竹本健治「涙香迷宮」の影響で、黒岩涙香に興味を持たれる方がいるかも、と思いましたので、涙香の代表作の一つである「幽霊塔」について書いておきます。

涙香の「幽霊塔」が有名になったのは、江戸川乱歩が幼少期に読んで心酔し、同じ「幽霊塔」というタイトルでリライトしたためです。このため、ほぼ同じストーリーで、涙香版と乱歩版との二種類の「幽霊塔」があります。

幽霊塔
江戸川 乱歩
東京創元社
2012-10-25




黒岩涙香が活躍した明治時代には、海外文学を日本へ紹介する際に「翻案」という手法がメインでした。現在のように原文を忠実に日本語へと置き換えるのではなく、日本人に馴染みやすいよう、人名や地名を改め、ストーリーも読みやすい形に改変していました。
涙香は数多くの海外文学を翻案したことで知られ、「モンテ・クリスト伯」を翻案した「巖窟王」、「レ・ミゼラブル」を翻案した「噫無情(ああ、むじょう)」が特に有名です。
「幽霊塔」もそのような翻案の一つです。

ところが、この「幽霊塔」は、どんな作品を原作としているのか、ずっと謎でした。
涙香版「幽霊塔」のまえがきには原作は「ベンヂスン夫人のファントムタワー」と書かれています。ところが、日本中のマニアが探したにも関わらず、このような作家・作品は、どこにも見当たらなかったのです。
涙香の「幽霊塔」をリライトした乱歩も、自作解説で「原作はどうもよくわからない」「これほど面白い小説が(中略)記録にも残っていないのは、まことに不思議というほかはない」と記しています。

その後、何十年にもわたって、この原作を巡ってはさまざまな説が唱えられましたが、ようやく動きが見えたのは80年代に入ってからです。大正時代に浅草で上映された映画のあらすじが「幽霊塔」に酷似していることが発見され、その原作であるウィリアムスンの「灰色の女」という小説こそが原作ではないかとわかったのです。
(話はそれますが、映画のチラシにも「涙香『幽霊塔』の原作」という一文があったそうです。しかし、文学関係者が散々調べてわからなかったことが、なぜ映画配給会社にわかったのか、それはそれで謎です。原作の版権を管理しているエージェントにはわかっていた、ということなのでしょうか。そもそも涙香が正規に翻訳権を得ていたのかどうかもわかりませんが)



こうして原作は特定されたものの、次は原書探しが難航しました。海外の古書店が出品しているのを発見されたのは、21世紀に入ってからでした。
原書の発見から数年経って、論創社から翻訳が出ました。

灰色の女 (論創海外ミステリ)
A.M. ウィリアムスン
論創社
2008-02-01


今や、「灰色の女」の翻訳も出ていますので、本編以上に劇的な、この原作探しの話など、すでに昔話になりました。しかし、この一件は、涙香・乱歩の名とともに永遠に語り継がれることだろうと思います。
なお、このあたりの経緯は「灰色の女」の巻末解説にてミステリ作家の小森健太朗氏が詳しく書いています。実はこの小森氏こそが、「Woman in Grey」を古書で探し出した、最大の功労者なのです。
なお、「灰色の女」の訳者は、岩波文庫でコリンズ「白衣の女」を訳している中島賢二氏です。

ちなみに昨年、宮﨑駿の「カリオストロの城」は乱歩の「幽霊塔」をモチーフにしている、ということで、宮﨑監督のイラスト解説付きの単行本が刊行され、大いに話題になりました。
「幽霊塔」に注目が集まっているタイミングで、「涙香迷宮」によって、黒岩涙香にもスポットが当たる。「幽霊塔」のファンとしては、嬉しい出来事が続いています。

幽霊塔
江戸川 乱歩
岩波書店
2015-06-06


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