法男監督作で、これによりブームは再始動するのでは、と期待しましたが、世の中はそんなに甘くはありませんでした。
どちらも力作ではありましたが、「リング」「呪怨」に続く第3の衝撃とはなり得ませんでした。




さて、それでは「リング」によってブームを巻き起こした最重要人物・高橋洋は、いったい何をしていたのか? 実はその後、恐怖に関する考察を深化させるあまり、誰にも理解できないアバンギャルドな世界に突入していました。
まずは2000年の「発狂する唇」。「リング」に熱狂した我々の前に最初に立ちはだかった「壁」がコレでした。
レンタル屋でパッケージを眺めると、確かに「ホラー」と思われました。ところが実際に見てみるとホラーはもちろん、エロあり、カンフーアクションあり、歌謡ショーありという壮絶にワケのわからない映画で、怖いんだかおかしいんだかサッパリ理解できない。呆然としました。
そんなわけで、この映画については自分の中では「まあ、無かったことにしておこう」という位置づけだったのですが(その割にはDVDまで買って何度も見直しましたが……)、意味不明度をさらに極限まで推し進めたのが2004年の「ソドムの市」でした。
この映画は「ホラー番長」という企画の一本です。有名無名の監督がそれぞれに同じ予算で映画を撮り「恐怖」を競う、というもので、「有名監督」として高橋洋と清水崇とが参加しました。
清水崇の「稀人」は脚本・小中千昭、主演・塚本晋也という豪華なもので、作品自体もきれいにまとまっていましたが、正直、あまり印象に残りません。というのも、高橋洋の「ソドムの市」があまりに怪作過ぎたためです。
高橋洋のエッセイを読むと、非常に深く、真剣に「恐怖とは何か」を考え続けていることがわかります。あれこれと考えているうちに、どうやら常人とはかけ離れた哲学的な領域に入ってしまい、結果としてこんな映画を撮ってしまったようです。
本作のタイトルはパゾリーニからの引用かと思ってしまいますが、実は「座頭市」の「市」です。タイトルからしてすでにギャグですが、高橋洋は大真面目のようです。
ストーリー自体は「ドクトル・マブゼ」を下敷きにしています。高橋洋のマブゼ好きはエッセイなどによく現れていますが、あまりにマゼブが好きなためか「社会を混乱に陥れる“偽札造り”こそが究極の恐怖だ」というような理解しがたい結論に至ってしまうのです。
この映画には偽札だけでなくさまざまなモチーフが現れますが、高橋洋にとっては、このすべてが恐怖表現なのです。観客は完全に置き去りですが、まるで気にしていません。思考過程を想像しながら鑑賞するべき作品と言えます。

さらにこの路線を突き進む高橋洋は、2007年には「狂気の海」を発表しています。
改憲を目論む首相。しかし、首相夫人はあまりにも憲法9条を愛しすぎてしまっていた。明らかに狂った形で……という、この映画のあらすじ自体が一番狂ってんだよ!と突っ込まざるをえない「霊的国防」を描いた作品です。
そして来年2018年2月、久しぶりの新作「霊的ボリシェヴィキ」が公開されます。タイトルからしてオカシすぎ! いったいどんなジャンルの映画なのか、もはやそれすらよくわからなくなっていますが、Jホラーブームが終わった現在も、高橋洋は非常に元気に活動しています。

というわけで、最終回はJホラーブームを概観するつもりが、高橋洋の話ばかりになってしまいましたが、もしかするとこのブームは「高橋洋に始まり、高橋洋に終わる」という、一人の天才の物語に帰結すべきものだったのかもしれません。

というわけで、6回にわたって筆者が目撃した「Jホラー」ブームを、ごく個人的な視点から綴ってみました。
次は、映画界のJホラーブームと平行して発生していた、書籍界での「実話怪談ブーム」について振り返ってみます。

90~00年代Jホラー懐古 第5回 劇場版「呪怨」

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今回はビデオ版「呪怨」登場以降の展開について。

前回の記事に書いたとおり、筆者は「呪怨」のビデオを初めて借りるまでには少々苦労しましたが、その後はかなりの勢いで何度も何度も借りてきては、そのたびに震え上がるという生活を送っていました。
そんなに借りるなら、買えばいいじゃないかと話で、実際に筆者は手元に置きたくて仕方なかったのですが、当時はまだDVD黎明期。「呪怨」はVHSしか発売されておらず、またそれは一般向けではなくレンタルショップ向けのもので、非常に高額でした。
そんなわけで、何度も何度も借りるしかなかったわけです。
ようやくDVDが発売されたのは2003年1月。劇場版「呪怨」の公開にあわせてのものでした。

ところで、オリジナルビデオ発のシリーズが劇場版公開ともなれば、すでに人気は絶頂期、と思われるかも知れませんが、実際には「呪怨」が好きなのはホラーマニアだけで、まだまだ世間一般では知られていなかったのです。
リアルタイムでも、自分の熱狂ぶりと世間一般との「ズレ」は認識していました。
ビデオ版「呪怨」の発売情報は2002年暮れの時点で知っていたため、発売日を指折り数えて待っていました。ところが、発売日当日の昼休みに職場近くのCDショップへ出かけると店頭に見当たらず。店員へ尋ねると、なんと「入荷していない」という返事でした。
おいおい、それくらいチェックしておけよ、と思いながら別の店へ行くとそこでも入荷無し。
結局3軒目で買いましたが、棚へポツンと差してあるだけで、全く「話題の新作」という扱いではありませんでした。

さらに、劇場版の公開も単館系での興行でした。
筆者はテアトル新宿での初日、初回上映前に清水崇の舞台挨拶があると知り、その日は仕事を休みにして早朝から駆けつけました。
11時開演のところ、8時半に劇場へ到着すると、すでに長蛇の列で「あ、やっぱり人気があるんだ」と思いましたが、実はそうではなく、奥菜恵、伊東美咲といった(当時はアイドル扱いの)女優陣も登場するため、そっち目当ての客ばかりでした。舞台挨拶が始まると客席は巨大なレンズの放列。司会者が「撮影禁止」と何度も呼びかけているものの、お構いなしの状況でした。清水崇目当ての客は何割もいなかったのではないでしょうか。
そのときは「アイドルの力に頼らずにホラーが客を呼べる時代になってほしい」と思ったことを覚えています。

ところが、そんな時代はすぐに来ました。
劇場版「呪怨」が大ヒットしたためです。
正直な感想を言えば、映画館で観る「呪怨」はそれほど怖いと思えず、「やっぱり夜中に一人で観たほうが怖いよな」と思いましたが、アイドルに釣られて劇場へ来た観客には衝撃的な怖さだったようです。
劇場版「呪怨2」の製作や、ハリウッドリメイクについては劇場版一作目のヒットによるものではなく、実はこの一作目初日の舞台挨拶の中で公表されていました。
したがって、製作側としてはヒットを確信していたと思われます。
穿ちすぎかも知れませんが、ヒットが確実にもかかわらず単館上映からスタートしたのは「じわじわと口コミで怖さが広がった」と宣伝したいがための演出だったのかも、という気もしないでもありません。とはいえ、実際にじわじわと恐怖は伝播していくことになったわけです。
劇場版のDVDが発売されるときには、どこのショップでも山積み。わずか数ヶ月で隔世の感がありました。

約半年後に劇場版「呪怨2」が公開されました。
このときには、世間はもう大変な盛り上がりでした。
試写会も何度も行われていたため、周囲のホラー好きはみんな試写会で観ていました。筆者は公開の一週間前に行われた先行オールナイトで観たのですが、あまりに事前の情報が多すぎたため、公開前なのに「やっと観れた」という気分でした。
この「呪怨2」は1作目よりもさらに怖くない映画になってしまっているのですが、お化け屋敷映画としてはものすごく楽しい仕上がりで、清水崇の力量をこれまで以上に感じる内容でした。

清水崇はこの2003年は大活躍の年でした。
劇場版「呪怨」2本の製作・公開と平行して、盟友・豊島圭介監督と自主制作の企画「幽霊VS宇宙人」を上映しています。
こちらはホラーの体裁を取りながら完全にギャグに走った内容で、本来の姿を伺われる作品です。ビデオ版「呪怨」を初めて観たときの「この人はは一人くらい殺しているに違いない」というような凶暴な印象は、すでに跡形もなくなりました。
余談ですが、清水監督の素顔といえば、「呪怨」のDVDに必ず収録されるオーディオコメンタリーも最高に楽しい内容です。撮影時の意図や裏話を真面目に語っている部分もありますが、大半は自作にツッコミを入れながらゲラゲラ笑っていて、オーディオコメンタリーをONにして「呪怨」を鑑賞すると、真夜中に一人で観ても全然平気になります。
筆者はこの年8月に下北沢であった「幽霊VS宇宙人」の上映会を覗きいったのですが、会場へ着いてから、清水崇と豊島圭介とが日替わりでトークをしていると知りました。
当日は豊島監督の日で、この方も非常に楽しいトークで、あっという間にファンになってしまいましたが、やはり清水監督のトークも聞きたい。そんなわけで、翌日も同じ劇場へ行き、トーク終了後にロビーでのんびりしている清水監督からサインをもらったりしたものです。

それはさておき、劇場版「呪怨2」公開の直前には宝島社から「最恐伝説 呪怨」というムックが発売されます。宝島社から出るこの手のファンブックは微妙な内容のものが多いのですが、「呪怨」に関してはかなり充実した内容で、清水崇も全面的に協力しています。エッセイの寄稿やインタビュー、対談はもちろん、自筆の短編漫画まで掲載されています。御茶漬海苔にそっくりの筆致でものすごく納得しました。

そんな感じで、個人的にはJホラーブームの絶頂期と考える2003年が過ぎていきました。

次回は、Jホラーブームの中で量産された、「リング」「呪怨」以外の主要作を振り返っていきます。
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
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