備忘の都

40年間の読書で得た偏った知識をツギハギしながら、偏った記事をまとめています。同好の士の参考に。

2017年02月

黒岩涙香の「幽霊塔」


竹本健治「涙香迷宮」の影響で、黒岩涙香に興味を持たれる方がいるかも、と思いましたので、涙香の代表作の一つである「幽霊塔」について書いておきます。

涙香の「幽霊塔」が有名になったのは、江戸川乱歩が幼少期に読んで心酔し、同じ「幽霊塔」というタイトルでリライトしたためです。このため、ほぼ同じストーリーで、涙香版と乱歩版との二種類の「幽霊塔」があります。

幽霊塔
幽霊塔 創元推理文庫
江戸川 乱歩


明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集 ちくま文庫―明治探偵冒険小説集
明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集 ちくま文庫
黒岩 涙香

(リンク先はいずれもAmazon)

黒岩涙香が活躍した明治時代には、海外文学を日本へ紹介する際に「翻案」という手法がメインでした。現在のように原文を忠実に日本語へと置き換えるのではなく、日本人に馴染みやすいよう、人名や地名を改め、ストーリーも読みやすい形に改変していました。
涙香は数多くの海外文学を翻案したことで知られ、「モンテ・クリスト伯」を翻案した「巖窟王」、「レ・ミゼラブル」を翻案した「噫無情(ああ、むじょう)」が特に有名です。
「幽霊塔」もそのような翻案の一つです。

ところが、この「幽霊塔」は、どんな作品を原作としているのか、ずっと謎でした。
涙香版「幽霊塔」のまえがきには原作は「ベンヂスン夫人のファントムタワー」と書かれています。ところが、日本中のマニアが探したにも関わらず、このような作家・作品は、どこにも見当たらなかったのです。
涙香の「幽霊塔」をリライトした乱歩も、自作解説で「原作はどうもよくわからない」「これほど面白い小説が(中略)記録にも残っていないのは、まことに不思議というほかはない」と記しています。

その後、何十年にもわたって、この原作を巡ってはさまざまな説が唱えられましたが、ようやく動きが見えたのは80年代に入ってからです。大正時代に浅草で上映された映画のあらすじが「幽霊塔」に酷似していることが発見され、その原作であるウィリアムスンの「灰色の女」という小説こそが原作ではないかとわかったのです。
(話はそれますが、映画のチラシにも「涙香『幽霊塔』の原作」という一文があったそうです。しかし、文学関係者が散々調べてわからなかったことが、なぜ映画配給会社にわかったのか、それはそれで謎です。原作の版権を管理しているエージェントにはわかっていた、ということなのでしょうか。そもそも涙香が正規に翻訳権を得ていたのかどうかもわかりませんが)



こうして原作は特定されたものの、次は原書探しが難航しました。海外の古書店が出品しているのを発見されたのは、21世紀に入ってからでした。
原書の発見から数年経って、論創社から翻訳が出ました。

灰色の女 (論創海外ミステリ)
灰色の女
A.M. ウィリアムスン
論創社
2008-02

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今や、「灰色の女」の翻訳も出ていますので、本編以上に劇的な、この原作探しの話など、すでに昔話になりました。しかし、この一件は、涙香・乱歩の名とともに永遠に語り継がれることだろうと思います。
なお、このあたりの経緯は「灰色の女」の巻末解説にてミステリ作家の小森健太朗氏が詳しく書いています。実はこの小森氏こそが、「Woman in Grey」を古書で探し出した、最大の功労者なのです。
なお、「灰色の女」の訳者は、岩波文庫でコリンズ「白衣の女」を訳している中島賢二氏です。

ちなみに昨年、宮﨑駿の「カリオストロの城」は乱歩の「幽霊塔」をモチーフにしている、ということで、宮﨑監督のイラスト解説付きの単行本が刊行され、大いに話題になりました。
「幽霊塔」に注目が集まっているタイミングで、「涙香迷宮」によって、黒岩涙香にもスポットが当たる。「幽霊塔」のファンとしては、嬉しい出来事が続いています。

幽霊塔
幽霊塔
江戸川 乱歩
岩波書店
2015-06-06
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関連記事:
「灰色の女」から乱歩版「幽霊塔」への伝言ゲーム
ポプラ社 少年探偵江戸川乱歩全集45「時計塔の秘密」


「犬神家の一族」は本格か?

201812犬神家の一族295

週刊文春は1985年および2012年の二度にわたって「東西ミステリーベスト100」という企画を発表しています。
これはいずれも、全国の著名なミステリファンや団体へのアンケートを集計したものです。
2012年版が発表された際には、前回から27年も時が経ったにもかかわらず、事前に十分に予想されたこと(=新本格系が躍進したこと、80年代に大ブームだった冒険小説が軒並み順位を下げたこと)以外、たいして変化のない結果となり、それはそれで、驚きをもって受け止められました。


1985年版
リンク先はいずれもAmazon

ところで、筆者が2012年版のランクを見て一番驚いたことは横溝正史「犬神家の一族」がランクインしていたことです。前回は圏外だったにもかかわらず、今回は39位という結果でした。
ちなみに、横溝正史作品だけを抜き出すと、新旧で以下のとおりになっています。(順位は全体順位)

1985年版
1位 獄門島
7位 本陣殺人事件
42位 悪魔の手毬唄
44位 八つ墓村
69位 蝶々殺人事件

2012年版
1位 獄門島
10位 本陣殺人事件
39位 犬神家の一族
57位 八つ墓村
75位 悪魔の手毬唄

同じ作品が、だいたい同じような位置にいますが、目立つのはやはり「犬神家の一族」の躍進です。以前は圏外だったものが、39位とかなり上まで来ています。
(ちなみに、「蝶々殺人事件」は金田一耕助シリーズではなく、由利麟太郎シリーズの一作です。1985年当時は角川文庫版や春陽文庫版が入手可能であったものが、2012年時点では文庫では読めないマイナー作品となってしまっていたため、順位が落ちたのはやむを得ないでしょう)

「犬神家の一族」は一般的には横溝正史随一の有名作品であり、「本格探偵小説」の代表的な存在とも見なされています。なおかつ、1985年当時は空前の大ヒットとなった映画「犬神家の一族」の原作ということでも記憶も新しかったはずで、むしろ旧ベストで圏外だったことの方が不思議でしょう。

しかし、実は27年前の読者にはこれが当然のことと受け止められていました。
それはひとえに、「犬神家の一族」が本格ではなく、通俗ミステリだと見なされていたためです。

では、いったい通俗ミステリとはなにか?

それを考える前に、一般的な小説について分類を見てみましょう。
現代においても、小説は「純文学」と「大衆文学」とに分けて考えられています。
いわゆる芥川賞と直木賞との違いです。
読者のなかには両者の違いをあまり気にしない方も多くいますが、しかし芥川賞、直木賞ははっきりと区別して選考されています。
では、何を基準に区別しているのでしょう?
純文学は読者に迎合せず、芸術としての文学の可能性を探る、対して、大衆小説は読者の娯楽に供するため書かれる、というようなことがよく言われますが、実際にはもっと単純で、実質的には掲載誌で区別がされています。
「文學界」「新潮」「群像」などは、純文学。
「オール讀物」「小説新潮」「小説現代」などは、大衆小説。
同じ作家が書いても、掲載誌(もしくは編集部)の違いによって、純文学か大衆文学かが区別されているのが実情です。(なお正確に言えば、芥川賞は対象期間中の「雑誌掲載作」、直木賞は「単行本刊行作」を選考対象としています)

話をミステリに戻すと、以前はミステリの世界でも「本格」か「通俗」かは、掲載誌によって区別されていました。
戦前から続く名門「新青年」や、戦後に創刊されやがては乱歩が責任編集をつとめた「宝石」などは、探偵小説専門誌と見なされ、ここに掲載された作品は「本格」。
一方で、「キング」など、時代小説や中間小説など、他ジャンルの娯楽小説も一緒になっている雑誌へ掲載された作品は「通俗」と見なされました。

新旧ベストに現れた横溝作品の掲載誌を見てみましょう。
獄門島 → 宝石
本陣殺人事件 → 宝石
悪魔の手毬唄 → 宝石
八つ墓村 → 前半を新青年、後半を宝石
蝶々殺人事件 → ロック(これも探偵小説専門誌)
犬神家の一族 → キング

ということになります。
なお、横溝正史自身が昭和51年頃に連載されたエッセイ「真説・金田一耕助」の中で選んでいるベストは下記のとおりです。(カッコ内は掲載誌)

1 獄門島(宝石)
2 本陣殺人事件(宝石)
3 犬神家の一族(キング)
4 悪魔の手毬唄(宝石)
5 八つ墓村(新青年→宝石)
6 悪魔が来りて笛を吹く(宝石)
7 仮面舞踏会(宝石にて中絶 のちに書き下ろし)

ここまでは、横溝本人も自信を持ってベストと上げていますが、以下は、順不同で
三つ首塔(小説倶楽部)
夜歩く(大衆小説界)
女王蜂(キング)
の売れ行きが良いが、ベスト10に入れるには躊躇せざるをえない、と書いています。

ご覧のとおり、「犬神家の一族」以外、すべて掲載誌は「宝石」で、ここへ掲載することこそが探偵小説の本流であるという考えが伺われます。
現代読者からすれば「女王蜂」なども非常に横溝正史らしい長編で、探偵小説として堪能できますが、当時にあっては、これは二流の通俗小説と考えられており、それが「躊躇せざるえない」という一文に現れているわけです。

文春の新旧ベストへ話を戻すと、1985年当時、ミステリについて「宝石」は一流、「キング」は二流、という意識を持った投票者がまだまだ健在で、それが「犬神家の一族」のランク外という結果に現れています。
しかし、2012年ともなると、掲載誌を知る読者もほとんどいなくなり、本格か通俗かという意識も薄くなってきています。
それが「犬神家の一族」のランクインという形になったわけなのです。

付記しておくと、横溝正史自選ベストに「犬神家の一族」が入っていますが、決して納得ずくで入れているわけではないように思われます。
エッセイ集「真説・金田一耕助」では、これより少し前の章に「犬神家」の思い出を綴った稿があります。
この中で横溝本人も
「『宝石』とちがって『キング』は大衆雑誌なのだから、ひとつ派手にいきましょう」
「ちかごろ(この小説が)推理小説研究家のあいだで、改めて見直されているようである」
と、発表当時はマニア向けの本格ミステリとしては評価されていなかったことを暗に認めています。


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関連記事:
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「ジャングル・ブック」原作を読むなら、おすすめの文庫はどれ? 各社版徹底比較!

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2016-12-16

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昨年夏にCGを駆使したディズニー映画が公開され話題となった「ジャングル・ブック」。
あちこちの文庫から原作の新訳も刊行されました。
この機会に読んでみようという方のために、各文庫の特色をご紹介します。

「ジャングル・ブック」について

まずは、「ジャングル・ブック」とはどんな小説でしょうか?
原作は19世紀末にイギリスの作家ラドヤード・キプリングによって書かれました。キプリングはのちにノーベル文学賞を受賞します。
物語はイギリス統治時代のインドのジャングルが舞台となっています。人間界から離れてジャングルに住む少年モウグリと動物たちとの交流がメインの連作短編集です。
実は原作では、モウグリが登場しないエピソードもいくつか書かれているのですが、日本で刊行されている翻訳のほとんどでは、主人公はモウグリということになっており、それ以外のエピソードは省略されています。
もともとは「The Jungle Book」「The Second Jungle Book」と2冊に分かれて刊行されていますが、その中からモウグリが登場する8篇を選ぶのが、一般的なのです。
また、ディズニー映画でも、かつてのアニメ版、今回の実写版いずれも、やはりモウグリが登場しないエピソードは省略されています。

もちろん、「ジャングル・ブック」全体で最も重要なのはモウグリの物語ですし、また、映画を見て原作も……という方にはこれで十分なわけですが、せっかくだからキプリングの書いた全てを読みたい、という方には、実は選択肢は一つしかありません。

角川文庫『ジャングル・ブック』『ジャングル・ブック2』 山田蘭・訳

それは角川文庫です。
角川文庫版も今回の映画化にあわせて新たに訳出されたものですが、完全訳を原著通り2冊にわけて出しています。それ以外には、これといった特長はないのですが、実は「ジャングル・ブック」の完訳は、過去にもほとんど例がなく、大変な偉業と言ってもよいことなのです。

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山田蘭 訳

ジャングル・ブック2<ジャングル・ブック> (角川文庫)
ジャングル・ブック2 (角川文庫)
山田蘭 訳

新潮文庫『ジャングル・ブック』 田口俊樹・訳

今回の映画化にあわせて、新潮文庫からも新訳が出ましたが、こちらはモウグリの話だけを集めています。
新潮文庫の良い点は、原著の挿絵を収録しているところです。これは、他の文庫にはありません。筆者はこの点が気に入って、新潮文庫版で読みました。
ミステリの翻訳を数多く手がけている田口俊樹氏が訳しているのがちょっと意外です。


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ジャングル・ブック (新潮文庫)
ジャングル・ブック (新潮文庫)
田口俊樹 訳

文春文庫『ジャングル・ブック』 井上里・訳 金原瑞人・監訳

一方、文春文庫の売りは、児童文学翻訳の第一人者、金原瑞人氏が「監訳」している点でしょう。
ジャングル・ブック (文春文庫)
ジャングル・ブック (文春文庫)
井上里 訳 金原瑞人 監訳


金原瑞人氏は、児童向けの偕成社文庫版についても、こちらはご本人が翻訳されています。
この偕成社文庫版が全2冊にわかれており、「完訳版」と謳っているため、「お、これは完全訳か?」と思ってしまうのですが、実は2冊にわけているだけで、内容はモウグリのエピソードのみです。それぞれの短編については、完訳、ということのようです。まあ、サブタイトルに「オオカミ少年モウグリの物語」とありますので、嘘はついていないのですが、若干紛らわしいです。

金原瑞人 訳


児童向けの翻訳は、ほかにも岩波少年文庫などいろいろ出ていますが、完全訳はありません。
というわけで、完全訳をお望みなら、角川文庫版を、そうでなければ、お好みで新潮文庫か文春文庫を、というのが本日の結論です。
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筆者:squibbon
幼稚園児の頃から40を過ぎた現在に至るまで読書が趣味。学生時代は読書系のサークルに所属し、現在も出版業界の片隅で禄を食んでいます。
好きな作家:江戸川乱歩、横溝正史、都筑道夫、泡坂妻夫、筒井康隆、山田風太郎、吉村昭。好きな音楽:筋肉少女帯、中島みゆき。好きな映画:笠原和夫、黒澤明、野村芳太郎、クエンティン・タランティーノ、ティム・バートン、スティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・フィンチャー。
ブログ更新通知:https://twitter.com/squibbon19

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