201709恐怖の作法121

さて、今年は新本格30周年、宮部みゆきデビュー30周年ということで盛り上がっていますが、来年は映画「リング」が公開されて20周年ということになります。
リアルタイムで知る世代としては、なんだ「リング」が公開された頃は、綾辻行人も宮部みゆきもデビューしてまだ10年しか経っていなかったのか、と、どうでもポイントに驚いてしまいますが’(当時、どちらもすでに大御所の風格でしたので)、20年経つとあれほど熱狂したJホラーブームもすっかり鎮まってしまった印象があります。
ここらで、当時を知らない若い方のためにJホラーの歴史を語っておきたいと思います。

「Jホラー」という言葉がいつから言われ始めたのか忘れてしまいましたが、個人的には「呪怨」の劇場版とか「着信アリ」なんかは「ブームに乗っかった末期的な作品」と思っていますので、この言葉が世の中に現れた頃は、すでに黄昏時だったのかもしれません。
とはいえ、「Jホラー」という言葉は90年代末から00年代初頭にかけてのホラーブームをよく表していると思いますので、筆者も便利に使っています。

大学を卒業する直前に見た「リング」の衝撃はかなりのものでしたが、予兆はありました。
中田秀夫監督・高橋洋監督というコンビは、すでに96年の映画「女優霊」で、ホラー好きのあいだでは充分に認知されていたのです。
それほどホラー映画マニアではなかった筆者にとっては、「女優霊」がスタート地点でした。実際にはその前にオリジナルビデオ「ほんとにあった怖い話」や、テレビドラマ「学校の怪談」などのシリーズがあったわけですが、それを知ったのは「リング」公開後のことです。

「女優霊」のコンビが「リング」を映画化すると聞いたときは、実をいえばやや不安を覚えました。
というのは95年に飯田譲治の脚本で2時間ドラマ版「リング」が放映されており、これが非常にすばらしい出来だったのです。
主演は高橋克典、高山竜司役は原田芳雄で、原作のイメージ通り。呪いのビデオの映像も原作の記述をほぼ忠実に再現しています。原作では貞子が両性具有という設定でしたが、ドラマ版ではその点も描かれていました。
というわけで、どこから見ても「完璧な映像化」のあとに、改めて映画を作るという点がまず冒険でした。
なおかつ、「リング」は原作も2時間ドラマ版も、「ビデオ」という非常に現代的な素材を使っており、「女優霊」のような古典的な怪談・化け物映画とは、資質が相容れないのでは、という危惧も持っていました。
しかし、映画「リング」はそのような不安を完全に吹き飛ばし、観客を熱狂させる快作でした。
映画館で本当に「もうやめて~!」と叫びたくなるくらいの恐ろしさで、同時上映の「らせん」については何も記憶に残らない有り様でした。

というわけで、その後しばらくは会う人ごとに「リング」の素晴らしさを語り合って過ごしていたわけですが、それから2年たったころ、「呪怨」というビデオは、「リング」と比べ物にならないくらい怖い、という話を友人から聞きました。
それは見なければ、というわけでレンタルしてきたのですが、これがまたとんでもない恐ろしさ。
監督の清水崇という人は全く聞いたことがなかったのですが、きっと神経質な変態で、映画を撮るかたわら人を呪い殺したりしているに違いない、というくらいに思っていました。
しかし、「呪怨」の魅力は抗い難く、ちょうど近所のレンタルショップが一本100円だったこともあり(今はゲオなんかは一本100円が普通ですが、当時のレンタルビデオは350円くらいが相場でした)、ものすごい勢いで何回も借りてきては、見るたびに恐怖に打ちのめされていたものです。

「概説」と大げさに書きながら、単なる思い出話ですが、ともかく筆者の体験した「Jホラー」は、そのような流れで始まりました。20年ちかくも昔の話なので、当時を知らない世代のために当時のファンの視線で流れを語ってみました。
次回からは、もう少し突っ込んで作品の歴史、影響関係などを解説していきたいと思います。 

ちなみに冒頭の書影は「小中理論」の中心人物・小中千昭が「Jホラー」を語った名著です。
元は岩波アクティブ新書から「ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言」という素敵なタイトルで刊行されていたのですが、アクティブ新書の廃刊に伴い絶版。その後、河出書房新社から復刊されたものです。
ところが、せっかく復刊したこの本まで、今や出版社品切れ状態なので、来年の「リング」20周年を機に、岩波現代文庫か、河出文庫か、ちくま文庫のどこかが拾ってくれないものかと思っている次第です。

恐怖の作法: ホラー映画の技術
小中 千昭
河出書房新社
2014-05-15




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